magaminの雑記ブログ

2017年05月

自信がないとか、自己主張できないとか、自分の弱さに苦しむということはある。しかし、私はそのような人こそ誠実な人間だと思う。だってよく知りもしないことを、強弁したり出来ないよね。社会にでればこれが当たり前なんだなんて言われるだろうと思うのだけれど、そんなインチキ詐欺師みたいな言説を信じて、自分の一生を終わるなんて恐ろしい気持ちになるのもわかる。   自分に自信がない理由を突き詰めて考えれば、この世界が何故このようにあるのか分からない事にあると思う。自分の中で、確固とした世界観を持てないから、自分にとっての世界が不安定になる。   では、確固とした世界観とは何か? この世界は何故このようにあるのか?  この世界が一つしかないとするなら、その世界の中に暮らす人にはこの世界が絶対となるから、この世界は何なのかと問うことはできない。この世界は何故このようにあるのか、を問うためには、別の世界を発見して二つの世界を比較しなくてはならない。世界を相対化するとは比較にある。ニーチェは現代世界を相対化しようとして、ギリシャ悲劇時代を持ち出した。フーコーやウェーバーは近代以前の世界を持ち出すことによって近代を相対化しようとした。マルクスも似たようなものだろう。これはこれで悪くないと思うのだけれど、はっきり言えば物足りない。しょせんは西欧中心主義で、このような論理では日本人は救われない。もし人類の歴史が西欧中心だとするなら、日本としても受け入れなくてはならない。しかし実感としてその通りだろうか? 日本だけでなく、東アジアの長い歴史を思い返した場合、引っかかる所はないだろうか?   ここまで考えた時に、宮崎市定の凄みというのがわかる。宮崎市定はユーラシア大陸を中国、西アジア、ヨーロッパと3つにわけて、3000年にわたって互いに影響しあっていると喝破する。現代は確かに西洋文明の圧倒的な時代であるけれども、それは西洋人の遺伝子が優れているというものではなく、長い時の中での、現代においての切り口的現象に過ぎないという。これはべつにルサンチマンというものにではなく、合理的推論と判断せざるをえない。  よく考えて欲しい。  この世界が何故このようにあるのかを知るためには、別の世界との比較が必要だ。ニーチェやフーコーやウェーバーは、比較対象を自らの西洋文明の過去の中から調達してきた。しかし宮崎市定は、自らの文明を相対化しようとするとき、西アジア、ヨーロッパを引っ張り込んだ。宮崎市定の歴史観が整合性を持つとき、宮崎市定とニーチェと、どちらの歴史観がより整合性を持つだろうか?  内藤湖南という人が、中国の中世と近代との境目を宋初においた。こんなことを言うとなんなのだけれど、これって内藤湖南の思いつきレベルだと思う。だって戦前において、中国のルネッサンスがヨーロッパのルネッサンスに先んじているなんて、主張しにくいと思う。だって西洋は列強の集合だし、中国はあの体たらくだし。しかし、宮崎市定は、中国において近代は宋に始まる、という言説を確信して、自らの着想を育てたのだと思う。天才とかそういうんじゃない。一つの言説を強烈に確信するという、そこがすごいよ。日本人は、宮崎市定という思想家をもったことを誇りに思うべきだ。

福沢諭吉というのは、文章は面白いし頭は抜群に切れるとは思うのだけれど、論理的な体系を創ったというわけではないだろう。福沢は、その時々に自分にとっての合理的な発言をしていただけで、別に人生を貫いて首尾一貫した論理を語ったというわけでもないと思う。福沢の発言を首尾一貫したものとして理解しようという考えみたいなものは今でもあると思うけれど、そんなの無駄じゃないかな。例えば、福沢の脱亜論の思想を「学問のすすめ」のなかに見つけようとしても無駄だという意味で。 脱亜論というの思いつきのレベルだろう。ただ思いつきにしてはよく出来ている、福沢諭吉だから。   一方、徳富蘇峰は変節とか言われているけれども、首尾一貫した思想というものがあったと思う。蘇峰の言動が揺れているように見えるのは、世界が揺れているからであって、蘇峰は一本筋は通していると思う。   宮崎市定の「中国史」の明の記述。  明の時代というは、爛熟の時代とされている。内藤湖南によると、中国の近代というのは宋に始まる。だから、明というのは近代2周目なんだよね。明代に祝允明(しゅくいんめい)という人がいた。「中国史」にこのようにある。「経史に通じ、文章がうまく、あらゆる分野に独自の見解を有したが、実際の生活には必ずしも主義に拘泥しなかった。彼の処世哲学は、馬鹿者は本気に相手になるな、ということで、こういう場合は自己の主張を曲げても恥にならないのであった」  これは福沢諭吉だろう。馬鹿が馬鹿言ってる、というのは福沢の口癖みたいなものだった。祝允明(しゅくいんめい)というのは、近代という時代における都市部知識層の精化みたいなものだろう。祝允明(しゅくいんめい)と同じ時代に、王陽明がいた。宮崎市定がいうには、「陽明学とは、田舎くさい意思の哲学」 という。いわれてみればその通りだ。私は陽明学が好きだから、田舎くさいというところは引っかかるのだけれど、宮崎市定の陽明学に対する褒め言葉としても受け取れるし。 それはいいとして、田舎くさい意思の哲学、これは徳富蘇峰だろうと思う。   歴史って、起こった出来事をそのまま牽強付会的に丸暗記していたのでは、正直何がなんだかわからなくなる。無駄なところをそぎ落とすことで、形みたいなものが現れてくる。明代の不必要なものをそぎ落としてみたら、日本近代の福沢や蘇峰的なものが現れてきたなんて、不思議な感じがする。

