magaminの雑記ブログ

2018年01月

李煜とは、十国南唐(江南)の第3代(最後)の国主。 宋の趙匡胤がほとんど中国を統一しようかという時代。
この李煜の浪淘沙という詩がすばらしい。 内藤湖南によると、中国の中世と近代の境目は宋にあるという。

中国の近代なんて最近始まったのではないか、なんて思っている人も一定数いると思うけれど、中国をなめちゃいかんよ。内藤湖南の直感が正しいのなら、ヨーロッパより500年早く、中国では近代が始まっていることになる。

内藤湖南的に思い込めば、この浪淘沙(ろうとうさ)とは、中世と近代との境目に咲いた華だろう。


     浪淘沙

  簾外(れんがい)に雨 潺潺(せんせん)

簾外とは、すだれの外。潺潺とは、雨の静かにふるさま。 家の外では、雨がしとしと降っているんだね。

  春意 蘭珊(らんさん)たり
  羅衾(らきん)は耐えず五更(ごこう)の寒きに

羅衾とは、寝間着。五更とは、夜明け真近の時間。 春だと思って、薄着して寝たら、明け方意外に寒かったみたいな。

  夢裏に身は是れ客なるを知らずして
  一餉(しばし) 歓(よろこび)を貪(むさぼり)りぬ

明け方の夢うつつの中で、自分が囚われの身だということを忘れて、春らしくない春を春として喜んでいたという。

  独自(ひと)り欄(らん)にもたるること莫かれ

欄とは欄干の意味。 李煜とは南唐最後の王だった。目の前に宋という近代が迫っていた。 これは古い世界にしがみつくべきではなかたのではないか、という独白だろう。

  無限の江山
  別るる時は容易に見(まみ)ゆる時は難し

時代が移ろうとしているのに、山や川は無情にもそのままなんだよね。歴史は取り返しのつかないあり方で変わっていくという。

  流水 落花 春去れり
  天上と人間(じんかん)と

人間(じんかん)とは、人間世界の意味。 ヘーゲルは、
「かつて世界のあらゆる事物は、金色の糸によって天とつながれていた」
と語っていた。あらゆる物には魂が宿っているという世界観がかつて存在した。近代の味気ない言葉を使えば、アニミズムということになるだろう。 天と事物をつないでいた金色の糸が、まさに消えていくさま、
  流水 落花 春去れり 
そして、天と地とは懸絶してしまったんだな。
  天上と人間(じんかん)と

これ以上のリリシズムって、ちょっと考えられないと思う。







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「超国家主義の論理と心理」というのは、丸山眞男の1946発表の太平洋戦争の原因を探求した有名な評論だ。
この評論が、「戦後リベラル」の基礎構造になっているのは、ほぼ間違いないと思う。長い評論でもないし、難しい論理構成でもないので、私なりに要約してみる。

「戦前の日本人の精神構造は、上のものにペコペコして下のものには威張るという、抑圧の移譲によってその精神を保つというものだった。日本人の一番上は天皇なのだけれど、昭和天皇というのは戦前においてすでにほぼ飾りだった。日本人の一番下というのは植民地や占領地の人々だ。 一番上が飾りなのだから、政治的には無責任の体系になるし、一番下が、植民地や占領地の人々なのだから、日本人は彼らにひどいことをしてしまった。太平洋戦争というひどい戦争をしてしまったのは、上のものにペコペコして下のものには威張るという日本人の弱い精神に原因するものだ」

論理的にはこれだけの事しか言っていない。現代にこの評論を読むと、ちょっと変な感じがする。
上のものにペコペコして下のものには威張るなんていうヤツは、現代においてもいっぱいいる。神経症発症一歩手前のあんなやつらが、超国家主義の原動力だった? マジ? あんな空気みたいなやつらが? 原動力?

