magaminの雑記ブログ

2017年12月

吉田松陰は論語をどのように読んだか?
論語 里仁第四 073 にこのようにある。

「子日わく、人の過ちや、各々其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」


これをどう読むか。 私なんかは、人の振り見てわが身を、みたいな感じで読んでしまう。東洋哲学の碩学、宇野 哲人は、「論語新釈」のなかで、「過ちを観てここに仁を知る」の部分を、


「過失を見ると仁者が不仁者かがわかる」

と訳している。

では、この部分を吉田松陰はどのように判断しているのか。 講孟箚記の告子上第11章の箚記にこのようにある。


「人を殺すは不仁なり、殺すの心は必ず仁なり。仁は愛を主とす。人を愛する。己を愛する。同じく仁なり。もし愛するところなくんば、憎むところなく、殺すところなし」


驚くべき論理を展開している。

「論語」の「過ちを観てここに仁を知る」のなかの「ここ」を、過ちを犯した本人その人自身をさしていると、吉田松陰は判断しているわけだ。 

そもそも「論語」というは、たんなる教訓集ではなく、その言説全体で広範な地域に秩序を形成しようという意思を持って成立している。論語の一節一節が互いに互いを持ち上げようとしている。そのような文脈で「論語 里仁第四 073」を考えるならば、常識的な判断よりも、暴論のように聞こえる吉田松陰の説が正しい。  

幕末の不思議というのはいろいろある。  

尊皇攘夷の嚆矢だった水戸藩が内部崩壊したり、高杉晋作が奇兵隊という農民部隊をつくったり、第二次長州征伐で、長州は四面の圧力を跳ね返したり。 

おそらく、幕末における長州藩には、全体としてかなりハイレベルの秩序の一体性が成立していたと推測できる。そして、ほぼ間違いなく長州一体性の源泉は吉田松陰だろう。  

現代においては、吉田松陰なんてたいして評価はされないと思うのだけれど、そのような市民的な判断というのは間違っていると思うんだよね。この世界の秩序というものは、市民的な道徳やフーコーの言うパノプティコン程度のもので、本当に支えられているのだろうか。

東アジアには一神教的な神は存在しないのだから、秩序の源泉というのは注意深く判断するべきだと思う。

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大晦日の朝に、「火花」の感想をだらだら書こうかという。昨日の会社の大掃除で、ゴミ箱から「火花」を発見して回収。  漫才師の先輩後輩の話だった。この本の冒頭、語り手の漫才師の後輩というのが、熱海の花火大会の前座みたいな感じで漫才をする。時間調整の失敗で、漫才が終わる前に花火がドンドンとあがりだした。 もうこの時点で、私、この本の題名は「花火」だと思い込んじゃって、家に帰って妻に、
「おーい、又吉の花火、拾ったよ」
と言ったら、横にいた小5の次男に、
「火花じゃねーの」
と間髪いれずに突っ込まれた。拾った本の題名をよく見ると、確かに「火花」だ。我が家に帰った早々、ぐうの音もでないという。 火花の出だしが花火だなんてまぎらわしいんだよ と、心の中で逆切れする。  この小説自体は私小説みたいな感じで、個人的には共感が持てる。小説という表現形式は、読者を楽しませようとすると、外は言葉で飾って中はがらんどうみたいなことになりがちなんだよね。ミステリーが典型だろう。ミステリーが悪いというわけではない。ミステリーとは小説という表現の中で、読者を楽しませるために開発された形式内形式だから。ミステリーとは、その中身は空洞であるということは、それを読む誰もが知っていて、したがってミステリーに人生の教訓を求めようなどという読者はほぼ存在しない。 小説という表現形式のさらに純粋化されたものがミステリーといえるだろう。 小説の本流がミステリー的なものだとするなら、その本流に反旗を翻すものが、純文学、私小説、だろう。小説という体制内で、反体制の旗を掲げるのだから、どうしても本物の純文学には哀愁が漂う。太宰治も坂口安吾もそうだった。この哀愁は、小説という表現形式内では完全には表現できない、そういう構造になっている。だから哀愁なのだけれど。  「火花」の語り手の先輩の漫才師というのは、この哀愁にあふれている。「おもろい」ということを突き詰めすぎている。 出来ることなら、このような先輩漫才師のような人生でありたいと、私も思う。 最初の花火の場面。ぜんぜん受けなかった後輩の漫才の後、先輩が、 「かたきとったる」 いうて舞台に出て、やった漫才というのが、誰が天国に行けて誰が地獄に行くかという流れで、観客を一人ひとり指差しながら、
「地獄、地獄、地獄、地獄、地獄、、、、」
と絶叫するものだった。 最後、後輩の漫才コンビが、引退の時に漫才というのが、これから自分は反対の意味のことを言います、という流れで、観客を一人ひとり指差しながら、
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、、、、」
と絶叫するものだった。 伏線は回収されて、小説物語は閉じて、最後に輝く先輩だけが、世界の外に取り残された。