孔子の論語を読んでも、私なんかは「まあいいこと書いてあるな」程度しか思えない。しかし、当時春秋末期においては、孔子というのは革命的言説を操るレベルだったのではないかと密かに思う。  歴史上には驚くべきコンビとうものが存在する。一人がまず世界を相対化するような論理を展開する。それが行き渡ったところで、もう一人が、より合理的な世界観を求めて、緩んだ世界観を再編成しようとする。一番わかりやすいのが、ソクラテスとプラトンのコンビだ。ソクラテスは、当時の社会的成功者のところにいっては、そいつの人生論がどれほど無価値か指摘して回っていた。今で言うと、「私の履歴書」に載るような人のドヤ顔で語る人生観を、いちいちたいしたものではないと言って回っているようなものだ。これは根源的に効果的だろう。どうせ人間はいつか死ぬのだし、お金をかせいだり人からちやほやされたり、そんなことは無意味といえば無意味なわけだから。そのように、価値観が相対化されたところに、プラトンが現れて価値観を再編成してより強力な世界観を作ろうとしたわけだ。  これはニーチェとヒトラーの関係にも当てはまる。ニーチェが価値観を相対化して、ヒトラーがより強力な世界観を再編成しようとしたわけだ。  私はおそらく、孔子と孟子の関係も同じだと思う。孟子があのような強力な世界観を提示できたのは、孔子がそれまでの春秋の世界観を相対化していたからだと思うんだよね。しかしこのことがピンとこないのは、春秋の世界観というのがどのようなものだったかというが、分からなくなってしまっているからだろう。孔子の攻撃的な言説である「論語」だけが残っていて、春秋のどのような世界観を孔子が相対化しようとしていたのか、ほとんどわからなくなってしまっているのだろう。  まあ大体そのような流れでなくては、孟子の言説が何故あのように協力なのかという説明が全く出来なくなってしまう。  だから、論語というのは、何か良い事を言おうとしている言説集合ではなく、何らかの強力な世界観に対する挑戦の言辞ではないかと思う。

宮崎市定は中国史をすばらしく相対化して記述している。これは並大抵ではない。  歴史を相対化して考えるというのは、実は非常に難しい。例えば、あの太平洋戦争のことを考えてみればよくわかる。普通に考えてしまうと、強大なアメリカに真珠湾攻撃なんて、今から思うと、戦前の日本人は馬鹿かキチかその両方かということになりがちだ。負けるとわかっていたのに何で戦うの、バカじゃないの、という論理だ。私は団塊ジュニアだけれども、私のおじいさん達は戦争世代だったけれど、今から思い出しても彼らは決して馬鹿ではなかった。現代の論理で戦前を推論すると、あたかも彼らは馬鹿だったかのように判断されがちなのだけれど、それはただ単に全く自分勝手な論理だ。戦前の日本人には彼らなりの世界観みたいなものがあったのだろうと思う。  私たちは、現代の価値観を過度に重要視して、過去の価値観を無意識に軽視してしまう。全く残念な態度だ。知力を振り絞って、戦後と戦前の歴史を相対化するべきなんだよ。ところがこれがなかなか難しい。これをやり遂げたとして、例えば次に明治維新から太平洋戦争までの歴史を考えてみる。明治維新と太平洋戦争とは、70年ほどの期間しか存在しない。にもかかわらず、明治維新と太平洋戦争をつなぐ歴史観、日本近代を貫く歴史観、さらにいえば、日本近代を相対化する歴史観、そのようなものを読んだり聞いたりしたことがあるだろうか? かなり日本近代史を読んだけれども、日本近代を相対化した言説というのを、私は徳富蘇峰一人のものしか知らない。司馬遼太郎などは、日露戦争までの日本を善玉、日露戦争後の日本を悪玉と設定することによって、日本の近代史を説明している。善玉日本と悪玉日本をつなぐ人物が乃木大将であって、乃木希典を貶めることで、日露戦争前の日本と後の日本とをつなごうとしている。   そのような断絶した歴史観が、真理を表すものだろうか。司馬遼太郎の失敗は、日本近代の精神史記述の失敗だろう。    宮崎市定は、このような全く困難な歴史の相対化ということを、中国史という悠久の時の流れの中でやろうとしているわけで、これは全く度肝を抜かれる。おそらく様々な批判にさらされているだろうと思うけれども、チャレンジというだけでも、すばらしいチャレンジだと思う。