丸山眞男のこの評論が、戦後強力な力を持ったのは、ある意味必然みたいなところがあるだろうと思う。
この評論の論理は、戦後の日本人に広範に受け入れられやすいということはあっただろう。

戦争の原因は、弱い精神であって悪い精神ではないというのだから、戦争でやっちゃった感がある人も受け入れやすい。
知識人には、精神的に弱い日本人を強く導くなんていう任務が与えられたりする。新聞メディアなんかは大喜びだったろう。
戦争中に日本が勝つために自立した強い精神をもって頑張った人、このような人はかなり多かったと思うけれど、これらの人は丸山の評論に反論などはしなかっただろう。 戦争は負けたわけだし、強い精神を持った人間は、時代が変わっても強く生きていけるわけだし、強がりの反論をする必要がないから。

すなわち、「超国家主義の論理と心理」という評論は、正しいから受け入れられたというものではなく、受け入れられやすいから受け入れられたというものだろう。
この評論の違和感みたいなものはいろいろある。 空気みたいなやつらが? 原動力? ということも指摘した。さらにもう一つ指摘してみる。
丸山は、戦前の日本人の精神は弱かったという。ヨーロッパの近代国家の国民のように「近代的人格の前提たる道徳の内面化」ができていなかったという。では、道徳の内面化とは何か? ということになる。 戦後において、一神教的な神を心の中にもてない人間は弱い人間だ、という論理に帰着しがちなんだよね。 しかし常識的に考えて、このような論理は認められない。 道徳の内面化とは、絶対神とか関係なく、自分が自分であるという自己同一性の強度に関する問題だ。戦後のリベラル教育で、私たちは自己同一性を強化してくれるような教育を与えられただろうか? 
おい、近代的人格の前提たる道徳の内面化ってやつをやるんじゃねーのかよ。
簡単に宣言してみたけれど、実際にやるのは難しかったという。実際にやったことは、自己同一性の怪しいヤツは別室待機みたいな、ある意味切り捨てだ。自立した強い精神というのは、弱い人にこそ優しいものなのではないのかな。

丸山眞男と戦後リベラルは、いまその力を、本当に失ったと思う。

夏目漱石論 (講談社文芸文庫) [ 蓮實 重彦 ]
夏目漱石論 (講談社文芸文庫) [ 蓮實 重彦 ]

私も夏目漱石は読んだ。 全部というわけではないけれど、長編はだいたい読んだと思う。 
じっさい読んでどうかというと、ある一定以上のレベルだとは思うけれど、度肝を抜かれるほどすごいというわけでもない。だからといって、日本の小説家に夏目漱石よりハイレベルの小説家がいたかというと、ちょっと思いつかない。まあまあ、夏目漱石とは日本近代小説の古典という感じだろう。

そもそも小説とは何かというと、近代表現形式の特殊形態の一つだろう。近代以前の物語的なものを、近代的な価値基準によって強力に再編成し秩序付けたところのものだ。
そのような小説世界に慣れてしまうと、読者は個別の小説ごとに、小説世界の意味を探るようになるだろう。そして小説は、整合性とその根拠によって判断されるようになるだろう。

これはべつに悪いことではなく、近代に入って、国や個人がその一体性を問われるようになって、かつての物語もその作品ごとの一体性が問われるようになって、その結果、言文一致の「小説」が出現した、ということだろう。
小説の面白いとか面白くないとかの判断というのは、結局、その小説世界の整合性とその根拠のリアルさによってほぼ判定される。他にも、会話が気が利いているかとか、キャラが立っているかとか、うんちくが正しいとか、そういう細かいところの価値基準もあるだろうけれど、それは、小説全体の整合性とその根拠が成立した後の話だ。

ここまで考えた後に、夏目漱石の個別作品を思い出して見ると、ちょっとぐだぐだな感じがある。漱石作品の主人公を思い出しても、どれもピリッとしたヤツ、いないよね。あれでは、小説世界の整合性とその根拠を表現しにくいだろうと思う。

蓮實重彦の「夏目漱石論」は、微妙な言説の積み重ねではあるのだけれど、その発言を簡単に要約してしまうと、「夏目漱石は、小説家というより物語作家に近いのではないか」ということだろう。夏目漱石の小説は、登場人物の内面を探求するようなものではなく、昼寝や琴の音色や鏡の配置などで話が表層的に展開するところの物語のような、芝居のようなものだ、という。

これは一理あるか。

でも微妙ではあるよね。夏目漱石は小説家なのか物語作家なのかというのは、モダニズムとポストモダニズムの陣地争いみたいなことになるか。夏目漱石の創作期間というのは、明治38年から大正5年までという、日本小説の揺籃期みたいな時期だし。