パニック小説ということたね。異世界に飛ばされた男女10人くらいの話だった。 読んだ感想というのは、まず長いということ。文庫本で550ページぐらいあった。 東野圭吾の本を妻が友達に借りてきたというので、私もまた貸ししてもらった。 今日は年末の仕事納めの半日仕事で、あちこち掃除して終わりなのだけれど、まじめに掃除するのもばかばかしいだろうと思って、この「パラドックス13」という読みやすそうな本でも読んで、掃除している振りでもしておけばいいやって感じで。   通勤と仕事中とで350ページほど読んだ。 とても読みきれない。 仕事帰りにパチンコ屋によって、2時間ほど1パチをやりながら200ページほど読んだ。 たいした内容もないくせになげーよ、と思う反面、軽く読める小説形式の文章をただで提供してくれてみんなありがとうみたいな感謝の気持ち。  「パラドックス13」という本に、とりたてて感想というものも思いつかない。読んだままだし。 主人公ぽいヤツが、みんなを励ます時に、「自らを助けるものが助かる」 みたいなことをしばしば言うのだけれど、ここはキリスト教国じゃねーぞとそのたびに思ったのだけれども、そんなことを言ってもしょーがないか。  読めばね、文字中毒の人は多少の満足感を得られるだろうし、スマホゲーするよりは充実した時間をすごせるだろう的な価値観もクリアーできるし。 さすが東野圭吾というべきか、リラックスしながら時をすごすには悪くないレベルの小説だとは思った。

論語 里仁第四 073 にこのようにある。
「子日わく、人の過ちや、各々其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」
これをどう読むか。 私なんかは、人の振り見てわが身を、みたいな感じで読んでしまう。東洋哲学の碩学、宇野 哲人は、「論語新釈」のなかで、「過ちを観てここに仁を知る」の部分を、「過失を見ると仁者が不仁者かがわかる」と訳している。 宇野 哲人、ちょっとおかしくないか、気持ちは分かるけれども、「仁を知る」を「仁者が不仁者かがわかる」というのでは、飛躍ではないのか?  では、この部分を吉田松陰はどのように判断しているのか。        年末で仕事が忙しくて、体力的にこれ以上書けないので、続きは明日で。

ボヴァリー夫人はフローベールの知り合いの女性であったシュレザンジェ夫人がモデルであると言われていますが、そんなことはどうでもいいですね。

ボヴァリー夫人は、もっと人から頭のいい女性だと思われたいとか、もっと人から上品で美しい女性だと思われたいとか、そのようなことを願う。 少なくはなってきているとは思うけれど、現代日本にもよくいるタイプの女性だ。奇妙な競争心が、過剰に加速してしまって経済的に行き詰まり、ボヴァリー夫人は最後自殺してしまう。   
なぜボヴァリー夫人は、奇妙な競争心を心の中で育ててしまったのか。  
彼女が暇だったからだ
私の知り合いの女性は、親が金持ちで働く必要がない。趣味が、バレエ、モダンダンス、ジャズ、オイリュトミー、舞踏、狂言だという。最近は舞にこっていて、 日本古代から繋がる無限なる世界を舞で表わしていくことを目指しているらしい。    

奇妙な競争心。   
暇すぎるだろう。    
オイリュトミーってなんだ?   

