magaminの雑記ブログ

2019年02月

志学(しがく)とは15歳の意味です。

論語の為政篇に

   吾十有五にして学に志し (志学 しがく)
   三十にして立つ (而立 じりつ)
   四十にして惑はず (不惑 ふわく)
   五十にして天命を知る (知命 ちめい)
   六十にして耳順ひ (耳順 じじゅん)
   七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず (従心 じゅうしん)

とありまして、「吾十有五にして学に志し」から、志学(しがく)が15歳の異称として使われるようになりました。

15歳にもなればまじめに勉強しなさい、志学すなわち学問を頑張りなさい、ということになるでしょうか。

しかし今の時代は、15歳から勉強するようでは遅くないだろうか、という心配があります。高校に入ってから真面目に勉強というのでは、親としては心配です。

ただ、志学(しがく)での学というのは、必ずしも勉強という意味ではなく、論語の中では「人格完成への道」というニュアンスです。
ですから志学とは、15歳になったら、自分は立派な大人になるんだ、という決意という意味にとりたいです。

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耳順(じじゅん)とは60歳の異称です。

論語の為政篇に

   吾十有五にして学に志し (志学 しがく)
   三十にして立つ (而立 じりつ)
   四十にして惑はず (不惑 ふわく)
   五十にして天命を知る (知命 ちめい)
   六十にして耳順ひ (耳順 じじゅん)
   七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず (従心 じゅうしん)

とありまして、「六十にして耳順ひ」 から耳順が60歳の異称として使われるようになりました。

耳順(みみしたが)ひ、とは、そもそも「人の言うことを素直に聞けるようになった」という意味です。

しかしなかなか60歳になったからといって、人の言うことを素直に聞けるようになるのも難しいです。
宮崎一定という論語学者は、


「論語の為政篇のこの節は、孔子が50歳までは力があふれていて天命を知るまでになったが、それ後は衰えて、60歳になったら人の言うことには従うようになったり、70歳になったらやりたいことをやってもたいしたことは出来なくなってしまった、という嘆きだ」

と言っていました。

ですから、60歳になっても人のいうことを素直に聞けない、というのはまだまだ元気である証拠ともいえます。


ただ、故事成語として60歳は、人のいうことを素直に聞けるようになる歳、すなわち耳順(じじゅん)ということになっています。

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大江健三郎は自らの短編を、その古い順番で読んでいくと、戦後日本の精神史になっていると言っているので、おすすめ短編を古い順番に紹介していきます。

目次
1 奇妙な仕事 1957年5月
2 セブンティーン 1961年
3 空の怪物アグイー 1972年
4 レイン.ツリーを聴く女たち 1982年
5 連作 静かな生活 1990年
6 新しい人よ眼ざめよ 1983年
7 河馬に噛まれる 1985年
8 火をめぐらす鳥 1992年




1




「奇妙な仕事」


話自体は大学病院の不要になった実験動物の犬を150匹殺す話で、登場人物は4人。  
犬の殺し方にこだわりを持つ、30歳ぐらいの犬殺しのプロ。後3人はお手伝いのバイト。犬殺しに根本的な疑問を持つ院生の男と、クールで芯の強い若い男と女。  

構造が村上春樹の「ノルウェーの森」そのままだと思った。どういう構造かというと、まじめで弱い人間を踏み台にしながら、こだわりを持つ男に支えられて、クールな男と女はいい感じで盛り上がるということ。  

話の構造も似ているのだけれど、「奇妙な仕事」の主人公の男の話しぶりが、「ノルウェーの森」の主人公とかぶるような。 「奇妙な仕事」の主人公と女子学生との会話での主人公パートを抜粋してみる。  

「たいへんだな、と目をそむけて僕はいった」 
「火山を見に? と僕は気のない返事をした」 
「君はあまり笑わないね、と僕はいった」  

同じ構造、同じテンションで、同じようなことを言われると、そこには否定しがたい同一性が認められると思う。大江健三郎と村上春樹の同一性、これはもちろん村上春樹がオマージュしたのだろうと思うのだけれど、そのあたりのことを調べたらちょっと面白いかも、とは思う。


「セブンティーン」


17歳の弱い青年が、右翼に入って強くなるという話
「セブンティーン」の主人公の青年は、自己同一性が怪しい。  

「この世界の何もかもが疑わしく、充分には理解できず、 なにひとつ自分の手につかめるという気がしない」

と感じている。   
17歳の少年はどうすればいいのだろうか? クールで無関心な青年になるのはお断りだ。   
17歳の少年の父親というのは学校教師で、頼りにならないインテリとして描かれている。家族はあてにならない。国家としての日本は、太平洋戦争でのあの大敗北だ。  
どうするか、17歳の少年はどうやって救われるのか?   

この少年が皇国思想によって救われたからといって、いったい誰が批判できるだろうか。   
この少年が、社会党の浅沼委員長暗殺事件の犯人のモデルだとして、それは「セブンティーン」が直ちに右翼批判小説であるということにはならない。


「空の怪物アグイー」


主人公の知り合いの男が狂人なんだよね。ショックな事件があって、それ以来彼には、カンガルーのような巨大な赤ん坊のような何者かが、自らの傍らに突然舞い降りるようになったという。彼はその何者かをアグイーと名づけた。  
主人公もその影響を受けて、突然舞い降りる何者かが見えるようになったという。   

狂気の話なんだよね。  

居場所を失った若き魂はどうすれば救われるのか、というのが、大江健三郎のテーマだったと思う。そのような意味で、「セブンティーン」では、皇国思想を取り上げた。「空の怪物アグイー」では、狂気によって救われる若者を描いたのだろう。   

しかし、狂気によって救われるということは、近代社会においては難しい。  
近代においての狂人の地位というのは、過去と比べてえらく低い。明治の中ごろまでは、狂人は村の中をふらふらすることが認められていて、村人から愛される馬鹿みたいな扱いだった。

現代ではどうだろうか? 狂人は、精神病院に収容されるか、個人の家に隔離されるか、あれではほとんど人間扱いとはいえないだろう。  

狂気によって救われるということは、近代においては狭き門になった。  

狂気によって救われることは難しい。空の怪物をアグイーと名づけた青年も救われなかった。   
純真な青年が救われるためにはどうすればいいのかっていうことになる。


「レイン.ツリーを聴く女たち」


レインツリーとは、ハワイの精神病院の庭に立つ巨大な木の名称
主人公の大学時代の同級生に高安カッチャンという人物がいて、これがいきがって大学を辞めてアメリカにわたって全く成功しなかったという、救われないオヤジなんだよね。この救われないオヤジ高安カッチャンが、いかにして救われるかというのが、この小説のテーマだ。

高安カッチャンは自分が救われるために奇妙な論理を実践する。大学の同級生で成功したやつと女性を共有すれば自分も救われるみたいな。なくはない論理だと思うけれど、いきなりそんなこと言われても、というのはある。