でも個人的には、夏目漱石を物語作家といわれたらつらいものがある。物語的なものって、日本人には根強い人気がある。かつてのテレビの水戸黄門や暴れん坊将軍なんていうのは、物語の系統だろう。子供のころ親と一緒に見ていたけれど、あまり好きになれなかったな。パターンが同じでウンザリしてくるんだよね。 夏目漱石が水戸黄門と一緒といわれると、いくら蓮實重彦がよいしょしても、テンション下がるよね。


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太平洋戦争って、なぜ起こったのか不思議に思ったことはないだろうか。

あのアメリカに奇襲をかけてケンカを売るなんて普通じゃない。当時は現在よりも、日米間の経済格差は大きかった。物量に基づいたシミレーションをやれば、日本はアメリカに勝てないということは明らかだったろうし、そのような当たり前の事は、当時多くの人が知っていただろう。

では何故あのような戦争になったのか? 簡単に考えてしまうと、戦前の日本人は馬鹿か基地かその両方か、ということになってしまう。そして戦後の私たちはあの間違いを繰り返さない、みたいな。

しかし、実際に戦前、大正、の文献に目を通してみると、彼ら彼女らは、当たり前なのだけれど、一生懸命生きている。現在の私たちと何ら変わるところはない。決して一億総痴呆状態だったわけではない。
あの戦争の原因というのは、さまざまな要因が錯綜していて、簡単な考え方によって判断できるものではない。

橋川文三の「昭和維新試論」というのは、戦争にいたる錯綜した要因を少し解きほぐそうという、そのような試みの言説だ。

戦争にいたる、いくつかの流れみたいなものがあるのだけれど、ここでは皇国史観というものについて考えてみたい。
幕末の吉田松陰とかも皇国史観といえるのだろうけれど、彼には皇国史観によって自分を救おうという考えは一切ない。全くの捨て身だ。私が問題にしたいのは、うさんくさい皇国史観だ。 おまえ、国を救おうといいながら本当は自分を救おうとしていないか? みたいなやつ。
日露戦争後、明治40年頃、日本は明確に帝国主義の時代に入った、と橋川文三は言う。
「最小限その人間の精神的安定を保証するとみなされてきた社会的格率の実体性がきわめて曖昧となり、たんなる善意と勤勉とでは社会的生存さえも不確実だという意識が、そのころ一般化したということである」
現代においても、全く思い当たるふしがある。
だいたいにおいて、神経症や分裂病になるような人は、まじめでやさしい人だろう。現代においては明らかに、善意と勤勉とだけでは社会的生存さえも不確実、だろう。

ではどうするか。

一つの方法というのが、自分の世界を縮小するというやり方だ。これが皇国史観につながる。
どういうことかというと、意識における曖昧な部分を切り捨てて、意識の明確な部分だけで世界観を形成しようという。
現代日本において、韓国が嫌いとか中国が嫌いとか、そういう人は多いけれども、このような考え方の原因というのは、厳しい世界で自己同一性を保つために意識の周辺を切り捨てた結果にあると思う。 だから、韓国が嫌いという人に、韓国人にもいろんな人がいて、などという説得は意味がない。世界観を縮小した結果が嫌韓であって、ざっくり言ってしまうと初めに嫌韓ありきなんだよね。だからおそらく、韓国が嫌いとか中国が嫌い、という人は、社会的弱者にたいしても冷淡だろうし、さらに陰謀史観というものにも反応しやすくなるだろう。
このような、自分の世界を縮小するということを続けていけば、ある一定の人々は皇国史観に行き着くだろうと思う。

しかしね、世界観を縮小した人たちを批判できるかというと、そう簡単でもないと思うんだよね。かれらは生きるために自分を防御したという面があるだろう。日露戦争後の社会変動というのは、神経症一歩手前の人たちを大量生産したシステムの起源としての意味があったということではないだろうか。

太平洋戦争において、現代につながる部分というのは、本当に大きいと思う。

石原莞爾とは、満州事変の首謀者であり、戦前の軍人において最も有名な人物の一人だ。
彼の著作というか、講演記録に「最終戦争論」というものがある。青空文庫にあって、もちろん誰でも読める。

