吾十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑はず
五十にして天命を知る
六十にして耳順(したが)ふ
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず
孔子は、15歳にして学を志したという。この学というのは何か? 数学とか倫理学とか社会学とか、そのようなものではない。学とは、人格形成への道を意味する。 では、人格形成とは何か? 現代的な言葉で人格形成という概念を言い換えるとするなら、それは、自分が自分であるという自己同一性の確立、ということになるだろう。
現代世界は整合的に出来ているように見える。歴史的に様々な矛盾を解決して、あるレベルの文明水準を形成している。しかし豊かになったにもかかわらず、精神的な問題で、社会からドロップアウトしてしまう人間が多すぎないだろうか。さらに私の体感的に、ドロップアウト予備軍というのは、かなり多いだろう。
これはいったいなぜなのかというと、この世界では、自分が自分であるという自己同一性というのが当たり前のものとして前提されているからだと思う。 そして、多くの人々が、当たり前の事が出来ないからといって苦しんでいる。
しかし、自己同一性というものは本当に当たり前のものなのだろうか? 自己同一性とは生まれ持った才能の一つなのだろうか?
ここで孔子だ。
孔子は15歳にして、自己同一性の確立の道を志したという。その結果、三十にして立って、四十にして惑はず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず、という。文句なしだろう。
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三十にして立つ
四十にして惑はず
五十にして天命を知る
六十にして耳順(したが)ふ
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず
し‐がく【志学】
1:学問に志すこと。
2:[論語為政「吾十有五而志於学」]15歳の称。
じ‐りつ【而立】
[論語為政「三十而立」]30歳の称
ふ‐わく【不惑】
1:[論語子罕]まどわないこと。
2:[論語為政「四十而不惑」]年齢40歳をいう。
ち‐めい【知命】
1:天命を知ること。
2:[論語為政「五十而知天命」]50歳の称。
じ‐じゅん【耳順】
[論語為政「六十而耳順」]
(修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意)
60歳の異称。
(『広辞苑』)
孔子は、15歳にして学を志したという。この学というのは何か? 数学とか倫理学とか社会学とか、そのようなものではない。学とは、人格形成への道を意味する。 では、人格形成とは何か? 現代的な言葉で人格形成という概念を言い換えるとするなら、それは、自分が自分であるという自己同一性の確立、ということになるだろう。
現代世界は整合的に出来ているように見える。歴史的に様々な矛盾を解決して、あるレベルの文明水準を形成している。しかし豊かになったにもかかわらず、精神的な問題で、社会からドロップアウトしてしまう人間が多すぎないだろうか。さらに私の体感的に、ドロップアウト予備軍というのは、かなり多いだろう。
これはいったいなぜなのかというと、この世界では、自分が自分であるという自己同一性というのが当たり前のものとして前提されているからだと思う。 そして、多くの人々が、当たり前の事が出来ないからといって苦しんでいる。
しかし、自己同一性というものは本当に当たり前のものなのだろうか? 自己同一性とは生まれ持った才能の一つなのだろうか?
ここで孔子だ。
孔子は15歳にして、自己同一性の確立の道を志したという。その結果、三十にして立って、四十にして惑はず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず、という。文句なしだろう。
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