若い人も救われにくかったけれども、オヤジの場合は絶望的に救われない感じたね。救われないオヤジのそばにそびえるレイン.ツリーというわけ。


「新しい人よ眼ざめよ」



学校の合宿に出かけるとき、知的障害のある大江光さんは、父大江健三郎にこのように言う。  

「しかし僕がいない間、パパは大丈夫でしょうか? パパはこのピンチをよく切りぬけるでしょうか?」  

救うものと救われるものとの逆転。  
知的障害の息子が、戦後日本を代表する作家の父親の魂を救うという。けっして奇跡ではなく、大江健三郎が誠実に子供の声に耳を傾けた結果ではある。   
「新しい人よ眼ざめよ」のなかでは、大江光さんとの会話以外にも、いろんなことが並立的に書いてある。ブレイクの詩がどうだとか、二十歳のころ付き合っていた女性と20何年か後に再開しただとか、キリストの救いだとか、最後の審判についてだとか。  

まあそのような逸話は、たいした意味はないだろう。いうなれば、大江光さんの言葉の引き立て役ということだ。


「河馬に噛まれる」


日本赤軍のリンチ殺人事件での高校生メンバーで便所掃除係りだった少年が、十何年後かに大江健三郎とちょっと文通をして、その後アフリカで暮らしているっていう話だった。

かつて少年だったコイツが、アフリカでカバに噛まれるんだよね。そして現地で「河馬の勇士」という称号をちょうだいしたらしい。だからといって、別に何か冒険が始まるというわけでもなく、彼はアフリカで車の整備なんかをしながら生計を立てるようになる。ぱっとしない人生といえばその通り。唯一つの勲章は、カバに噛まれたということだけ。

大江健三郎の知り合いの女の子が、「河馬の勇士」に会いに行って、大江健三郎の悪口を言う。それに対して「河馬の勇士」はこのように答える。

「大江は大江で自分のカバにかまれているのじゃないか?」

大江健三郎にとってのカバとは何か、というのははっきりとは書かれていないのだけれど、イーヨーのことだと思う。たいした人生ではないけれど、自分の勲章はイーヨーに噛まれたことだというわけだろう。


「連作 静かな生活」


構造的には、「連作 新しい人よ眼ざめよ」と同じ。語り手が、大江健三郎から、大江健三郎の娘に代わっているだけ。知的障害者である長男イーヨーに家族が救われるというパターンに変わりはない。

大江健三郎とイーヨーとは、ちょっとかみ合わないところがあって、その辺のところを長女や次男にフォローしてもらっていた場面がいままで何度かあった。  
今度は長女が語り手で、父親のデリカシーのないところをチクリとやるところなんて、うまいよなーって思った。

長女と次男、長女とイーヨーの音楽の先生との間で、ロシアの「案内者」という映画について、結構長々と喋っていたりする。しかし、このような芸術論はたいして意味はない。そもそも、イーヨーの音楽の先生は、この映画を観ていないのだから。 キリストがどうとか、アンチクリストがどうとか、凡人がぐだぐだ言っているレベルだろう。

いいところは、最後にイーヨーが全部持っていくというやつだね。
それで何の問題もないよ。

私は、大江健三郎を実際に読む前は、彼をとぼけた左翼作家だと思っていた。しかしこのおとぼけけ振りというのは、イーヨーを持ち上げるための演技の可能性が高い。イーヨーを持ち上げることで、他の知的障害者もまとめて持ち上げようということだろう。

はっきり言って、現代社会の知的障害者にたいする扱いはひどい。多くの人が、こんな人間なら生まれてこなかったほうが幸せだったろう、と心の中では思っているだろう。そんな弱い心を、あえてひっくり返そうとするのだから、すごいよ。

大江健三郎を気に入らない人がいるとして、彼が大江健三郎を批判すれば批判するだけ、大江健三郎はぐだぐたになって、そのぶんイーヨーが持ち上がるという、そういうシステムになっている。


「火をめぐらす鳥」


大江健三郎は、知的障害者の子供が生まれて、この子供を救おうと決心したのだろう。しかし、人を救うとは何か? 人を救うなんていうことはできるのか? 自分でさえ救われていないのに?  

子供とかかわるうちに、いつしか論理は逆転する。

養護学校の泊りがけの合宿に行こうとする息子を心配して、父親は語りかける。

「イーヨー、大丈夫か、一人で行けるか?」

子供は答える。

「お父さんは大丈夫でしょうか? 私がいなくても大丈夫でしょうか?」

救うものが救われて、救われるものが救う、そういうことってありえると思う。

「火をめぐらす鳥」のなかで、「私」は障害者の息子と、死後のそれぞれの魂が、より大きい魂の集合体みたいなものに共に合流することを夢見る。しかし本当のところは、「私」は独力で魂の集合体に合流することは無理だろう、そして息子にそこまで一緒にだよ、自分を導いて欲しいと思っているのだろう。

「火をめぐらす鳥」の最後で、「私」と息子は駅のホームで一緒に倒れて、二人して起き上がれなくなってしまう。「私」は息子に話しかける。

「イーヨー、イーヨー、困ったよ。一体なんだろうねえ?」

息子は答える。

「ウグイス、ですよ」

論理は完全に逆転しただろう。救うものが救われて、救われるものが救う。



大江健三郎の8短編を発表順に紹介してみました。


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もし「論語」を、整合性のない教訓集だと考えたとするなら、「論語」にたいした価値はない。ヘーゲルやウェーバーが、論語を評価しなかったのも、このあたりに由来するだろう。しかし本当に「論語」は、整合性のない教訓集なのだろうか?

憲問第十四 386 にこのようにある。 

「子路君子を問う 己を修めてもって敬す かくのごときのみか? いわく、己を修めてもって人を安んず かくのごときのみか? いわく、己を修めてもって百姓(ひゃくせい)を安んず 己を修めてもって百姓を安んずるは、尭舜(ぎょうしゅん)もなおこれを病めり」 

これを私なりに現代語に変換してみる。

「弟子の子路は孔子に、君子とは何か、と問う。孔子は答える、自分をしっかり持ってそれを維持する。子路はさらに、それだけか、と問う。孔子は答える、自分をしっかり持ってさらに回りの人心も安心させるように助ける。子路はさらに、それだけか、と問う。孔子は答える、自分をしっかり持ってさらに人民全ての心を安心させる、しかし子路よ、このことの実現は古代の聖王でも悩んだことなんだぞ」

君子というものは、仁を体現している人のことだ。 そして狭義の仁の概念というのは、自分が自分であるという自己同一性のことだろう。 論語をトータルで読むと、そもそも孔子は、個人の独力で仁が達成できるとは考えていない。孔子の考えというのは、自己同一性の確立を目指す個人が、同じ道を目指す他者と補い合って、自己と社会の自己同一性を高め合った結果、多くの人たちの思いは尭舜に凝固するであろう、その尭舜の伝説が、仁を求める個人にフィードバックして、その仁を高める。高まった個人個人の仁が、さらに大きく尭舜に凝固する。このような循環によって社会の秩序が強化されることを孔子は期待したのだろう。

これは驚くべき思想だ。一神教的絶対神を導入することなく、広域の地域に秩序を形成しようと言うのだから。この論語の世界観というのは、古代人の空想ではないと思うんだよね。例えば現代日本は、キリスト教やイスラム教のような確固とした宗教もないのに、どうしてその秩序を維持しているんだ? 日本人の精神の根底に、論語の世界観、すなわち個人と世界とがその一体性を互いに強化しあうシステムのようなものが存在しているからではないだろうか。

よく言われるのが、西洋には哲学があって東洋には哲学はないということ。
ふざけるな。ありえない。
そもそも哲学とは何か? 哲学者とは何か?

