現代というのは生きる意味というものを見つけにくい時代だとは思います。江戸時代のように村落共同体が個人に役割を割り振ってくれるわけでもなく、戦前戦後にかけてのように国家が個人に役割を割り振ってくれるわけでもなく、現代においては、個人がそれぞれに生きる意味を見つけるということなのでしょう。

人間というものは生きていれば心が空っぽになる構造になっているのでしょう。人間は生きる意味を求める生物なのでしょう。その実存的真空をかつては、村や国が埋めてくれていたわけです。

しかし現代では実存的真空を自分で埋めてくださいというのです。
ああ、私にとってこんないい時代はない。

私の心の空虚さは意味のある文章を読んでいれば、満たされていきます。心の空虚さは再生産されていきます。しかし多くの言葉がしんしんと心の空虚に降り積もっていきます。言葉が私を満たし、そして満たし続けてくれます。これほどの直接的な生きがいが他にありえるでしょうか。言葉が、まさに意味が私の心を癒し続けるのです。私は子供のころはいじめられっこだったし、両親はとっくの昔に死んだし、今は底辺の肉体労働者ですけど、死のうなんて思ったことは一度もないです。子供のころから、この世界は生きる価値があると確信していました。

私は現代に満足していますが、他の人はそういうわけにもいかなだろうと思うのです。他人の心の奥底までは見えませんが、本書によると多くの人はギャンブルやドラッグや仕事の忙しさなどで心の空虚さを満たしているらしいです。それってかなり危ない綱渡りですね。神経症になる人が多いのも分かります。
今は精神科も、精神分析ではなくロゴテラピーという生きがいの回復という観点からの治療があるらしいです。それはそうですよね。いくら精神を分析したからといって、精神が癒されなければ治療の意味はないわけですから。

生きがい喪失の悩み (講談社学術文庫) [ ヴィクトール.E・フランクル ]
生きがい喪失の悩み (講談社学術文庫) [ ヴィクトール.E・フランクル ]