magaminの雑記ブログ

2017年04月

哲学者とソフィストの違いとは、「真実を求めることと、真実を求めるふりをすることとの差」であるだろう。

螟慕┥縺�, 隘ソ, 豬キ, 繧ケ繧ォ繧、, 螟�, 繝薙・繝�, 繧ョ繝ェ繧キ繝」, Topio

【真の哲学者とは】


納富信留(のうとみのぶる)の「哲学の誕生 ソクラテスとは何ものか」を読んだのだけれど、納富信留なる人物はかなり優秀だと思った。Wikipediaによると、元国際プラトン学会会長らしい。国際プラトン学会なるものがどのようなものか全く知らないのだけれど、プラトンの言説に対する誠実な態度から、彼のプラトン基礎研究というのは信用できると判断した。   

納富信留によると、ソフィストの言説とソクラテスの言説というのは、古代ギリシャにおいてはとりたてて区別されていなかったという。クセノフォンにおいては、ソフィストとソクラテスとはたいして区別がなかったという。  

私がいくらばかげた暇人だからといって、クセノフォンまで読む時間はない。   

プラトンとクセノフォンを読み比べて、プラトンこそがソフィストと哲学者との違いを主張しようとしたという納富信留の思いというのは、受け入れてもいいのではないかな、と考える。    

ではソフィストとソクラテスの違いとは何か?   

真実を求めることと、真実を求めるふりをすることと、いったい何が違うのだろうか。

プラトンによると、ソクラテスは「知の大家」のところに行っては、その知の体系をぶち壊そうとしていたという。この世界には様々な知の体系というものがある。心理学とか、社会学とか数学とか。個人にはこの世界における生活哲学というものもあるだろう。

ソクラテスは、このようなものをグラつかせに、わざわざやってくる。アニメオタクのところに、真実の女の子のほうがよっぽどいいよとリア充が説教しに来るようなものだ。頼みもしないのに、オタク世界を相対化しようとするわけだ。 

ソクラテスは、古代ギリシャ世界において、そこに存在する様々な価値観を相対化しようとした。それに対して、ソフィストは既存の価値観の尻馬に乗ろうとしていた。微妙だけれど、決定的に違う。  

ソフィストというのは単なる知識人で、ソクラテスというのは世界を相対化する者だ。  

ソクラテスが価値観を相対化して世界観がグラついている状況において、プラトンは世界をより合理的なものに再編成しようとした。プラトンとソクラテスというのはセットなんだよね。ソクラテスが社会の価値観を崩して回り、プラトンがその価値観群を再編成するという。プラトンの「国家」という、あの強力な言説集合はこのようにして生まれたと思う。   

このように考えてくると、ヒトラーの「わが闘争」という書物がどのようにたち現れてきたのか分かってくる。ニーチェがソクラテスで、ヒトラーがプラトンに当てはまる。ニーチェは近代の価値観を相対化しようとして、ヒトラーは結果グラついた世界観をより合理的に再編成しようとしたのだろう。だから、プラトンの哲人国家とヒトラーの第三帝国と、結果的に似ているところが現れるのだろう。   

プラトンの言う哲学者とは、真実を確定する者ではなく世界を相対化する者だ。哲学がプラトンに始まるとするなら、ニーチェこそが哲学者で、カントやヘーゲルはソフィストということになる。ニーチェは、「プラトンごときが」と書き散らすところもあり、かなりプラトンを敵視していたけれど、ただ2000年という時の流れが残酷なだけで、ニーチェとプラトンがかなり近いとするなら、それは皮肉なものだよね。  
イロニーだ。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


ソクラテスというのはプラトンの対話編にしか登場しない、だから横溝正史の金田一 耕助みたいななものかと思っていた。  

でもそうでもないんだね。  

紀元前4世紀初頭のギリシャにおいては、ソクラテス文学というジャンルが存在していたらしい。

紀元前5世紀末、ペロポネソス戦争でのギリシャの混乱、アテネの敗北などによって、紀元前4世紀初頭のアテネはきわめて微妙な状況にあったという。価値観が振動するような状況で、様々な言説が自己の論理の正当性を主張しようとしていて、ソクラテスを非難するプロパガンダに対抗する言説集合が、ソクラテス対話編ソクラテス文学ということになるらしい。

様々なソクラテス文学が当時は存在していて、プラトンはそのうちの一つだということらしい。プラトン以外のソクラテス文学というのは、ほぼ失われてしまっているのだけれど、ローマ帝国時代の文献の引用から、ソクラテス文学のいくつかを推測できるという。けっこう大変な作業の集積だろうけど、ご苦労さんだとおもう。ありがたいよ、素人にはここまで出来ない。   