ニーチェ 「権力への意思」 972 にこのようにある。

「私は最後にこう認めるに至った、哲学者には異なった2種類があると。すなわち、
 1 価値評価の何らかの偉大な事実を確立しようとする哲学者。
 2 そうした価値評価の立法者である哲学者。
前者は全ての過去の事物をその未来の有用のためにつかうという人間の課題に奉仕している。
しかるに後者は命令者である。彼らは言う、かくあるべしと」

前者の哲学者は二流、後者は一流の哲学者だ。西洋近代の大哲学者は全て二流だ。価値評価の立法者である哲学者というのを、私はプラトンと孔子以外に知らない。そして、二つを読み比べた場合、孔子の論語はプラトンをはるかに凌駕している。

論語を、何か役に立つ教訓集だと思ってはダメだよ。論語というのは、これは驚くべきことなのだけれど、その一節一節が互いに互いを保障しあい、互いに互いを持ち上げあい、普遍的世界観というものを形成している。この論語的普遍的世界観が妥当なものであったのかどうかという判断なのだけれど、現在、日本や中国がまとまりとして存在しているところを思えば、妥当であったと判定して問題ないだろう。

この論語的世界観の強力さというのは、プラトン的世界観と比べて明らかだ。西洋は、プラトン的世界観を保障するものとして、一神教のキリスト教を必要とした。東洋には絶対神は存在しない。その理由は、論語的世界観が一定以上の強度を持っていたので、社会の秩序を保障するところの絶対神を必要としなかったからだろう。

論語のすごさを知ってもらうには、実際に読んでもらうしかないのだけれど、一つ論語の深さを紹介します。

論語 里仁第四 073 にこのようにある。

「子日わく、人の過ちや、各々其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」

これをどう読むか。 私なんかは、人の振り見てわが身を、みたいな感じで読んでしまう。例えば、東洋哲学の碩学、宇野 哲人は、
「過失を見ると仁者が不仁者かがわかる」
と解釈している。妥当な線だと思う。

ところが、吉田松陰はこの部分を、講孟箚記の告子上第11章の箚記で以下のように解釈している。

「人を殺すは不仁なり、殺すの心は必ず仁なり。仁は愛を主とす。人を愛する。己を愛する。同じく仁なり。もし愛するところなくんば、憎むところなく、殺すところなし」

驚くべき論理を展開している。「論語」の「過ちを観てここに仁を知る」のなかの「ここ」を、過ちを犯した本人その人自身をさしていると、吉田松陰は判断しているわけだ。

そして、この吉田松陰の強力な論語解釈によって、論語の世界観は崩れるのかというと、そうはならない。論語世界はより強化されている。

論語とは計り知れない強度を備えた命令的言論体系なんだよね。


このシステムは磐石ではない、揺れているよ。この現代日本では、多くの人が精神的に苦しんでいると思う。不登校や引きこもり、分裂症や神経症、しかし彼ら彼女らは、なぜ苦しんでいるんだ? 引きこもりは本人の弱さだと言われるけれど、彼らはなぜ弱いんだ? 突き詰めて考えれば、それは自分が自分であるという自己同一性が、ある一定水準以下だからだろう。さらに、自分の自己同一性を高めるための道が、この世界には存在しないとされているからだろう。 

確かに神経症のやつってめんどくさい。どこの職場にも複数いるだろう。細かいことをぐだぐだと、個人的なこだわりがあるのなら、職場でやらずに家でやれ、とは思う。夏目漱石の「こころ」の先生や「行人」のお兄さんとのような神経症予備軍は、回りにとって迷惑千万なんだけれど、やっぱり本人がいちばん苦しいのだろうと思う。  このようなことを言うとなんなのだけれど、救われるためには「論語」を読めばいいと思うんだよね。 論語みたいな忘れられた言説をアピールするというのも、個人的には気が引けるのだけれど。

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福沢諭吉の評価が揺れている。

福沢諭吉は、戦後リベラルの盟主だった丸山眞男に評価されて、戦後においては啓蒙主義のシンボルだった。

確かに福沢は幕末にいち早く西洋文明を学び、明治維新後の西洋紹介において絶大な力を発揮した。「学問ノススメ」は当時100万部発行されたといわれ、西郷隆盛も読んで仲間に進めて回ったという。

福沢は古い日本的因習を憎み、風通しのいい文明化された日本を目指し、圧倒的な言語能力で日本民衆の近代化を後押ししたという事実は疑いえない。

しかしもう一つの福沢観というものがある。
福沢諭吉は、日清戦争で日本が勝ったことを大喜びし、脱亜論を書き、日本は中国や朝鮮などのアジア文化圏から抜け出し、西洋文明の戦列に加わるべきだとも主張した。
この主張がネット右翼の好餌となって、反韓反中の根拠になっている。

この状況をはっきりと言い切ってしまえば、醜い思想の亡者たちが、最後の力を振り絞って光り輝く福沢というシンボルを奪い合っている、ということになるだろう。

福沢の真の価値というのは、時代の変化の中から現れた言説の力であって、自分のポジションを守ろうなどという者たちには、福沢という存在は手に余るだろう。

福沢の論理の根拠は、有り余る力をどのように正しく使うべきか、というところにあり、力を失い自分のポジションに閉じこもろうとする者には、福沢を語る意味はない。

現代における革新リベラルの保守性というのは異常だ。年配者ほど左翼リベラル支持という考えられない現象が生じている。

日本に必要なのは、左翼リベラル的な取り澄ました気取りでもなく、ネット右翼的な引きこもりの陰謀論でもなく、まさに福沢的ざっくばらんな元気だろう。


以下に脱亜論の全文を掲げる

 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、到る處、草も木も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異るに非ずと雖ども、其擧動の古に遲鈍にして今に活潑なるは、唯交通の利器を利用して勢に乘ずるが故のみ。故に方今東洋に國するものゝ爲に謀るに、此文明東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現狀を視察して事實に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を揚げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此を防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一偏の流行病にても尙且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。啻に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活潑の氣風を催ふしたれども、進步の道に橫はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脫すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依賴して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脫したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脫亞の二字に在るのみ。
 我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脫して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云ひ、一を朝鮮と云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政敎風俗に養はるゝこと、我日本國民に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同樣の政敎風俗中に居ながらも遺傳敎育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國相對し、支と韓と相似るの狀は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に戀々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に敎育の事を論ずれば儒敎主義と云ひ、學校の敎旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虛飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道德さへ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尙傲然として自省の念なき者の如し。我輩を以て此二國を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室內に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇齒とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本國のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義俠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの慘酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町內の者共が、愚にして無法にして然かも殘忍無情なるときは、稀に其町村內の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて堙沒するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろ其伍を脫して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡名を免かる可らず。我れは心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。


