magaminの雑記ブログ

2019年01月

東京メトロ東西線の神楽坂駅から早稲田通りを通って、神楽坂下まで歩いてみます。

コボちゃんの銅像がありました。

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作者の植田さんは、神楽坂地域に35年以上居住しており、「コボちゃん」も連載初回の原稿が神楽坂で書き上げられた「神楽坂生まれ」

ここは神楽坂上交差点


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100メートルほど行くと、文房具の相馬屋があります。

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「明治の中期に、和半紙だった原稿用紙を尾崎紅葉の助言で洋紙にして売り出したのが「相馬屋製」。 夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちにご愛用頂きました」

とのことです。

さらに下って、善國寺神楽坂毘沙門天

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本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。


すぐに、「五十番 肉まん」です。

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ここぐらいまで歩くとお腹もすいてきます。
神楽坂で私がよく行くのは、



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おしゃれで値段も手ごろで、ゆっくりおいしくフレンチがいただけます。

最後は、「ペコちゃん焼き」を買って帰ります。

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ペコちゃん焼きは、日本でここだけだそうですよ。

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今日は、飯田橋の駅から早稲田通りに入って、神楽坂仲通りに曲ってみたいと思います。

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仲通りを進むと大きな通りになりまして、その坂が「軽子坂」です。

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軽子とは軽籠持の略称であり、今の飯田濠にかつて神楽河岸があり、 船荷を軽籠に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられたそうです。


軽子坂から、「かくれんぼ横丁」に入ります。

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かくれんぼ横丁の入り口になります。
石畳の小道が続きます。

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いい雰囲気ですね。

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本多横丁に抜けました。

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本多横丁の由来になったのは、旗本「本多家」のことです。

本多横丁を左に曲がって行き、神楽坂通りに戻る手前に
「五十番 肉まん」があります。

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昔、父親が「伝説の肉まん」なるものを買ってきたことを思い出しました。

ここぐらいまで歩くとお腹もすいてきます。
神楽坂で私がよく行くのは、



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おしゃれで値段も手ごろで、ゆっくりおいしくフレンチがいただけます。

最後は、「ペコちゃん焼き」を買って帰ります。

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ペコちゃん焼きは、日本でここだけだそうですよ。

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神楽坂のフレンチレストランの中でもカジュアルな「ル コキヤージュ」



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人気のフレンチカフェ・レストランは、ランチタイムにはすぐに満席らしいです。ランチには予約をしておくことをおすすめか。女子会などにも。一人で訪れるのはきつそうなフレンチ店です。

アミューズ、前菜2皿、メイン、デザート、カフェ!前菜やメイン料理にガレットも選べる全5皿  5,000円

フレンチカフェレストラン 神楽坂 ル コキヤージュ - フレンチカフェレストラン 神楽坂 ル コキヤージュ - フレンチカフェレストラン 神楽坂 ル コキヤージュ - 築地より鮮魚のポワレフレンチカフェレストラン 神楽坂 ル コキヤージュ -

アミューズもついて、ガレットも選べるなんてすごいです。意味はよく分かっていないのですが。


【神楽坂 ル コキヤージュ 鉄板手土産!テリーヌ ドゥ ショコラ】





「当店のグランシェフである小川賢人は、日本におけるフランス料理、フレンチレストランの草分け的存在のマキシムドパリ銀座店にてソーシエを務めた後、パリ本店での修行を経た池田氏に10年師事いたしました」

とホームページにあります。
その小川賢人なる人物の写真がこちら

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そりこみ具合に、個人的には親近感がわきます。

テリーヌドゥショコラ

神楽坂のル コキヤージュのテリーヌドゥショコラ。

 先日いただきまして。 説明書によると、三種類のクーベルチュールチョコレートを使用し、焼き加減をミディアムレアで仕上げたガトーショコラということでしたが、食べてみると濃厚で、カカオの香りが強く中心部はレアで、口の中でとろける感じ。 
ネット注文も出来るようですので、私もまた機会があれば購入してみたい? 


