自由や民主主義という単なる理念で遠い外国まで軍隊を派遣するアメリカ。
もう100年もそんなアメリカを見ていますから、世界の警察としてのアメリカが当たり前のような気がしています。しかしよく考えると不思議ですよね。日中戦争で日本が中国を侵略したり、朝鮮戦争で北朝鮮が南に攻め込んだり、イラクがクウェートに侵攻したりしたとしてですよ、アメリカには直接的な害というものはないですよね。それでも正義を掲げて地上軍を派遣するという、アメリカは他の列強に比べて特異な行動をしてきました。しかしこのアメリカの特異な行動が現代では当たり前になってしまって、自由や民主主義という歴史から切り離された理念が、日本を含む世界で当然のこととして扱われています。

今アメリカはおとなしいですが、おそらく何年か経てば、自由と民主主義という理念を掲げてイスラム国に地上軍を派遣するでしょうね。まあそれを乗り切ったとして、中国は共産主義ですよ、これをどうするのでしょうか。

よく考えてみると、日本の戦後リベラルというものは、このようなアメリカの「力への意思」と「歴史から切り離された理念」が融合した姿から、「力への意思」を除去された「歴史から切り離された理念」だけが流れ込んで形成されたものですね。ですから戦後70年経てば内的エネルギーが失われて、戦後リベラルの言葉は空虚になってしまうのです。

日本のリベラルはどうすればいいのでしょうか。

これをイスラムと日本との関係で考えてみましょう。
日本の自由と民主主義の理念をイスラムにおしつける?
こんなことはムリです。
ではこうしましょう。
日本というものを全体として理解する。同時にイスラムというものを全体として理解する。そして日本とイスラムを巻き込むような新しい世界観を形成する。これはどうでしょう?
弁証法です。ヘーゲルです。これはかなり険しい道ですが、不可能ではないです。ただ戦後70年もたって、太平洋戦争すらトータルに理解できていなのですから、日本をトータルに理解するというのすら後何百年かかるか分からないです。ましてイスラムをや。

簡単に「理想」なるものには至らないのです。思いつきの理想を世界に押し付ければ、世界が平和になるわけではない。日本と世界について一歩づつ理解してそれを積み重ねて、未来において理想にいたるであろうというのが、現代におけるリベラルの態度ではないでしょうか。