この「最終戦争論」をどう読むか。
「第五章 仏教の予言」、この部分はスルーしていいのではないかと思う。北一輝も同じなのだけれど、法華経によって自らの革命思想を補強しようというのは個人的な問題だろう。石原莞爾や北一輝が法華経に耽溺したのなぜかという問いは、文芸的には面白いかもしれないが、歴史的にはたいして意味があるとも思えない。

「最終戦争論」の核心というのは、世界は統一されるであろう、という石原莞爾の確信にあるだろう。
現代において、世界の統一なんていうことは夢物語みたいになっている。第二次大戦の後、固定化された世界が70年以上続いている。いまさら世界の統一とか考えられないと普通は考える。

70年は長い。普通に考えれば長い。しかし敢えて70年を短いと考えてみる。ちょっとした思考実験、頭のトレーニングみたいなものと考えて欲しい。
東洋にも西洋にも、古代、中世、近代、という時代区分がある。
例えば西洋。古代として、ソクラテスから西ローマ帝国崩壊までの1000年。中世として、西ローマ帝国崩壊からルネッサンスまでの1000年。近代として、その後の500年。
例えば東洋。古代として、孔子から大漢帝国滅亡まで700年。中世として、大漢帝国滅亡から宋成立まで1100年。近代として、その後の700年。
以上は、宮崎市定の時代区分に従った。 中世はよく暗黒の時代だといわれる。これはあまり否定も出来ない。近代的世界観からすれば、中世というのは弱肉強食感がある。 しかし、中世よりも時代のさかのぼる古代世界というのはより暗黒であろう、という考えは明らかに間違っている。古代世界には、近代と同じように合理的世界観というものが存在していた。例えば、西洋哲学というものは、その源流をギリシャ哲学に持つが、近代西洋哲学がプラトンよりも優れているかというと、必ずしもそうとはいえない。

これは何を意味しているのかというと、人間の歴史とは、漸次進歩するというものではない、ということだろう。 波がある。  古代は、人間の精神が集中する時代だった。中世は、精神が拡散する時代だった。近代において、再び人間の精神は集中し始めた。  人間の精神が何かに集中することを、現代の私たちは「進歩」と呼んでいるわけだ。 古代において、人間精神の集中は、ローマ帝国や大漢帝国のような巨大な帝国として結実した。 

ここで「最終戦争論」にもどるのだけれど、石原莞爾は、近代世界のターンにおいていまだ世界帝国は現れていないだろう? すなわち、古代世界のように近代世界はいまだその結末を示現してはいない、と言っているわけだ。

たしかに石原莞爾の言説は空想的ではあるが、そう的外れでもないと思う。
しかしそもそもだよ、空想的ではあるが現実的に的外れではない、などという言説はそうあるものではない。例えば、流行スマホゲーの世界観というものは例外なく、空想的ではあるが現実的には的外れ、なものだろう。
歴史が石原莞爾を押し上げたのだろうと思う。「最終戦争論」のような言説は、丁寧に読まなくてはいけない。

森絵都の「カラフル」という小説を読んだ。

自殺したはずの中三の男の子に、他の人の魂が輪廻転生するという設定の話だった。 ネタバレで申し訳ないのだけれど、結末は、他人の魂のはずだったのだけれど、実は自殺した中三の男の子自身の魂が自分自身に転生した、ということだった。

毎週土曜日は、近くのブックオフに行って、108円コーナーで読みやすそうな小説を買って、パチンコしながら読むというのが習慣化している。

で、この「カラフル]という小説なのだけれど、結局これでは、中三の少年が自殺し損ねた後、ちょっと分裂症的な夢を見ていたということになるのではないかな。なんせ、他人の肉体だと思っていたのが、実は自分の肉体だったというのだから。
この小説はアニメ映画化されていて、かなり評判がいいのだろうとは思う。これが感動作だとするなら、その原因は主人公の精神と肉体との明確な分離にあるだろう。
主人公の少年は一回死んだのだけれど、別の魂が充填されて運よくこの世界によみがえった。魂が別人だと思い込んでいる主人公は、けっこう自由に中学生活を送り、いままでのしょぼい世界から一歩踏み出すみたいな。
このような生まれ変わり体験というのは、精神と肉体との明確な分離の結果なのだけれど、そもそも「精神と肉体との明確な分離」というのは、この小説の初期設定だろう? 
初期設定に感動するというのも、ちょっと難しいね。