そもそもボヴァリー夫人はなぜ暇だったのかというと、専業主婦だったからだ。医者の奥さんで、家事をする女性を雇っているから、実質的な仕事というのはボヴァリー夫人にはない。 

では、なぜ医師の旦那は、このようなほぼ無意味な女性を抱えているのか? まあそれは社会的な要請だろう。医者という、19世紀半ばのフランスでは中産階級上位の階層の男は、専業主婦を抱えるべきだという社会的要請。 
これも、男世界での奇妙な競争心の結果というべき現象だろう。  

男が中産階級の大人となったら、専業主婦を抱えて、専業主婦は暇をもてあます。暇をもてあます女性を抱えていることによって、男は周りから中産階級の大人だと認められる。専業主婦は暇だから、家をやたらきれいにする。小物製作みたいな役に立たない趣味を始める。これらの事が、男が周りから中産階級の大人だとより認められるための材料になる。  

すなわち、ある世界観が、事象の循環によって強化されるという。  
ボヴァリー夫人は、奇妙な世界観に囲まれている。自分の無意味な競争心にふと疑問を感じて、このように思う。
「しかしいったい何が彼女をこんなに不幸にしているのだろうか? 彼女を転倒させてしまった異常な禍はどこにあるのか? 自分を苦しめる原因を捜すように彼女は頭をあげて周囲をみまわした」
この本が風俗紊乱で問題になって、フローベールが法廷で、「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったのは有名だけれども、そのフローベールの真意というのは、トータルで考えて近代批判みたいなものだと思う。


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岸信介とパク・チョンヒが、ともにね、満州帝国でその総力戦思想を形成して、その後それぞれの国に戻って、その総力戦思想を実践したという歴史認識は、まずその通りだと思う。  現在、日本では安倍総理が総力戦を呼号しているけれども、これも岸信介の戦前思想を明らかに継いでいる。  だからといって安倍の政策を否定するって難しいと思うんだよね。 総力戦思想を脱却して新自由主義的な市場経済への脱皮なんてムリだろう。 東アジアには、その根拠がない。 新自由主義的な市場経済というのは、一神教的な宗教の基盤があってこそ広域的に成立するものであって、神の存在しない東アジアではムリでしょう。 これがなぜムリなのかというと、例えば新自由主義的な市場経済が日本で達成されたとして、その世界についていける日本人とついていけない日本人が明確に区別されてくるだろう。 その時にだよ、この二つの階層の間にコミュニケーションというものは成立するだろうか? 絶対神という共通の岩盤がないわけだから、最後日本社会はバラバラになってしまうだろう。 新自由主義的な市場経済を完全に履行するということは、東アジアでは実行不可能だ。 結果、総力戦思想という、別の道をとらざるを得ない。 そもそも、この総力戦思想とは何かというと、その淵源は明治維新にある。 明治維新における最大のイデオローグは吉田松陰だ。 吉田松陰の言説を実際に読んでみると、その思想の根幹というのは、「論語」や「孟子」を直接読んで理解しようという意思だ。   すなわち、論語」や「孟子」に規定された東アジア世界は、総力戦思想の枠組みを越えることができないんだよ。 これは、一神教に規定された欧米が、新自由主義的な市場経済の枠組みを越えることが出来ないのと同じなんだよ。  雑な論理展開ではあるとは思うけれど、大筋ではこんなものだろう。

昭和史についての本というのをかなり読んだつもりだけれど、この本はハイレベルの部類だろう、まだ半分しか読んでいないけれど。  岸信介と朴 正𤋮は、ともに共にあの満州帝国にその起源を持つという。 岸信介と満州帝国とのつながりというのは有名だ。総力戦思想の実験場として、満州が利用されたという。 これ、利用されたのはいいのだけれど、実際に太平洋戦争が始まって、実際に総力戦思想を日本本土で実践してみたら全くうまくいかなかった。軍部においは、陸軍と海軍とは対立しっぱなし、陸軍海軍それぞれの内部もセクショナリズムで合理的総力戦体制とは程遠かった。 満州ではうまくいくかに見えた総力戦体制が、本土ではうまくいかなかったというのは、それだけ戦前日本には伝統的しがらみが多かったということだろう。  あの太平洋戦争の大敗北で、日本的伝統のしがらみというのはかなり薄れた。この機に乗じて、満州仕込の国家社会主義的政策を遂行したのが岸信介だろう。 日本が戦後、急速に経済発展した理由というのには様々なものがあると思うのだけれど、最も大きい理由というのは、戦前において日本が総力戦を戦った記憶にあるだろうと思う。     後の大韓民国大統領 朴 正𤋮 は、太平洋戦争終戦時、満州国軍中尉だった。満州国軍と言ったって内実は関東軍だし。 韓国は朝鮮戦争のあと、1961年、軍事クーデターによって朴 正𤋮が実権を掌握、開発独裁政策を実践し、「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の高度経済成長の基盤を築いた。 岸信介も朴 正𤋮も、その起源は満州にあり、その意味では、日本と韓国というのは兄弟国家だろう。  兄弟だから仲がいいとは限らないのだけれど。