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丸一年北海道美瑛町の肉牛牧場で働いた経験から言うと、

牧場の仕事はきついです。

人間関係はいい人たちばかりだから問題ないのですが、給料は北海道の最低賃金ですし、仕事内容はかなりの力仕事です。
男性は特にきついところに回されがちですから、男性の場合、平均以上の体力がないと長くはもたないです。

一生続けていくなんて考えにくい仕事ですが、若い時に時間を限って働いてみるというのはありです。大きい牧場なら若い女性もたくさん働いていたりしますから、青春の思い出作りにはなります。

実際にどんな感じなのか、私の体験を書いていきたいと思います。

「白金温泉」の画像検索結果



【北海道の夏と冬】



北海道の夏は涼しかった。7月には草原に大量の赤とんぼが飛んでいて、                         

「もう秋?」
                                                               という感じだった。

草原というのはたとえではなく本当の草原

うちの牧場は美瑛のあちこちに牧草畑を所有していて、夏になるとその牧草を回収しに行く。牧草といっても見た目はただの草。その草をロールべーラーで丸めて、トラックで回収して回る。

私はショベルでトラックにロールを乗せるのをやらせてもらった。トラックも30分に一回ぐらいしか来ない。巨大な牧草畑のど真ん中で、ひとりぽつねんとして赤とんぼを眺めていた。                  

北海道の冬はクソ寒かった。

日中でも氷点下だから、一度降った雪は春まで融けない。樹氷?というのも見たけど、別にキレイだとも思わない。これだけ寒いと木も凍るよねと思っただけ。

冬に牧場の外をショベルで走っていたら吹雪になった。3メートルぐらい先が見えない。世界は真っ白。ショベルも裸ショベルですごく寒い。逃げ出そうかと思ったのだけれど、逃げるところなんてない。何とかショベルで20分ぐらい走って牧場にたどり着いた。                                                    

人生には逃げ出すことのできない場面というのがあるんだな、と思った。


【奇妙な人】



美瑛の牧場にも奇妙な人というのは一定数いた。


その筆頭はやはりあののオジサンだろう。

私が牧場で働き始めて半年ぐらいたった時、40歳ぐらいのオジサンが牧場に新しく入って来た。
身長は165センチぐらいのすんくりむっくりの体型で、目はどんよりしていて性格もかなり気の弱いような感じだった。

これだけだと普通のダメオヤジが来た、というだけなのだが、なんとこのオヤジが小学4年生の女の子を連れていた。さらにこの女の子、将来はかなりの美人になるのではないかと予感させるような顔つきで、礼儀正しく性格は控えめ。牧場には従業員のための食事つきの寮があって私もこの親子もここで生活していたのだが、この女の子は食事の後お父さんの夜食のために大きいおにぎりを3つほど握っていた。

牧場の社長には小学5年の孫娘がいて、孫娘と女の子はすぐ仲良しになったみたい。牧場には社長の飼い犬がいて、よく2人と一匹で遊んでいた。この犬には自分の犬小屋の上に登って降りられなくなるという特技があって、2人で我が家の上で遭難した犬をよく助けてあげていた。

3ヶ月くらいたって、この親子は突然いなくなった。牧場って楽な仕事ではないから、人が突然やめるということはある。しかし一人者なら話も簡単なのだが、親子2人で日本の辺境をさすらうというのはありえるのだろうかと思って。


【チンピラカップル】



秋だったかな。ちょっとオラついた二十歳ぐらいのチンピラカップルが牧場にやってきた

男の方は最初やけに私を睨むんだよ。後で聞いたところによると、これはチンピラの挨拶みたいなものらしい。私とチンピラ男とはすぐ仲良くなって、あいつ
                                                             「mさんって、最初はいやな感じのやつだとおもったんっすけど、じっさいはそうでもないっすね」

みたいなことをなれなれしく言っていた。                                                                                                                

「いっしょにいるの、あれ彼女?」                                                 「かわいいっしょ」                                                          「なに、どうやって知り合ったの?」                                                「東京の百貨店の階段で座っていたのをナンパしたんっす」                                                                                                     

階段に座っていたのをナンパしたというのはリアル、今でもはっきり覚えている。
たいしたものだよね。カワイイと思った女の子をナンパして、仲良くなって北海道まで引っ張ってくるんだから。
                                                                                      うちの牧場に、柴田という独身のベテラン40男がいた。母親と二人暮らしで、母親は牧場の寮のまかないの仕事をしていた。こいつは何かにつけて威張るいやなやつだった。柴田がチンピラカップルをうらやましそうに見ている。そして、
                                                                 「オイお前、夜はお楽しみなのか?」
                                               とか言っちゃうんだよね。私は、人間こうはなりたくないと思った。お前も若いころに階段に座っている女の子をナンパすればよかったのに、

ああでも残念もう手遅れだけどね、

と思った。                                                                                              

かっこつけすぎるとろくなことがない


【インパクトのあった村岡さん】


牧場で一番インパクトのあった人っていうのは、やっぱり村岡さんだね。

村岡さんは私より3ヶ月ほど後に牧場にやってきた。年は30歳ぐらいか。顔がすごく大きくて、目鼻立ちがはっきりしていて、髪型がリーゼントという。目力がすごくて、おまえ魁!男塾かよっていう第一印象だった。
人間としてはすごくいい人だった。情に厚くて思いやりがあって、でもちょっと暑苦しい感じではあった。                                       

牧場の人とはよくカラオケに行った。今はどうなのかよく分からないのだけれど、20年前、特に美瑛では若い男女が手軽にきゃいきゃいできるのはカラオケぐらいしかなかった。

今考えてみると、彼氏彼女のいる人は歌を歌うのだけれど、いない人は恋愛トークみたいなことだったのだろう。私は結婚しているのでブルーハーツを歌い、村岡さんはナンパトークに勤しむというパターンだった。
                                                                                                   私は正直、村岡さんは彼女をつくるのは難しいのではないかと思っていた。20年前、1995年当時というのは男女関係の変わり目の時代で、男が前、女が後ろという昭和的な型にはまった男女関係が崩れ始めて少したった時だった。                                                                                                                                  

冬だったかなー。村岡さんが私の隣に来て、                                       

「俺、付き合うことになったんだ」                                                 

と言うんだよね。
                                                         「誰と?」                                                              「あいつだよ」                                                            

村岡さんは、女の子たちの中で一番地味な子を私に目配せする。
男と女は時代的な条件を超えて求め合うのだと思ったよ。村岡さんと一番地味な地味な女の子は、そのあと隣あって、村岡さんが何か喋ると女の子がうつむきながらうなずくという、そんなシチュエーションを繰り返していた。
                                                                                             「俺がおまえを守るから」
「うん」                                                                                                                                  

こんな愛のささやきだったのかな。                                                                                                                

お互いがお互いの胸を掘り崩した
                                                 こういうのも悪くないよね。


【私は川崎に彼女を置いて美瑛に来ていた】


美瑛では自宅の周りの草を夏場に一回刈らなくてはいけないというルールがあった。自宅の周りと言ったって、北海道の牧場となると、それは莫大だ。私一人が専属で、10日ぐらいずっと草刈をしていたことがあった。