なにか不安だったり、精神が不安定だったりしてウンザリするなら、何か一つの事を強く信じるようにすればいい。信じる観念は何でもいいよ。一旦信じたら、その信念によって自分の中の価値観を秩序付ける。そして殺されても自分の決めた信念を守るという覚悟をする。実際にただちに殺されることもないだろうし、とりあえず覚悟だけをする。そのうち本物の覚悟が育ってくる。   例えばアイドルオタクとかは、このようなシステムを使って自らを救っているのだと思う。自分の決めたアイドルを信じて応援して、その信念によって自分の世界の価値観を整除して、その中から生きるエネルギーを拡大調達しているのだろう。普通の人はアイドルとか馬鹿馬鹿しくて応援できないのだけれど、結局誰にとっても強く生きるためには、何かを確信するという必要性は残る。何も確信するものがないという人は、頭はいいけれど不幸ではある。その頭の良さを生かして、ちょっと何かを試しにだよ、信じてみればいい。確信というのは与えられるのを待つだけではなく、自分で勝手に信じちゃうみたいなこともアリだと思う。

秋浦というのは、唐代の県名。猿がでてくるところをみると長江流域地方だろう。   

五言絶句 

「秋浦(しゅうほ)の歌 5」  

秋浦に白猿多し  
越騰(ちょうとう)することひ飛雪のごとし  
枝の上の児を牽引し  
飲んで水中の月をもてあそぶ   

昨日寝る前にこの詩を読んでいたら、最後の「飲んで水中の月をもてあそぶ」で、猿が水に映った月を掬おうとしている映像が、頭にバンって浮かんじゃって。 あれなに?  なんだか一人でドキドキしちゃった。幻視というかリアルな妄想というか、そういうのって、あの月をすくう猿の映像がずっと続くものなのか。 いやー、危なく向こうの世界に行くところだった。まだ早いっちゅーの。

秦の始皇帝は見事に中国を統一したのだけれど、始皇帝の死後1年で陳勝の乱が起こっている。無理をしすぎたといわれている。  何が無理だったのか。  始皇帝って合理的な思考をする。中国を統一したら、文字を統一する、貨幣を統一する、道幅を統一する、郡県制を採用する、全体に効果があると思えば合理化する。このあたりがやりすぎたところだと思う。  現代においては、合理的思考というものは良いとされているけれども、そもそも合理的思考というものは無条件に与えられたり、訓練によって習得できたりというものではない。合理的思考というのは、「この世界は合理的である」という非合理な信念にって支えられている。  始皇帝は、合理的な行動によって中国を統一したことによって、「この世界は合理的である」という信念が極端に肥大化したのだと思う。  現代日本においても、合理的に考える人ばかりではない。例えば、会社というものは利益を追求するもので、会社社会では合理的思考が尊重されやすいはずだ。にもかかわらず、合理性を超越した変なこだわりを持った同僚はいないだろうか? そんなこだわりは家でやれや、と言ったとすると、怒ったり無表情になったり、全身全霊でくだらないこだわりを墨守しようとするやつってかなりの割合で存在する。  人間というのは、それぞれに世界観というか、価値の序列の体系みたいなものを持っている。この世界観がないと、未来を予測できなくなり、ひどい場合は統合失調症となり日常行動すら不自由になる。この世界観には、合理性というものが無条件に高い価値を与えられるわけではない。変なこだわりを持つ人というのは、人から見てつまらないと思える「こだわり」がその人の世界観においては重要な要素になっているのだろう。こだわっている当人も必死だよ。危ういこだわりが、彼の世界観を支えているのだから。多くの場合、説得によるこだわりの放棄というのは不可能だ。過度の清潔という、どうでもいい「こだわり」が、潔癖症という症状になって現れるみたいな。   合理化の強要で、潔癖症が直らないのと同じで、始皇帝の合理化の精神というものが、同時代人に反感を買ったというのも当たり前だと思う。さらに、会社なら利益という合理化のための指針があるのだけれど、統一された中国世界においては、戦国期とは異なり、明確な結果証明なんていうものは存在しないのだからなおさらだ。