則天武后とは、唐代の女性。 なんと中国史上、空前絶後の女帝。 別に女性が皇帝になって悪いわけでもないと思うのだけれど、いろんな条件が重なって、女性が皇帝になるというのは難しいというのはあるだろう。 現代日本だって、天皇は男しかなれないという法律があるぐらいだから。  

「十八史略」の則天武后について。  

「太宗崩ず。才人、歳二十四。尼となる」  

太宗というのは、唐朝の第2代皇帝李世民だ。武則天は李世民の側室だったから、李世民が死んだから、頭を丸めて尼になったのだろう。24歳は出家するには若い、女ざかりだろうなあ。  

「高宗、寺に幸(みゆき)し、これを見て泣く」  

高宗というのは、李世民の子で第3代皇帝。寺に行って、武則天の美しさにうたれて泣いたという。 もちろん、やっちゃったんだろうなー。 言っておくけれど、武則天というのは、高宗の父親である李世民の側室だからね。ちょっと禁断の愛っぽいよね。 

「時に王皇后、蕭淑妃と寵を争う。密かに髪を長ぜしめ、高宗に勧めてこれをいる。すでに入る。しかして后と淑妃とみな寵を失う。武氏年三十二、ついに昭儀より后となる。王、蕭みなために殺さる」  

まあ、女の争いも恐ろしい。男も恐ろしいけれど、女はなんだか別の恐ろしさがあるよね。武則天、32歳。ついに皇帝の后にまで上り詰めた。 日本では二十歳ぐらいの女性が一番いいと思っている男がメジャーらしいのだけれど、女性の一番いい時期というのはもっと上でしょう。武則天、32歳、最高です。  

「高宗、風眩に苦しみ、百司の奏事を視ることあたわず。あるいは皇后をしてこれを決せしむ。后、性明敏にして文史を渉猟す。事を処して、皆旨にかなう」 

 女性は美しいだけではなくて、頭もよくなくてはいけない。というか、頭のいい女性こそが美しい。これが分からない男が多すぎる。うちの職場にもいるんだよ、自分は高卒だから大卒の女性はちょっと、みたいなのが。 馬鹿の上塗りだ、今汝は画れりだ、あきらめたらそこで試合終了ですよ、だ。  

「高宗の世に在りて、后みずから子の弘を殺し、子の賢を廃す。高宗すでに崩じ、子の哲即位す。  后、朝廷に臨んで制を称し、もって武氏の七廟を立つ」 

鬼気迫るような感じになってきた。そういえば、自分の子供を食べて栄養にする母親の神様っていたよね。 

最後、武則天は皇帝になるのだけれど、この話ってちょっとおかしいよね。 まず、高宗が父親の側室を妻にするのがおかしい。それだけ武則天が美しかったといえばそれまでなのだけれど。 さらに、高宗というのが李世民の九男だということ。普通、長男が跡取りでしょう。まあ、いろいろあったと言われればそれまでなんだけれど。 あと、高宗が直接武則天に政治を任せたということ。普通、誰かをいちまい噛ませるでしょう。まあそれだけ武則天の頭の切れがよかったと言われればそれまでなんだけれど。 トータルで考えて、唐王室って 夷狄の匂いがするよね。 漢帝国とはおもむきが違う。 ローマ帝国と神聖ローマ帝国とが全然違うみたいなことに、ちょっと似ている感じがする。

子供のころから近代小説というのはよく読んだのだけれど、正直、今はあきあきしている。 言文一致形式の文章って、なんだか味気ないよね。 回りくどいのはいいから、結論を早く言え、みたいに思ってしまう。  その点、「十八史略」はいい。 子供のころに絵本を読んで陶然としていたことを思い出す。  今日は、伝説のテロリスト荊軻(けい か)のところをじっくり読んでいく。   