プラトンだけを読むと、プラトンとはとてつもない天才かと思ってしまうのだけれど、やっぱり時代に押し上げられたということもあったのだろう。  

しんみりしちゃうよね。 

プラトンだって、何もかも分かってあの言説を書いたわけではなく、ギリギリのところ、時代の最高到達点を言葉に残したということなのだろう。

プラトンの「国家」を読んだときの、世界がグラつく感覚というのは忘れられない。正確に表現すれば、何が正しくて何が正しくないかという自分の価値体系が微調整される感覚ということになるだろうか。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


議論で負けるということはありえない。揚げ足さえ取られないように注意すれば、最低でも引き分けには持っていける。要は、強い気持ちと首尾一貫した論理、これのみだ。長い人生の中では、相手が強敵で旗色の悪くなる時もある。そういう時は、自分の信じる正義というものを前面に押し出すだけ。これで最低でも五分五分に持ち込める。まあ、嫌われたっていいじゃないの。強い気持ちでオープンマインド。これを貫けば、特定のヤツに遠慮されているからといって、逆にすがすがしいくらいのものだ。人間誰しも、たいした論理で動いているわけではない。利害によって無意識に操られているレベルだよ。誰に遠慮する必要もない、強い気持ちでオープンマインド、これでノープロブレムだ。

現在私は、47歳のおやじ。職業はトラック運転手で、4人の子持ち。若いころは、女の子にもてたいとか、人から評価されたいとか、美味しいものを食べたいとか、そういうのもあった。しかし消え去った。年とともに、あらゆる意欲が失われていく中、文学に対する情熱だけはなくならない。  本当にありがたいことだと思う。  導火線に火がついたのはいつだったのだろうか。中学2年の時にカフカを読んだときか、小学3年の時にルドルフ.ヘスを読んだときか、それとも生まれる前か。  今日から、「哲学の誕生 ソクラテスとはなにものか」という本を読み始めた。どこかの大学教授の本なのだけれど、名前は書くこともないだろう。プロのプラトン研究家がプラトンをどう評価しているのかと、ちょっと興味があっただけだから。プラトンは読んだ。プラトンというのは、近代世界の根源だと思う。この世界で、何が正義で何が悪かという価値基準というのは、プラトンにさかのぼれるものが多い。そして、正義というものがプラトンなるものに勝手に決められているとするのなら、ちょっと釈然としない気持ちにもなる。昔、父親が家のルールというものを勝手に決めていて、子供ながらイライラしていた感じか。  ニーチェはこの世界を相対化しようとして、プラトンに敵意むき出しだった。  例えばだよ、プラトンがソクラテスの多くの弟子の一人だったとして、さらにソクラテスが古代ギリシャの何人かの優秀な言論者たちの一人だったとする。なぜプラトンのみが哲学の巨人として現代にまで屹立しているのかというと、それは古代ギリシャの言説の多くが失われる中、プラトンの言説の多くが現代まで受け継がれてきたからだとする。このような論理を組み合わせると、プラトンはたまたま現代において英雄扱いされているかのように見える。この論理は、プラトンを世界の外側から相対化するものだ。世界を簡単に考えすぎている。  正直、このような相対化というのは価値が薄いと思う。ニーチェやハイデガーのように世界の内側から世界を相対化しようという言説こそ価値がある。  神経症の患者がいてだよ、それを神経症の外側からああだこうだと言ったとして、それが神経症患者のリアルに何の関係があるというのだろうか。神経症世界の内側から神経症を相対化して初めて、神経症患者は救われたり救われなかったりという揺らぎの中に復帰できるのではないだろうか。

父親が権威を持つという家父長的な制度は、現代日本においてかなり崩壊していると思う。家父長制度というのは、社会的バックアップと父親の絶対的収入という条件によって満たされるものだ。現代日本でこれらの条件を満たせる家族というのは多数ではないと思う。女性の社会進出が明確に進む中、生活していくのに夫婦で稼ぐ合理性というのは否定できない。  家父長制度が維持できないのなら、どうなっていくのだろうか。 そもそも日本、特に西日本は、伝統的に母系社会という伝統がある。日本は母系社会に移行していくだろうと思う。  母系社会の特徴というのは、男にとってそのパートナーに子供が生まれたときに、その子供が誰の種かを男は問題に出来ないということだ。そんなバカな、と思うかもしれないけれど、人類学的にそうなっている。  そもそも現状において、男がパートナーの女性が出産したときに、その子供を自分の種の子供であると信じているのは、いったいどのような根拠によっているのか。ぶっちゃけて言えば、彼女を信じているということだろう。 では、何によって彼女を信じることになっているのか。  結局、家父長的な社会制度によってであろう。  家父長的な社会制度が、母系的なものに移行していけば、男は、自分の妻が産んだ子供が自分の種ではないかもしれないということを受け入れていかなくてはいけないということだ。この言説はは残酷なように響くかもしれないが、実はそうではない。自分が托卵を食らわされる可能性があるのだから、ほかの男に托卵させるのも許されるわけだ。トータルで出来る男の遺伝子が残っていくわけで、別に悪いことではない。自分の獲得した女性が自分の子供を産んで当たり前だという考えは、はっきり言ってぬるい。法律的にどうこう言っているだけで、自分の遺伝子が残せると思ったら大間違いだろう。ぬるい男と刺激的な男とどちらが好きか、女性自身にに聴いてみたらいい。  男も時代に合わせてフレキシブルにならなくてはいけない。  パートナーの女性が子供を生んだら、自分の子供かどうかDNA検査を女性に受けさせるべきだなどという思考パターンの男は、そのDNA自体が淘汰されることになるだろう。