秦の始皇帝がなぜ中国を統一できたか? ってよく寝る前とかに考える。紀元前400年から紀元前200年まで、200年の中国戦国時代。200年、しのぎを削った七つの国からなる世界が統一されるなんてただごとではないと思うんだよね。総力戦体制が200年続くと、愛国心も生まれるだろう。斉と燕の戦いにおいても、斉が燕を攻略すれば、楽毅によって燕は回復されるし、燕が斉を攻略すれば、田単によって斉は回復されるし。普通はこんな感じだと思う。現代的に考えれば、植民地というのはコスト的にペイしないというのもあるし。  世界を統一するなんて並大抵の事ではない。秦という国に圧倒的な国力があって、さらに世界を統一しようという、天の声というか人民の声というか、まあそんな時代の後押しみたいなものが二つそろわないと、世界統一なんて無理だと思う。ウエスタンインパクトなどといっていた近代の強力なヨーロッパ文明だって、東アジアまでは征服できなかった。現代はヨーロッパ文明すら力及ばず、現状は百何十カ国が自治権を固定されるにいたる群雄割拠固定状態だ。  秦に世界を統一させた時代の風がなんだったのか。 このような設問の答えは非常に難しく、遠い未来に世界が何ものかに統一される時に、天才によって事後的に理解されるレベルのものだろう。 ミネルバのフクロウは夕暮れに飛び立つ。  ただもう一つの設問、秦という国はどのようにして強勢になったのか。これは比較的答えやすい。宮崎市定は、騎馬戦術を最大限に利用したのは秦だ、という。 これは一理ある。 戦国以前は、馬を戦争に利用するときは、4頭の馬に車を一台引かせて、それを戦車と称し、軍の主力としていた。小回りがきかなそうな感じがするよね。ところが、戦国時代、趙という国の武霊王が「胡服騎射(こふくきしゃ)」と称して、北方の蛮族を真似して、馬に直接乗って戦うという戦法を採用した。宮崎市定の言う、秦が騎馬戦術を最大限に利用したというのは、この胡服騎射だ。武霊王は胡服騎射を採用したために、いい死に方をしなかったらしい。そんな記憶がある。結局、4頭の馬に車を一台引かせて戦うという伝統が優先されて、馬にまたがって戦う胡服騎射なんていうものが、いくら効率的でも伝統世界では受け入れられなかったということだろう。秦という国は、戦国時代においては新興国で、胡服騎射が非伝統的だなどという意見が少なかったのだろう。合理的な胡服騎射という戦法を大々的に採用したという。胡服騎射だけではなく、だいたいにおいて秦では万事がこのようなものだったのだろう。 伝統の縛りが薄いから、より合理的な世界観を速やかに採用できたということだろう。  アメリカが伝統的な縛りがないから、より合理的な社会体制を採用してヘゲモニー国家となったのと似ているところがある。  宮崎市定という人物はたいしたものだ。なかなかこの境地には至らないようなレベルだろう。