時は戦国最末期、秦の始皇帝がもう世界を統一しようかという。燕の荊軻が秦の始皇帝、当時はまだ秦王政と言っていたのだけれど、これをね、ちょっと暗殺に行くという話。 

「荊軻、行きて易水(えきすい)に至り、歌いて曰く、」 

易水というのは、燕の国の南部国境を流れる川。この川を越えると、もう敵地。荊軻はこの川を越えるに当たって、惜別の歌を歌おうというわけだ。2200年の時を超え、今でも語り継がれる歌がこれ。 

「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復(ま)た還(かえ)らず」 

たまらん、説明の必要なし。 

「荊軻、咸陽(かんよう)に至る。秦王政、おおいに喜んでこれを見る。荊軻図を奉じて進む」 

咸陽は秦の首都。図というのは燕の国の地図で、これを渡すと、この土地を献上するという意味になるらしい。 

「図窮まりて匕首あらわる。王の袖をとりてこれを突く。いまだ身に及ばず。王、驚きて袖を断つ。荊軻、これを追う」 

なんか巻物形式の地図の中から匕首が出てきたんだな。これにはたっぷり毒が塗ってあって、一撃コロリなんだよね。渾身の追いかけっこ、始まる。 

「柱をめぐりて走る。秦の法、群臣の殿上に侍する者は、尺寸の兵をとるを得ず。左右、手をもってこれをうつ」 

柱をめぐりて走るだって。場面が急に立体的に思えてくる。殿上では、秦王政しか剣を持つことは許されていないらしい。群臣みな丸腰らしい。どうする? 

「王、剣を負え。ついに剣を抜き、その左股を断つ。荊軻、匕首を引きて王に投げ打つ。当たらず。ついに体解してもってとなう」  

秦王政、剣が長すぎて抜けなかったんだね。そこで一声、「王、剣を背負え」だからね。 たまらん、必要と思える説明さえ削ってくるこの感覚がたまらない。

吉田松陰の「講孟箚記」というのは、孟子の言説を逐一、吉田松陰が注解するみたいなもので、まずもって「孟子」を読んでいるということが前提のものだ。 「孟子」はべつに長いものではなく、岩波文庫で上下二巻で出ている。  「講孟箚記」の世界観というのは、「孟子」を超えようとしながら、結局「孟子」にとどまるみたいな感じだと思う。 もう少し詳しく言うなら、まずもって孔子というのは、修身、斉家、治国、平天下、という序列を大事にして、それぞれのカテゴリーの関係性の循環というのを期待した。すなわち、自分が自分であるという自己同一性(修身)を基礎に、家族、親族の一体性を確立して(斉家)、親族に押し上げられた男たちが国家を支えるという期待を背負い(治国)、その結果、世界が平和になるという(平天下)。これら四つのカテゴリーの関係性が、互いを互いにフィードバックしあうことによって強化され、結果として世界に秩序が形成されることを、孔子は期待したわけだ。 孟子は、この四つのカテゴリーのうち、斉家と治国をちょっとレベルダウンさせて、修身と平天下を直接結び付けようとしている。 例えば、舜は父親の許可を受けずに嫁をもらったのは、しょうがないところもある、みたいなことを孟子は言っていて、これは斉家をちょっと低く見ている証拠だし、孟子の君主に対する態度はかなり尊大で、これは治国をちょっと低く見ている証拠だ。  講孟箚記は、この孟子の斉家と治国を低く見るところを批判してはいるのだけれど、修身と平天下における孟子の強調具合は認めている。 しかしそもそも、孟子の修身と平天下の強調というのは、斉家と治国を低く見ることから発生しているわけで、吉田松陰がいくら斉家と治国を持ち上げようとしても、孟子を箚記する限り、このことは成功しえないんだよね。  これを突き詰めれば、個人と世界というものを直接結びつける(日本の場合、世界とは天皇を意味することになってしまうのだけれど)ことになる。 世界というものが、日本において天皇に結びついてしまうというのは、しょうがない所もある。孟子の世界においては、世界は統一されたことがあった。周や殷によって。しかし、近代人においては、世界はいまだ統一されたことがない。統一されたことのない世界において、日本人が世界認識の実感として、天皇を持ち出したとしても、これは別に日本の未熟さともいえないだろう。世界が統一されたことがないのは、日本の責任ではないのだから。  さまざまに条件の整っていないところがあるのだけれど、個人と世界を結びつけようとする言説って、本当に魅力的だよね。

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