想像してみて。北の大地で何日も肩掛けタイプのあの草刈機で草を刈る。                                                                                          

そんな夏のある日、私の彼女が川崎から美瑛に遊びに来た。牧場を休んで、二人で近くの温泉に行った。

白金温泉というところだったと思うんだけど。泊まったのはやけに寂れた温泉宿で、やっぱり二人は若くてあまりお金がなかったのかな。
                                                                                             まあでも、新婚夫婦には温泉宿のグレードなんてのはたいしたことではない。愛を語って、やることをやってだね、幸せな眠りにつくだけだ。気持ちよく寝たのだろう、

そして私は夢を見た。
                                                                                         北の大地に草原がある。風が吹いて、草がざわざわとゆれるんだよね。ここまでは普通なんだけど、その後何かが私の心臓をぐっとつかんで、瞬間私は草を刈らなくてはいけないと気がついてしまった。

私はなんてバカなんだ、

ぼんやりと草が風になびくのを眺めていたなんて、私のやるべきことは草を刈ることだろうみたいな。

私は布団を跳ね除けて、廊下への扉を開けたときに、ここは草原ではないということに気がついた。おずおずと妻のいる布団に再びもぐりこんだ。
                                                                                                                 あれから20年たった。子供も4人生まれた。上の男の子は19歳になる。妻にはいまだに、              

「お父さん、草刈らなきゃ!! って言いながら廊下に飛び出したんだよ」
                        
と言われるんだよね。ニヤニヤしながらいきなりこれを言う。北海道と言う単語が出るたびに、            

「そういえば、北海道でおとうさんは草刈らなきゃ!! って言いながら廊下に飛び出したんだよ」            

初めてこれを聞いた子供は、                                                 

「何でお父さんは草を刈るの?」                                                「何でお父さんは廊下に飛び出すの?」                                             

と尋ねる。うーん、何でだろうね。
                                                                                                                 いやほんとにごめんなさい。私があなたを置いて北海道に行ってしまったのは、全く私が悪かったです。またあの温泉に、あの牧場にみんなで行きましょう。


【最後、牧場の労働条件について】

                                                これは最低だったね。

私の勤めていた牧場は、日給が5000円の日給月給で、労働時間は朝の7時から夜の6時まで、途中1時間半の昼休みがあった。実働9時間半だ。おそらくこの時点で、20年前の北海道最低賃金は下回っていただろう。さらにこれに、朝20分程度のサービス早出労働推奨と、夜の6時から20分程度のミーティングが加わる。正直実働は一日10時間越だ。
                                               あと休日なんだけれど、これがないんだよね。祝日とか日曜日は存在しない。ただ日曜日だけは午前の10時から午後の4時まで拡大版昼休みが存在した。一日休みたい人は事前に報告するんだけど、これも1ヶ月に2日以内という暗黙の了解があった。
                                                     産業革命時のイギリスの労働者ももうちょっとマシだろうというレベルだ。ここで1年持てばよそでは10年もつといわれたけれど、それはそうだろう。そんな言説は自慢にならないよ。
                            
今になって思うのは、北海道の牧場というのは、自分探しをする若者の労働力を搾取する場所だということ。そして経営者が儲かっているかといえば、別にそういうわけでもない。社長自身が年中無休一日10時間労働だったから。
                                                                      あれから20年たって北海道の労働条件もかなり変わったと思う。ただ首都圏に比べれば労働が安くてきついのは変わりがないだろう。実際に1年間牧場で働いた人間としては、あえて北海道で働くということは推奨できない。確かに北の大地で精神が鍛えられるということある。だけど精神鍛錬なんてどこでだってできるから。


底辺会社で働く人というのは結婚がしにくいのだけれど、うちの会社の場合、自分の会社で働く社長の息子すら結婚していない。ちなみに現在45歳だ。
これまずいでしょ。取引先の信用とかにも関わってくるからね。



何で結婚しないのかって、こいつに聞いたことあるんだよね。さしで飲みながら、おだてて飲ませておだててみたいな感じで。

彼の告白というのが、まあ昔恋人はいたというので始まる。
二十歳ぐらいの時に、その恋人と二人でバイクでツーリングに行ったというんだよね。事故で彼女は死んで、彼はひとりで戻ってきたという。

後細かいことをいろいろ喋っていたけど、いろんな意味で絶句。こんな辛気臭い昔話なんて催促しなきゃよかったと思った。
昨日今日の話なら同情もするけど、だいたいさー、20年も前の話なんだよ。正直、お前いったいいつまで昔のことを、みたいなことを思った。

「アンドロイドは羊の夢を見るか?」という小説があったけれど、「君は彼女の夢を見るか?」だな。真夜中に死んだ彼女の夢を見て、朝起きたら夢のことは忘れているのだけれど、こめかみに涙の後だけ残っている、なんていうこともあるような勢いだ。

残された者のひけめというのも分からないではないけれど、これから会社をまとめていかなくてはならない、心を強くして生きていかなくてはならない者が、20年も前に死んだ恋人に操をささげているというのでは関係者としては心許ない。
喪失感って言うの? 村上春樹ばりの。でもここはセンシティブな上流階級のサロンではない。殺伐とした底辺世界なんだよ。場違いにもほどがあるだろう。喋らせた私も悪いのだけれど。

底辺会社の二代目三代目というのはこの程度です。

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底辺の仕事で働く人たち 【中産階級の知らない底辺世界紹介】


洞窟の比喩とは簡単に言うと、仮象の世界と真実の世界とがあるのなら、人は仮象の世界から真実の世界へ移行するように努力するべきだ、ということを洞窟に閉じ込められた人々を例として述べたものだ。
映画「マトリックス」みたいな話。

ここで大事なのは、仮象の世界と真実の世界とをどのように区別するのか、ということだ。これ、じつは簡単ではない。この今、生きている世界が仮象なのか真実なのか、下手なことを言うと、精神病あつかいされたりするし。

夢と現実との区別というのは難しくて、厳密に二つを区別するという事は原理的にできない。
だからプラトンは、洞窟の中と外という極端な比喩を用いて、夢と現実の区別をつけようとした。

すなわち、より巨大でより整合性の高い世界観を「現実」だとプラトンは洞窟の比喩によって示したことになる。

関連記事
プラトンにおける正義とは何か、についての結論




桜庭一樹さんの小説を紹介しながら、彼女がラノベ作家から直木賞作家へ飛躍した謎を解きます。

目次
1 少女七竈と七人の可愛そうな大人
2 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない
3 ファミリーポートレイト
4 結論





【少女七竈と七人の可愛そうな大人】



とびきり顔の造作が美しいとされる高校3年生の女の子の日常生活を描いた小説でした。

この小説世界における整合性の根拠は、主人公の女の子の「かんばせの美しさ」だけです。
正直、こういうのはどうかなと思います。言葉で美しいと言われても、ここは漫画ではなく小説世界なのですから、美しさの実感みたいなものがつかめないです。
私の過去の美少女の記憶というものを、この少女に当てはめていけばいいのでしょうが、そこまでする必要も感じられないです。

個別の女性の美しさに関する価値判断というのは、ほぼ男性の性欲に依存しているわけで、あまりこだわるほどのことでもないと思います。
美しいとされる若い女性を男性が過度にちやほやして、何だか勘違いしてしまった女性というのはいっぱいいます。
私はトラックの運転手をしているのですが、無理な割り込みをしてくるのは、だいたいにおいてかつては美しいとされていたであろうオバサンです。男は自分に譲ってくれるものだと勝手に判断しているのでしょう。迷惑千万です。

少女の顔が人並み以上に整っているからと言って、それだけで小説の整合性の根拠になると考えるのは甘すぎます。さらには女性の人間性に対する冒とくです。
この小説が何かの漫画のノベライズというのであれば、もしかしたら許容範囲かとも思うのですが、そうではないのでしょう? 


【砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない】

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)

13歳の中学生の女の子が主人公です。クラスに転校生がやってきて仲良くなるのですが、一カ月もしないうちに、その転校生が父親に殺されてしまうという話でした。

この小説の題名は「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というものなのですが、なぜ弾丸を撃つのかということについて私の仮説を展開します。
例えば本文にこのようにあります。

「藻屑(転校生の名前)。藻屑。もうずっと、藻屑は砂糖菓子の弾丸を、わたしは実弾を、心許ない、威力の少ない銃につめてぽこぽこ撃ち続けているけれど、まったくなんにも倒せそうにない」

この弾丸というものが何かの隠喩だろうと普通は考えると思うのですが、実際はそうではなく、もっと直截的なものです。
「見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる、本当の声を聞かせろ」
という意味です。
これはブルーハーツの「トレイントレイン」の歌詞です。桜庭一樹はこの「トレイントレイン」のイメージを膨らませてこの小説を書いています。

なぜそのようなことが言えるのかといいますと、桜庭一樹の「ファミリーポートレート」という小説の中に、ブルーハーツの真島昌利作詞作曲の「青春」と全く同じイメージの高校が出てきます。校庭の隅に姫林檎の実がなっていて、音楽室では少年がジェリーリースタイルでピアノでブギーを弾いています。「青春」の歌詞そのままです。
同じく「少女ナナカマドと七人の可愛そうな大人」では、主人公の女の子は鉄子で、部屋の中に鉄道模型を作って眺めるのが趣味です。これは結局、「栄光に向かって走るあの列車に乗っていこう」ということで、これも「トレイントレイン」の歌詞です。

ですから、この小説で彼女たちがポコポコ撃っているものは、比喩としての弾丸ではなく、見えない銃に込められた弾丸です。

この小説は転校生の女の子が、転校して一カ月で父親に殺されるという救いのない内容なのですが、小説内の雰囲気は全く救いがないというものではないです。それはなぜかというと、
「ここは天国ではない、かといって地獄でもない」
からです。

桜庭一樹は1971年生まれということで、リアルのブルーハーツ世代です。女性でブルーハーツファンというのも珍しいと思います。

おまけ解説

あのラストが悲しすぎる理由なのですが、
10年に一度、同じ月の同じ日に嵐が来ると藻屑は思い込んでいます。それは結局、
「世界中に定められたどんな記念日なんかより、あなたが生きている今日はどんなにすばらしいだろう」
ということになるでしょうし、
藻屑がバラバラにされて積み上げられて置かれるというのは、
「世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより、あなたの生きている今日はどんなに意味があるだろう」
ということになると思います。


【ファミリーポートレイト】

ファミリーポートレイト (講談社文庫)

第一部「旅」

コマコは5歳から14歳まで、何かから逃げるように母親と二人で日本の諸都市をめぐります。母親は老人しかいない町で病院の受付をやったり、そこを逃げ出したら次は温泉街で温泉芸者をやったり、またそこを逃げ出したら次は豚の解体工場で働いたりとか。
ロクでもない母親なのですが、そんな母親でもコマコは大好きで、何と言いますか、母親とコマコは互いに依存しあうような関係です。

この本の解説で、
「桜庭一樹という作家は、現実味のないことを、たじろぐくらいの現実味をもって書く」
なんてありましたが、親子で日本の辺境をめぐる人々というのは実際に存在しますよ。

私、20年ちょい前に北海道の美瑛の肉牛牧場で何年か働いていたことがあります。私が何年か暮らした経験をもとに言いますと、北海道在住の方には申し訳ないのですが、北海道の東半分というのはほとんど日本の果てみたいなところです。
そんな場所の牧場に、40ぐらいのさえないオジサンが働かせてくれといって来ました。体形はずんぐりむっくりで、気が弱そうで口数も少なくて、正直ちょっとトロいような感じのオジサンだったのですが、なんと小学4年の女の子を連れているのです。
この女の子はお父さんと全然似ていなくて、口元はキリっと引き締まり目は知性的で、将来はかなりの美人になるのではないかと予感させるような容貌でした。
牧場には従業員のための寮があって、まかないもついていました。その小学4年の女の子は、毎晩お父さんの夜食のためにといって、余ったコメで大きいおにぎりを3つ作っていました。
お母さんはどうしたの? とか聞きにくい話もそのうち聞こうかと思っていたのですが、その父娘は3か月ぐらいで牧場からいなくなってしまいました。

実話です。

あの父娘って何だったのか、20年以上たっても今だに不思議に思います。


第2部「セルフポートレイト」

コマコが14歳の時に、母親は冷たい湖に飛び込んでそのまま居なくなってしまいます。コマコの一人旅が始まります。
この後の流れとして、

コマコ、高校に行く
コマコ、文壇バーでバイトする
コマコ、小説家デビューする
コマコ、出奔して喫茶店でバイトする
コマコ、小説家に復帰して直木賞をとる

となります。

コマコの通っている高校の校庭の隅には姫林檎の木があって実をつけています。音楽室からはブギーの音色が聞こえてきて、覗いてみると少年がピアノを弾いているのです、ジェリー・リースタイルで。
これはブルーハーツです。正確に言うとハイロウズの「青春」です。
コマコは導火線に火が付いたりします。ブルーハーツの「旅人」です。
コマコは幻の銃の引き金を引いたりします。見えない銃を撃つわけです。ブルーハーツの「トレイン・トレイン」です。

コマコは長編小説に挑もうとするのですが、そのコンセプトというのが、

「たくさんの人物が様々な舞台で同時に演じる、多声性に満ちた長い物語だった。最初はこの大人数の中で果たして誰が主人公なのか、作者の自分にもよくわからなかったのだけれど、次第に一人の男の子が、おれだよ、と舞台から立ち上がりだした」

というものです。
コマコ、やけに大きく出たのではないでしょうか。モノローグではなくポリフォニー(多声性)の長い物語で、次第に少年が主人公として立ち上がるというのでは、まさに「カラマーゾフの兄弟」です。コマコを通り越して、桜庭君、ちょっとハッタリかましすぎなのではないの? などと思ってしまいました。

このように第2部にいたって、全部を拾うことはできないのですが、いろんな事象をごった煮的にぶち込んできている感じです。これはこれで悪くないです。

トータルでこの小説はかなり出来がいいと思いました。第1部「旅」がコマコの生きる根拠になっていて、第2部「セルフポートレイト」でコマコがその根拠を表現しようとするわけで、トータルでの整合性は取れています。
同じ作家の「少女七竈と七人の可愛そうな大人」を読んだときは、これはラノベレベルだな、と思ったのですが、この「ファミリーポートレイト」は水準を超えた小説になっているのではないでしょうか。