【神楽坂 ル コキヤージュ 鉄板の贈り物!テリーヌ ドゥ ショコラ】


















 第3位
二二六事件で生き残った将校の50年後の座談会での清原康平の発言。

「226の精神は大東亜戦争の終結でそのままよみがえった。 あの事件で死んだ人の魂が、終戦と共に財閥を解体し、重臣政治を潰し民主主義の時代を実現した」

反論の出やすい発言だろうと思うけれど、清原はこの発言の上にさらにこうかぶせてきた。

「陛下の記者会見で、
 記者 おしん、は見ていますか
 陛下 見ています
 記者 ごらんになって如何ですか
 陛下  ああいう具合に国民が苦しんでいるとは知らなかった
 記者 226事件についてどうお考えですか
 陛下 遺憾と思っている

遺憾と思っているという言葉で陛下は陳謝された」

 第2位
磯部浅一 「獄中手記」

「天皇陛下、この惨たんたる国家の現状をご覧ください、陛下が私共の義挙を国賊反徒業と御考え遊ばされているらしいウワサを刑務所内で耳にして、私共は血涙を絞りました。
陛下が、私共の義挙を御きき遊ばして
 日本もロシアのようになりましたね
ということを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間、気が狂いました」

いかんね。ロシア革命というのは貴族と庶民とが懸絶してしまった結果起こったもので、日本一体性のアンカーである天皇自らが、日本もロシアのようになりましたね、では何がなんだかわからない。磯部はさらにこのように続ける。

「日本もロシアのようになりましたね、とはいかなる御聖旨かわかりかねますが、何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシア革命当時のそれであるという意味らしいとのことをそくぶんした時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
天皇陛下 何という御失政でありますか 何というザマです 皇祖皇宗に御あやまりなされませ」

そりゃあ言われるよ。言われてもしょうがない。

 第1位
安藤輝三部隊の鈴木貫太郎侍従長公邸襲撃

安藤大尉は、拳銃の弾を4発打ち込まれて倒れた鈴木貫太郎にとどめをさそうと軍刀に手をかけた。夫人が侍従長をかばうように体を投げ出すと、安藤大尉は彼女の気持ちにうたれて思いとどまり、折敷け! と命じて自ら黙祷し、立ち上がると、

「閣下に対し、捧げ銃(つつ)!」

と挙手の礼をし、静かに部屋を出て行った。
鈴木貫太郎は回復し、終戦時の総理大臣となりポツダム宣言を受託した。
後、鈴木貫太郎は安藤大尉は命の恩人であると語っていたという。



信用枠で6301コマツを4000株買っていて、含み益が80万ほどになってきました


NT倍率とかも見て、もっと丁寧に相場を見ていかなくてはならないのですが


明日、強い場面があればいったん売って、押したところを買いなおしたいと都合のいいことを思っております

チャート画像






川上弘美の「センセイの鞄 」は、アラフォー女性と70代男性とのプラトニックラブの話だと思った。



amazon.co.jpで確認


この本を20代30代のころに読んだとしたら、大人になってプラトニックラブなんてありえない、とにかくやらなきゃ意味ないよなんて思っただろう。48歳にもなると、不思議なことに「やらなきゃ意味ない」とか思わなくなってくる。「センセイの鞄」、あっさりしていいなーなんて思うようになる。

何年か前に高校の同窓会があった。当時気になってた女の子と25年の時を超えてお酒を飲みながら喋る。相手は明らかに恋愛シャッターが開いている感じだ。若かったらどんどん行くけれどさすがに。互いに40代で結婚もしていて子供もいて、やってどうなるというものでもないし。「センセイの鞄」の中で「わたし」と昔の同級生とが花見で出会って手をつないで土手道を歩くという場面があったのだけれど、そういうのが一番いい。