この本は250ページと短めなんだよね。初期設定を、最後同じ設定に収束させようというのだから、もっと内容的に波乱万丈あってもいいような気がする。 結局は夢落ちみたいなものなのだから。

「民爲貴、社稷次之、君爲輕」
これを書き下し文にしてみると、
「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」
となる。

「孟子」のここの部分を、吉田松陰は「講孟箚記」で、「異国の事はしばらく置き、わが国はかたじけなくも、うんぬん」と皇国史観を絶叫している。これは吉田松陰の限界というより、日本人の限界の結果だと思う。幕末において西洋の圧力というのが極めて強くなっていて、日本はその一体性を問われていた。一体性を確立できなければ、当時の東南アジアと同じ運命をたどっていただろう。

はたして孟子の総力戦思想だけで、日本はその一体性を維持できただろうか? たまたま続いてきた天皇という制度を利用し日本を救おうとしたとして、日本人にとってだよ、何か問題があるだろうか。

そもそも孟子の言説の眼目や目的は、一つの国なら国の一体性を高めようというものだったと思う。同じ規模の国同士が戦った場合、どちらが勝つかというと、それはその国の一体性の強度に依存している。これは人間個人のぶつかり合いでも全く同じだ。誰もが経験があると思うけれど、同じハードワークをしていても、人格の一体性の怪しげなやつから脱落していく。

大事なポイントは一体性にあるわけだ。

孟子はこの一体性を強調する言説を貫いた結果、「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」という場所に行き着いたともいえる。だからこの言説は、民主主義というのではなく総力戦思想の一つの表現なんだろう。

戦後、平和な世界が訪れて、明治維新で天皇まで持ち出す必要はなかった、という言論も成り立つようにはなった。しかしそれは結果論であって、私はとてもそのような楽天的な言説を、ギリギリの世界生きた吉田松陰に押し付けることは出来ない。


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正月三が日に「不如帰」を読むような馬鹿げた暇人もそういないだろうと思う。

この「不如帰」、意外に面白い。

「不如帰」は明治31年に国民新聞(現在の東京新聞)に連載されて大評判になった。戦前戦後になんども映画化された。これでは読みにくい要素が満点だ。
まず、国民新聞というのが徳富蘆花の兄の徳富蘇峰が創刊した新聞で、連載に当たり情実みたいなものがあるのではないかと疑われる。
そして何度も映画化というのがどうも。後世の手垢のついたところの原作を、敢えて読むというのもどうか。
最後に、明治31年発表ということで、「不如帰」の本文は文語体で書かれている。これはハードルが高い。言文一致の現代小説なら、1時間に200ページペースで読めたりする。しかし文語体となると、読めるようになるまでに、ある程度の訓練が必要だし、読めるようになっても、まあ1時間に30から40ページが限界だろう。 

問題は、さまざまな関門をクリアーして「不如帰」を読んだとして、実際この小説が面白いのかどうかという不安だよね。 イヤーこれをね、馬鹿げた暇人がチャレンジしてみましたということになる。

これが面白いんだよね。主人公の浪子というのが結核になるのだけれど、どうせ結核なんかでは死なないだろうと思っていた。「不如帰」なんてどうせ結核小説だろう。結核は主人公の女性を美しく飾るための手段だろう。どうせ浪子は、自殺か不慮の事故か、そんなんで死ぬのだろう、と思っていた。

いや、マジで浪子は結核で死んだ。

浪子が死ぬときの描写もしっかり書かれていた。

浪子の夫というのが武夫というのだけれど、浪子と武夫の母との確執、まあ、嫁姑の古くて新しい問題というのが、この小説のテーマではあるだろう。しかし男としては、嫁姑のこじれを200ページ書かれたらたまらないと思う。だいじょうぶか「不如帰」。
これも安心して欲しい。
武夫というのは海軍の下級将校で、日清戦争の黄海海戦の描写が、たっぷり20ページほどあった。けっこう読んで血湧き肉躍るよ。