人の精神構造というのは、2層構造になっていると思う。意味というもののない下層構造と、意味の体系としての上部構造と。そもそも世界には意味というものはない。太陽なるものの周りを地球なるものが回っているとして、別にそれに人間的な意味が存在するわけではない。人間世界とは、巨大な宇宙の一角になんとかへばりついて存在しているという程度のものだろう。世界に意味がないということを、人間は心の底で感じてはいるだろう。厳然とした事実だから。しかし人間は、世界に意味がないということに耐えることが出来ない。どのような仕組みかというのは明確ではないのだけれど、人間は「世界には意味があるはずだ」という強い世界認識の傾向を持っている。  この精神的傾向が、様々な世界の様々な時代の世界観みたいなものを作り出したのだと思う。現代日本だってそうだ。現代日本の世界観で、日本人は様々な価値判断を下している。 人間の精神構造として、無意味としての精神下層部で発生する情動を、世界観としての精神上層部で解消するという形になっていると思う。  問題は、この世界観なるものが結構もろいことだ。人間の世界観というものは変更可能だ。例えば、福沢諭吉は江戸と明治の二つの時代を生きて、「一身にして二生を生きるが如し」 すなわち一つの人生で二つの世界を生きたかのようだ、と述懐している。山田風太郎も、戦前戦後を生きて、同じようなことを言っていた。  世界観とは変更可能なのだけれど、なかなかそこまでは思い至らない。自分の信じていた世界観が崩れてしまった時、その後どうしたらいのか分からなくなるということは十分にありえるだろう。現代は精神的プレッシャーの強い世界だから、例えば人から好かれなくてはいけないとか、いつもちゃんとしていなくてはいけないとか、まあそのような脅迫的世界観が崩れてしまった時、行動の指針がなくなるわけで、どうしていいかわからないという行動不能の状態になるだろう。病状が軽度だと意志薄弱、注意力散漫、みたいなことになるだろうし、中程度だと神経症、重度だと統合失調症となって社会生活がほぼ営めなくなる。  私は思うのだけれど、現代日本において軽度以上のの精神疾患が疑われる人というのはかなり多いだろう。自分はそうではないと自信を持って断言も出来ないのだけれど、明らかに意志薄弱以上だろうというひとは、職場にも複数いる。何故そんなことになっているのか。  そもそも「人から好かれなくてはならない」などという程度のレベルの低い世界観自体が問題だろう。人間にとって、世界観とは絶対ではないし変更可能ではあるけれど、無条件に与えられるとかおろそかにしていいとかというものではない。出来るものなら、より強固でより自分にふさわしい世界観を勝ち取ることが望ましい。そこにこそ、この世界の自由は存在する。にもかかわらず、人から好かれるべきだとか、レールを外れるべきではないとか、お金をより稼ぐことが価値だとか、その程度の世界観を頭上に頂くようではどうだろうか。うまくいく場合もあるだろうが、そもそもがクズグズの世界観なのだから、維持するのも大変だと思う。うまく維持できなければ、統合失調症まではいかないまでも何らかの神経症にはなるだろう。  私は若い人の「自分探し」というものを否定しない。人は確固とした世界観を持つべきだ。

何年か前に、高校の同窓会に行ったことがある。私にとっては25年ぶりの集まりだった。私が行った高校というのは、中高一貫の進学校で、すなわち高校の同窓会といっても、中学の同窓会も兼ねている。驚いたのは、医者、歯医者、弁護士、会計士、という職業のやつが多かったことだ。半分以上、そんな感じだった。  聞いてみると、親の地盤を継いでいるわけだ。そもそも親が会計士だったなら、子供にも会計士になってもらいたいということで、子供を中高一貫の進学校に押し込んでいたわけだ。そして子供も親の期待に見事にこたえたという。  悪くないことではあると思う。しかし自由というのはどこにあるのかと思う。  私の親は八百屋で、そんなものを継ごうなどと自分では一度も思ったことはなかった。高校の時も、自分は自由で、世界も自由で、周りの友達も自由なのだろう、と思っていた。ところが高校時代の同級は、自由なようでけっこう型にはめられていたのだなと感じた。  このようなことは、私には耐えられなかっただろう。親が会計士だから、自分も会計士になるなんて、考えただけでも恐ろしい。 普通はレールから外れるのが怖いらしいのだけれど、私はレールに乗り続けるのが怖かった。 一度しかない人生なのに、失敗しないためにレールに乗って人生終わって、それに何の意味があるの、と思った。  中高一貫の学校で、自分は成績もそこそこで、帝国大学の上位校まで行ったのだけれど、途中でやめちゃって、ブルーカラーのトラック運転手になった。それから25年たった。給料は安いけれど、社畜なんていうことはない。ずっと孟子を読んでいる。この世界は生きる価値があるのではないか、とは思っていたのだけれど、孟子を読んで、それは確信に変わった。  正直、危なかったと思う。  あのままレールに乗っていたら、ギリギリの能力を社会に要求されていたのなら、孟子にまで出会うなんていうことはありえなかっただろう。  二十歳のころの自分が抱いた、世界は自由なはずなのに何故か自分のためのレールが存在する、という違和感。あの感覚は正しかった。 この世界の真実はレールではなく自由の方にあると47歳になって確信する。  このような確信は、奇妙とも思えるだろう。  しかし、この世界は生きる価値があるという確信は揺らがない。事実だからしょうがないとしか言いようがない。

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