【結論】

桜庭一樹さんはブルーハーツをオマージュすることによって、ラノベ的軽さから脱却したということだと思います。









恩田陸の小説は、ちょっとわかりにくいところがあるのですが、そのへんを解説しながらおすすめ本を紹介していきたいと思います。

目次
1 六番目の小夜子
2 黒と茶の幻想
2 黄昏の百合の骨
4 Q&A
5 ねじの回転―February moment





【六番目の小夜子】


内容は、高校生の青春と後ちょっとオカルトみたいな話だった。全体として悪くない。
高校時代を思い出した。でも私が通っていた学校は、こんな青春学校ではなかったのだけれど。進学校というところは同じなのだけれど、岡山県のド田舎にある中高一貫の全寮制の男子校という、シャレたオカルトよりも横溝の金田一のほうが似合うような場所だった。
とにかく最悪だった。周りのやつらは、医者、歯医者、税理士、大学教授などの息子が多かった。親が自分の跡を継がせようというので、子供をスパルタ式の進学校に押し込んだということなんだろう。私は八百屋の息子で、高校生なのに場違いなところにいるという感覚があった。
大学に入って、体育会男女バレー部仲間と名古屋の東山動物園にピクニックに行った。みんなでワイワイ弁当を食べている時、
「世の中にこんな楽しいことがあるんだ」
と感動したことを覚えている。

この小説の沙世子というのはすごい美人で、美女は権力の源泉だみたいな設定になっているのだけれど、世の中、美人にへつらう馬鹿男ばかりでもないだろう。面の皮1枚で権力でもないと思うけど。


【黒と茶の幻想】


恩田陸「三月は深き紅の淵を」という小説の中で、繰り返し語られた、決して読むことの出来ない幻の本がありまして、実際に書かれた小説がこれということになりますね。


ストーリーは、学生時代の友人である利枝子、節子、彰彦、蒔生(まきお)。
30代後半になった彼らは久しぶりに再会し、伝説の桜を見に行くという目的で、屋久島散策に出かけるというもの。

大学時代の友人である梨枝子、彰彦、蒔生、節子の男女4人が40歳近くになって、屋久島に3泊4日の旅行に行って、学生のころの謎についていろいろ話し合う。

謎といってもたいしたものではない。あのカップルはなぜ別れてしまったのかとか、あの変わり者だった同級生の女の子は今どうしているのかとか、基本的に私たちの同窓会での会話と大差はない。

でもこういうのってすごく楽しかったりする。

男同士で過去を語り合ってもたいしたことはないのだけれど、そこに女性が加わると話の厚みがぐっと増すというのはある。「黒と茶の幻想」は全編そんな感じですごく面白い。

「黒と茶の幻想」での謎を紹介してもいいのですが、こういうのは雰囲気を楽しむもの。

ですから、この本を読んで思い出した、かつて私の参加した同窓会で語られたある男と女の謎とその解答を書いてみたいと思います。


私は大学時代は体育会でバレーをやっていた。男子バレー部と女子バレー部は仲がよかった。私と同学年に高林という男がいて、こいつはうちの大学バレー部のスーパーエースだった。

高林は190近い長身で頭の回転も速かった。女の子に十分もてるレベルだったろう。ただ性格がゲスだった。私は彼のゲスなところが嫌いではなかったけれど。

この高林は1学年下の女子バレー部の女の子と付き合っていたのだけれど、卒業後に2人は別れてしまって、高林は彼女をストーカーするようになったという。互いに大人だしそのうち折り合いをつけたのだろう。別に事件なんていうものにも発展しなかった。よくある話だろう。

20年の時が流れた。

名古屋の名駅の裏の居酒屋で同期の男子バレー部と女子バレー部の同窓会があった。女の子はかわいいまま、昔と変わらない。お前ら美魔女か。

二次会になる。メンバーも絞られる。高林の話になった。なんで高君はストーカーなんてしたのかっていう、熟成された「謎」の登場だ。

まず私が、

「あいつは性格がゲスいから、ストーカーなんていかにもやりそうだ。結局、自分に正直なんだと思うよ」

といってみた。するとある女の子が、

「でも高林君って性格ゲスいかな? 今日も一次会に子供連れてきて、子供を可愛がってたじゃん?」
と言う。まあまあ、高林も立ち直ったのかもしれないねなんて言おうと思ったら、今までニコニコ話を聞いていた我らが女バレのヒロインが、突然このようなことを言う。

「そういえば私、高林君に言われたことがある」

「何を?」

「一発やらせろって。体育館の裏で。減るもんじゃないんだから一発やらせろって。最低って思った」

すばらしい告白だ。ここちょっと押してやれ。

「高林は、そのことをヒロインにだけ言ったのかな?、他の女の子には言っていないのかな?」

「絶対言っているよ。高林君のあの彼女も言われてるよ。あの子、真面目だったから真に受けたんじゃないの?」 

「ゲスいことを言って付き合って振られてストーカーというんだから高林は確かにゲスいでしょう? そこがアイツの正直なところなんだけれど」



謎はすべて解けた。



今回は真理を私の論理に引き付けて解決したけれど、引き付けて引き付けられて、そして謎が解決されていくならすごくリアルで楽しいだろう。

でも年をとるとなかなか旧友と時間を合わせてかつての謎を解くなんてのもまれなわけで、3泊4日の旅行で過去と向き合えるこの小説の主人公たちがうらやましい。

この小説は、これだけ読んで面白いというものでもないだろう。若いころに男女のグループで真剣にかつ軽い感じできゃいきゃいやった世代向けだと思う。


【黄昏の百合の骨】


シリーズものの二作目。一作目に「麦の海に沈む果実」。この後も続くっぽい流れで「黄昏の百合の骨」は終わっていた。
でも、この二作目だけ読んでも別段問題はない。私も前作は存在も知らなかったけれども話は通じた。ただ主人公の女の子が軽く過去を回想したりしてて、例えば
「彼女を見ていると、あのツインテールの女の子を思い出す」
とか語られた時に、
「ツインテールの女の子って誰?」
みたいなことにはなる。

「黄昏の百合の骨」は、猫が死んだり、主人公の叔母さんが事故死したり、友達の友達の男の子が行方不明になったり、ミステリー仕立てにはなっている。しかしこの小説の力点というのはそこにはない。
主人公の女の子は不合理の世界に生きているのだけれど、合理的な世界も理解できるみたいな。言い換えると、主人公の女の子は闇の世界に生きているのだけれど、光の世界も理解できるみたいな。さらに言い換えると、主人公の女の子はマージナルな世界に生きているのだけれど、価値序列的な世界も理解できるという設定になっている。その設定はこの小説の設定というより、恩田陸の小説世界の設定だろうと思う。
いかにも女性作家らしい設定だと思う。

恩田陸の作品に、ホラー味があるのも女性の美しさに異常な価値が付与されているのもこの設定の結果だろう。「黒と茶の幻想 」という恩田陸作品の中でアラフォーのキャリアウーマンが、
「私の仕事って結局、男の子のゲームにただ混ぜてもらっているだけだ」
と独白する場面があるのだけれど、この告白も恩田陸的小説世界設定の延長線上にあるだろう。