あと、また浪子をいじめる悪いやつみたいなのが出てくるだろうというのも想像がつく。どうせ徹頭徹尾イヤなやつなんだろうな、と考えてしまう。
しかし実際は、イヤなやつもイヤなやつなりに人生を頑張っているんだな、と考えさせられたりする。
千々岩というイヤなやつが出てくるのだけれど、こいつ、若いくせに出世と金に辛いんだよね。だから、浪子と武夫に嫌がらせとかをする。しかしこの千々岩、こいつも武夫と同じ軍人なのだけれど、出世したいということで、旅順攻略で、先陣きって突撃して死んじゃうだよね。 そういえば千々岩って、後ろ盾もないやつだったし、しょうがないってこともあるんだなーと、逆にこの千々岩に同情してしまうという。悪役のキャラ作りもしっかりしている。

トータルとして、この「不如帰」、かなりしっかりした小説だと思った。これが文語調で書かれているのだから、ある意味、たまらない。

この「たたら侍」という映画、いったいどういうことなのだろうかと思って。
主人公の青年は、イケメンでカッコはつけるのだけれど、実際にやっていることはパッとしないような。 
村の外にあこがれて、村を出てみるのだけれど、厳しさに耐えかねてすぐ戻ってきちゃうし、最後は、強いやつがみんな死んだ後に、黒幕的おじいちゃんに逆切れしてるし。

映画としての整合性の根拠を敢えて探すなら、
「どんなイケメンでも、自分の故郷で自分の仕事をするということが、一番の価値である」
ということになるか。

しかしだよ、いくら現代日本がしょぼいからといって、ここまでいじけ根性のメッセージが、多くの人に受け入れられるとは思わない。こんな映画の評点が高かったら、本当に日本は終わりだよ、と思って、おそるおそるヤフー映画で「たたら侍」を検索してみた。

評点 2.37 だって。  安心したよ。  まだまだ日本は頑張れる。

大江健三郎のデビュー作、「奇妙な仕事」

読んで驚いた。これは村上春樹だよ。話自体は大学病院の不要になった実験動物の犬を150匹殺す話で、登場人物は4人。
犬の殺し方にこだわりを持つ、30歳ぐらいの犬殺しのプロ。後3人はお手伝いのバイト。犬殺しに根本的な疑問を持つ院生の男と、クールで芯の強い若い男と女。

構造が村上春樹の「ノルウェーの森」そのままだと思った。どういう構造かというと、まじめで弱い人間を踏み台にしながら、こだわりを持つ男に支えられて、クールな男と女はいい感じで盛り上がるということ。話の構造も似ているのだけれど、「奇妙な仕事」の主人公の男の話しぶりが、「ノルウェーの森」の主人公とかぶるような。「奇妙な仕事」の主人公と女子学生との会話での主人公パートを抜粋してみる。  

「たいへんだな、と目をそむけて僕はいった」
「火山を見に? と僕は気のない返事をした」
「君はあまり笑わないね、と僕はいった」

同じ構造、同じテンションで、同じようなことを言われると、そこには否定しがたい同一性が認められると思う。
次作、「死者の奢り」も似たような感じだ。「死者の奢り」のなかで主人公はこのように言う。
「僕は希望を持っていない」 
この主人公は、あらゆる価値観を対等だと考えている。何かに熱中するとかはない。価値観の序列がないから。
このあたりまでは村上春樹と同じなのだけれど、大江健三郎は早々と新たな一歩を踏み出した。

「飼育」以降、大江健三郎は、なぜ戦後の若者は、全ての価値観が対等だなどという奇怪な世界に落ち込んでしまったのか、ということを問い始めた。 結果として、これはすばらしいチャレンジだった。
人はどうすれば救われるのか、というのが、「セブンティーン」以降の問題意識となった。
「セブンティーン」では、主人公の青年は皇国思想によって自らを救おうとした。
「空の怪物アグイー」では、主人公は狂気によって自らを救おうとした。
「レイン.ツリーを聴く女たち」は、救われないというか、救いようのないオヤジの話だった。
大江健三郎には光くんという知的障害の長男がいる。
「無垢の歌、経験の歌」では、この光くんがどのようにしたら救われるのかという話だった。