なんだか一周回って高校生に戻ったみたいだ。

でも正直、48歳の男も私みたいにあっさりしたヤツばかりでもない。

老驥櫪に伏すとも志は千里に在り

でね、無理やりバイアグラで奮い立たせようなんていうやつも複数いる。本当にご苦労様だと思う。

この文春文庫の「センセイの鞄」の解説を木田元が書いている。有名な哲学者がこの本の何を解説しようというのか。

「20世紀の作家たちも、近代の超克をはかり、単線状の時間を内的形式とする小説というジャンルを内側から掘り崩すことによって近代的自我の解体を計ろうとした。カフカやムージルやジョイスやフォークナーの文学的営為がそこにむけられていたことは言うまでもない」

「それなのに、河上弘美は、そんな努力はどこ吹く風といった感じで彼らの目指したポストモダンに軽々と身を置いている」



おい、ちょっと褒めすぎだろう。 まあでも最後にこのようにある。

「せっかくのすばらしい傑作に不粋きわまる解説を添えることになってしまった」

だって。さすが木田元、自分をセンセイに重ね合わせてきている。わるくない解説だと思った。


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6301コマツを信用で4000株買っているので、今日はいい日でしたね。

チャート画像

これですから。

アメリカが利上げを遅らすといっても、そんな小手先のことがいつまで影響力が残るかは微妙です。

今週いっぱいは戻りの時間だとは思うのですが、基本は戻り売りでしょう。


クラウドバンク




この小説の骨格。



主人公の「僕」には、ある一定の人と思考を共有する能力がある。ある中学生男子と思考を共有した結果、「僕」はその中学生に自分が、通り魔犯罪を犯したのは自らをありふれたた人間だと認めるのが怖かったからだと告白させる。

その中学生の母親の思考にも共有して、息子の犯罪を恐れていたのは母親としての愛ではなく世間体のためであると告白させる。



こんな感じで、僕は特殊能力を使って何人かに心の空虚さを告白させる。僕が告白させることのできる人は心に空白を抱えている人に限るらしい。心に空隙を抱える原因は、自らの価値を外部に求めることによる。中学生の男の子は自分の価値を他人の評価に望み、その母親は世間体に依存する。ある男は自分の評価をリストラされたところの仕事に願い、別の男は別の男の子供を身ごもった自分の妻に祈る。



「僕」は、自分の価値を外に求めようとする人の思念に同化する。そして彼らの空虚さを告白させて心を解放する。解放された心は支えを失って衰弱していく。「僕」はこの現象のことを呪いと呼んでいる。

この呪いが発動しない相手もいる。医者を聖職と考えている医学部教授と自分の世界を生きる女子中学生だ。



以上がこの小説のあらすじ以前の骨格だ。

正直、この物語の骨格は少し貧弱で、この骨格自体では整合性を保てないだろう。

まず、なぜ医者と女子中学生には呪いが発動しないのか? それは彼らの中に価値があるからだろう。自分の価値を外に求める者には呪いは発動するのだけれど、自分の価値を内に見つける者には呪いは発動しない。



医者に呪いが発動しないのは、医者という職業に特別の価値があるからだという。聖職だという。
作者は勘違いしているのではないだろうか。合理的に考えれば、医者というのは人体調整の技術者であって、べつに聖職などというものではない。聖職意識があるとするならば、それは医学に内在するものではなく社会的に特別に価値が付与されているからだ。



作者は女子中学生に価値が内在していると判断しているらしい。申し訳ないけれどもロリコン発想ではないだろうか。女子中学生に価値が内在しているとしたら、いったいどこに内在しているのだろうか。その下半身にだろうか? それもある一定の男にとって? 



呪いってある程度普遍的な力があるんじゃねーの?

社会的に特別に付与された力でかわせたりとか、ある一定のキモ男の情念で守られたりとか、取るにも足らぬ馬鹿を言うものありだね。



ダメな大人は自分の外に価値があると判断して自分を失っているというのは無くは無いとは思うけれど、それほど当たり前のことでもないだろう。現代日本はそこまで疲れきってはいないだろう。

この小説は、現代日本がこうだったら怖い的な、ホラー小説だととらえたい。


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