丸山真男座談セレクションは戦後から1993年までの丸山が参加した座談会をセレクトしたものです。


丸山真男は「日本の思想」を色川大吉に批判された事があります。色川の丸山批判をざっくり要約すると、
「何故丸山はヨーロッパエリートのいいところと、日本の大衆の悪いところを比較して、日本をこき下ろすような事を書くのか。そのような態度はフェアではない」
ということになりますか。


丸山真男座談セレクションを読むにあたり、丸山の大衆観というか常民観に注目してみました。
1960年ぐらいまでは知識人と一般大衆との間に完全にラインを引いています。
これが1965年になると、少し変化が見られます。
丸山が言うには、
イギリスは身分制度が確固としていて、大衆とエリートが分離している。大衆は個別的なことを考え、エリートは普遍的なことを考えるものであるだろうが、しかし日本はその辺があいまいだったりする。政治家や新聞社の上層部は酒を飲んで女におさわりすることが普遍だと思っている
だそうです。
1993年になると、
大衆の位置づけは非常に高い。大衆の勃興というものは基本的に肯定する。ただ町の大衆、町のおっさんに対するやりきれなさは残る
というほど大衆に譲歩しています。

時代が変化するにつれて、丸山も変化するのですね。1993年、丸山自身こう言っています。

僕なんか精神貴族主義と言っていますが、育ちからいうと中の下です

丸山真男は中の下の貴族らしいですよ。自分で言っていますから。
私は丸山が貴族主義だからダメだというつもりはありません。丸山が譲歩した後の民衆観には納得するものもあります。私の会社でもおじさんたちはパチンコで勝っただの競馬で負けただの野球がどうとか、そんな話ばかり。変人と思われても損なだけですから、一応話は合わせますが、私も「町のおっさんに対するやりきれなさは残り」ます。女やギャンブルではなく、彼らもう少し普遍的な話はできないものか。

結局色川大吉の丸山批判というのは、時代を先取りしていいところを突いていたというこのになるのではないでしょうか。