そしてついに論理は逆転する。

大江健三郎は、デビュー作から、「この世界で人はいかに救われるか」 ということを書いてきたと思う。そして、子供に知的障害児が生まれて、小説のテーマが「この子は、この世界でいかに救われるか」というところに収斂する。 これは難しい問題で、正直、口に出してはいわないけれど、障害者やボケ老人なんてこの世界にいない方がいい、なんて思っている人はかなり多いと思う。しかし「新しい人よ眼ざめよ」で、ついに論理は逆転する。

大江光さんには、この世界で生きようとする意志がある。タクシーの運転手に、ぼっちゃんはたいしたもんだなー、がんばってくださいね、と話しかけられたとき、大江光るさんは、
「ありがとうございました。がんばらせていただきます!」
 と答えた。
学校の合宿に出かけるとき、大江光さんは、父大江健三郎にこのように言う。 
「しかし僕がいない間、パパは大丈夫でしょうか? パパはこのピンチをよく切りぬけるでしょうか?」

救うものが救われて、救われるものが救う。

「火をめぐらす鳥」のなかで、「私」は障害者の息子と、死後のそれぞれの魂が、より大きい魂の集合体みたいなものに共に合流することを夢見る。しかし本当のところは、「私」は独力で魂の集合体に合流することは無理だろう、そして息子にそこまで一緒にだよ、自分を導いて欲しいと思っている。論理は完全に逆転しただろう。 救うものが救われて、救われるものが救う。

渾身の文学だと思う。

「大江健三郎自選短編」のあとがきに、大江健三郎は自らの短編を、その古い順番で読んでいくと、戦後日本の精神史になっていると書いてある。   
大江さん、またまたご冗談を。  
大江健三郎の小説世界は、精神史とは対極にあるだろう。精神史とは、イデオロギーの遍歴に伴う時代の雰囲気の変化の記述方法であって、大江健三郎の小説世界の本質とは何の関係もない。では、大江健三郎とは何者か。大江健三郎の小説世界の本質は、救うものと救われるものとの「いれかわり」だと思う。

これは日本の古い記憶だよ。

和辻哲郎は、
「日本神話においては、祭られる神は同時に祭る神だという性格をどこまでさかのぼっても備えており、祭祀の究極の対象は漂々とした時空の彼方に見失われる」
と書いている。ここにおいては、祭られる神は同時に祭る神であるという構造が重要なのであって、いかに祭られるかということは重要ではない。祭る方法というのは、その時代の様々なイデオロギーを採用して問題なし、という態度だ。

大江健三郎の小説世界は、この日本神話の方法論をそのまま採用しているだろう。彼の小説の中では、西洋の洒落た作家、詩人などが引用される。ダンテ、ブレイク、マルカム・ラウリー。しかしこのような言説は、体系となって大江作品の根幹を支えているというわけではなく、日本神話特有の空洞を埋めるための素材の単なる集合に過ぎない。飾りみたいなものだ。当たり前の話であって、大江健三郎の小説世界の本質が、「自分」とイーヨーとの関係性にあるとするなら、ダンテやブレイクの言葉がイーヨーに届くはずはない。イーヨーは難しい論理を必要としていないのだから。  

「火をめぐらす鳥」という短編の中で、大江健三郎が、幼いイーヨーを肩車して林の中を散歩する場面がある。イーヨーは知的障害者で、いまだ言葉を発しない。鳥が鳴いていて、大江健三郎は「何の鳥が鳴いているんだろうね」とひとりごちた。すると天空から、「それは、クイナです」という声が聞こえた。イーヨーが始めて喋ったという。 
これって、日本書紀にも同じような話があったと記憶する。私が日本書紀を読んだのもかなり前だから、どこにこの話があったのか指摘することも出来ないのだけれど。
大江健三郎は、ブレイクについては語るけれど、日本書紀については語らない。  

明らかだと思う。
  
大江健三郎の小説世界の本質は、古い日本の記憶の側にあるだろう。
大江健三郎の出身地というのは、伊予の喜多郡の北東部。もう土佐に近いところだ。宮本常一の「土佐源氏」を読んでみてほしい。西日本を高みから見下ろす秘境みたいな場所だ。 大江健三郎という作家は、戦後日本の都市中産階級を代弁する者ではないと思う。





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