恩田陸的小説世界の成立の根拠というのは、やはりここ20年ぐらいの女性の社会進出に伴う日本社会の価値観の変化というところにあると思う。
この小説世界的な気持ちはわかるのだけれど、女性の美しさに異常な価値を付与するというパターンは控えた方がいいと思う。私は男だけれど、私のお尻の形で私の人間性を判断されたりしたら、ちょっと気がめいるだろうというのはある。


【Q&A】


大型ショッピングモールで原因不明のパニック型事故が起こり何十人も死亡する。この事故にかかわった人たちの対話によって事故原因が明らかになるだろうという体裁でこの小説は成立している。

事故原因なるものは明らかにならないままこの小説は終わる。

恩田陸には、真理は明らかにされるべきだというミステリーの基本的枠組みを踏襲する気などさらさらないのだろう。

恩田陸の小説パターンというのは、何か不条理な事象が与えられて、その不条理を受け入れられる人間と受け入れられない人間との相克というものだ。恩田陸の小説世界では不条理を受け入れられる人間を優位に描いているので、不条理は解明されるはずもない。

恩田陸的不条理というのは、特別な女性を神輿の上に掲げながら進行していく。「黒と茶の幻想」では一人芝居をする美人女学生だったし、「ねじの回転」ではネコだったね、ネコ。この「Q&A」では、事故後のショッピングモール内を血塗られたぬいぐるみを引きずって歩く二歳の女の子。

特別な女性を伴って進行する不条理現象とは、すなわちこれ祭りだね。ショッピングモールのパニック事故も祭りの様相を呈している。

祭りの内部においては、なぜ祭りなどというものがあるのかと問うような合理性はさかしらであって、大きな一体性にわが身を任せることが重要とされる。

「Q&A」でも、パニック事故の原因を確定しようとする者は排除されている。

祭りにおいては時間の観念も重要だ。合理的世界観においては、時間とは無限の過去から無限の未来に向かって進歩発展をともないながら一直線に進むもの、という認識になる。ところが、祭り世界においては、時間は循環するという認識になりがちだ。ニーチェ永劫回帰もこのパターンだろう。

「Q&A」でも、祭り上げられた特別の少女のところに、突然未来の本人が尋ねてきていろいろアドバイスをする。今の少女も未来ではかつての自分のところに戻り同じアドバイスをするようになるだろう。完全な時間循環とはいかないけれども、何らかの循環が期待されている。そもそも、恩田陸はそのような時間循環を期待して、未来の少女が現代の少女を突然訪ねてくるというSF的な設定を、この小説に突然割り込ませてきたのだろう。


【ねじの回転―February moment】


二二六事件を読みやすいタイムトラベルSFで紹介しようという、二二六事件ファンにはたまらない一冊(上下で二冊なんだけれど)。

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二二六事件に至る経緯をより知りたい方はこちら
 

二二六事件はそもそもが評価の難しい事件だ。それをSFという手法を用いて現代の世界観と関係付けながら表現しようというのだから、この小説はある種のチャレンジだろう。
恩田陸はこの難しい設定をどう解決するのだろうと思いながら読んでみた。

SFだからこの小説内においては21世紀には時間遡行の技術が存在していることになっている。現代の国連は、正義と称し過去に遡ってヒトラーを暗殺したらしいのだけれど、結果さまざまな時間的ひずみが生じて歴史のタガが緩んでしまい、国連が二二六事件当時の日本にも介入しなくてはならなくなったという。
国連職員は二二六事件に関与した安藤輝三と栗原安秀の協力を得ながら歴史を確定しようとするのだけれどなかなかうまくいかないという流れで話は進んでいく。

ヒトラーを暗殺したらしい国連が二二六事件に介入するという設定の結果が、政治思想的に読む者を限定するようになるのではないかと最初は思ったのだけれど、そうでもないね。国連の事務の現場のみを描くことによって、政治的にセンシティブな問題はほとんど回避されている。
ただこのSF小説の中で石原莞爾が

「日本は父親を必要としているだけなんだ。明治維新前、それは中国や朝鮮だった。明治維新後、 父親はヨーロッパになった。今の日本は父親を失って苦しんでいるだけだ」

みたいなことを言わされていた。戦後の日本の父親はアメリカだということなのだろう。挑発的な発言ではあるだろうが、女性作家に言われたのでは腹も立たない。

この小説では、安藤や栗原がリアルな感じでしゃべったり行動したりするのがじつにいい。栗原が国連職員にこのように啖呵を切る。
「おまえら安藤大尉がただの善人だと思ったら大間違いだぞ」
いいぞ栗原、もっと言え。

おまけ。
二二六事件をもっとよく知るための、二二六事件名場面ベスト3。

 第3位
二二六事件で生き残った将校の50年後の座談会での清原康平の発言。

「226の精神は大東亜戦争の終結でそのままよみがえった。 あの事件で死んだ人の魂が、終戦と共に財閥を解体し、重臣政治を潰し民主主義の時代を実現した」

反論の出やすい発言だろうと思うけれど、清原はこの発言の上にさらにこうかぶせてきた。

「陛下の記者会見で、
 記者 おしん、は見ていますか
 陛下 見ています
 記者 ごらんになって如何ですか
 陛下  ああいう具合に国民が苦しんでいるとは知らなかった
 記者 226事件についてどうお考えですか
 陛下 遺憾と思っている

遺憾と思っているという言葉で陛下は陳謝された」

 第2位
磯部浅一 「獄中手記」

「天皇陛下、この惨たんたる国家の現状をご覧ください、陛下が私共の義挙を国賊反徒業と御考え遊ばされているらしいウワサを刑務所内で耳にして、私共は血涙を絞りました。
陛下が、私共の義挙を御きき遊ばして
 日本もロシアのようになりましたね
ということを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間、気が狂いました」

いかんね。ロシア革命というのは貴族と庶民とが懸絶してしまった結果起こったもので、日本一体性のアンカーである天皇自らが、日本もロシアのようになりましたね、では何がなんだかわからない。磯部はさらにこのように続ける。

「日本もロシアのようになりましたね、とはいかなる御聖旨かわかりかねますが、何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシア革命当時のそれであるという意味らしいとのことをそくぶんした時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
天皇陛下 何という御失政でありますか 何というザマです 皇祖皇宗に御あやまりなされませ」

そりゃあ言われるよ。言われてもしょうがない。

 第1位
安藤輝三部隊の鈴木貫太郎侍従長公邸襲撃

安藤大尉は、拳銃の弾を4発打ち込まれて倒れた鈴木貫太郎にとどめをさそうと軍刀に手をかけた。夫人が侍従長をかばうように体を投げ出すと、安藤大尉は彼女の気持ちにうたれて思いとどまり、折敷け! と命じて自ら黙祷し、立ち上がると、

「閣下に対し、捧げ銃(つつ)!」

と挙手の礼をし、静かに部屋を出て行った。
鈴木貫太郎は回復し、終戦時の総理大臣となりポツダム宣言を受託した。
後、鈴木貫太郎は安藤大尉は命の恩人であると語っていたという。




以上、恩田陸おすすめ小説5選でした。







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