この著者の最初の設定は、日本語とは漢字とひらがなとカタカナの三重構造になっている、という事です。当たり前のような話なのですが、ここからの展開がこの本のすごいところです。

漢字が日本で使われるようになるのが7世紀半ば、ひらがなの完全な成立は10世紀初頭です。ひらがな成立以降の日本語は漢語と和語の二重並立言語として現在に至ります。私たち日本語民族は、今の場面は漢語的に振舞うべきか、和語的に振舞うべきかの決断を常時しなければならない、漢語と和語との間を往復する民族なのです。
さらに、喋り言葉と書き言葉というのは互いに影響しあっていて、文字が導入され書き言葉が出現する事によって、民族の歴史が堆積され始めます。
簡単に考えてしまうと、縄文時代や弥生時代には縄文語や弥生語があって、その語音に漢字やひらがなを当てはめたものが現在の日本語であると思ってしまうのですが、書き言葉が導入された後に日本語の歴史の堆積が始まったとするなら、縄文語や弥生語は今のものとは別のものであったろうというのです。言語の構造が違う以上、縄文人や弥生人は今の日本人とは違う思考パターンをしていたでしょう。縄文時代や弥生時代は現代からは感覚的に手の届かない、歴史の向こう側に沈んでしまっているのです。

言われてみれば当たり前の話なのですが、日本という国は漢字文化圏で、日本の歴史は漢字との格闘の歴史だという事です。

この歴史観は様々な事に応用できる予感がします。例えば本居宣長論。本居宣長は漢語をさかしらとして排除し、昔からある日本のみを「美しい日本」として強調しようとします。しかしこの態度は日本語の漢語和語二重構造を理解しない理論となるわけです。
もう一つ例えを出しましょう。丸山真男の「日本の思想」。丸山は「日本の思想」で、
日本人の中には様々なイメージが並立して存在していて、その時代に応じてふさわしい観念が喚起されてくる。戦前と戦後の転換はその現れである、
といっています。しかしこれを突き詰めて考えれば、漢語と和語二重並立構造を持った日本人の必然的な結果とも言えます。

どうでしょう、この論理の切れ味のすばらしさ。

日本語や日本人は平安中期の宮廷女性世界の空間から始まったのですね。日本で女性の強い理由も分かります。女性の解放された度合いが文明進歩のバロメーターだとするなら、日本は世界の最先端ですね。