20世紀という時代では、科学が発達すればあらゆることがわかるようになると思われていた。楽観的だったと、今さらながら思う。  この程度のペースで科学なるものが進歩したとしても、わからないであろうことが多すぎる。意識とはなんなのか、生物の進化とはなんなのか、このあたりを全く答えらないのだから話にならない。結果、現代がなぜ国家なるものによって覆われているのか、歴史の発展は存在するのか、ということから、現代日本のうつ病とはなにか、引きこもりとはなにか、明確な答えがないままの百家争鳴状態だ。   私が思うに、おそらく何かの力の変数みたいなものが人間の認識に欠けているのだろう。べつに神様とかそういうのではなく、人間には認識しにくいようなファクターみたいなものが一つ以上存在しているのではないだろうか。  そうだとするなら、傲慢は罪だ。  例えばデカルトが 「我思う故に我有」と言ったとする。このような言説というのは、結局、わからないであろうことをカッコに入れて、わかることだけで世界を形成してみましょう、ということになってしまう。そして形成された世界というのはもちろん歪んだものになるだろう。人間に認識できない力が、この世界を構成している一つの要素だとするなら、人間はこの世界について明確な断定は出来ないことになる。  おそらくそんなことだと思うよ。  悪く言えば、この世界は認識できないということになる。しかし、良いようようにとれば、あらゆる断定的な人間世界の言説は、上からかぶせていくことが出来るということになる。   この世界の流行りとしての真実というのは、欧米の有名な社会学者が唱えているとか、東大の名誉教授が呼号しているとか、そのような全くいい加減なもので決定されたりする。信ずるに足らない。

  魂よ帰り来れ 南方は以って止まるべからず  ( 楚辞 招魂 )  そして日本の話。 靖国神社の前身というのは、長州の招魂祭的なものだったと記憶している。故郷を離れて死んだ人間の魂は、再び故郷に戻ってくるべきだという、このちょっとねっとりとした観念というのは日本にありがちだとは思う。ここでいう魂とは、論理的な死後の認識ではなく、一体性も怪しい情念みたいなものだろう。  楚辞(そじ)は中国戦国時代の楚地方に於いて謡われた詩の様式のこと。戦国時代は紀元前3世紀ごろ、楚とは戦国時代に揚子江中流域にあった有力国家名。  戦国時代の南方国家の楚と幕末から明治初期にかけての靖国神社形成にいたる日本が、招魂という言葉で重なっているというのはどうなのだろうか。  もちろん何の関係もないということもありえる。  ただ、「 魂よ帰り来れ 」っていうこの言葉が、なんだか引っかかる。楚と近代日本が、魂よ帰り来れなんていう言葉で2000年の時を越えてつながっていたとしたら、それはもうロマンだよね。

杜甫の「春望」がまたすごい。国破れて山河あり、っていうやつ。   唐が全盛期の時、玄宗皇帝が楊貴妃に耽溺している間に安禄山の乱がおこって、長安の都がひっくり返されたっていう内乱状態が存在した。  杜甫はこの経験をてこに、強力な言説を展開した。その一つが、「春望」だ。  国破れて、というこの続きを見てみようと思う。      

国破れて山河あり      
城春にして草木深し      
時に感じては花にも涙をそそぎ     
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす     

戦争という非常時に、惰性の生活世界が崩れて、リアルな感覚が立ち昇ってきたということになるだろうが、まあそんな説明の必要もないだろう。生活の奥にあるリアルを言葉で固定するというの、並大抵ではない、普通ではムリだ。それを、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす ときた。すごいよ。さすが詩聖だね。これが例えば小説だったりすれば、鳥に心を驚かす主人公が、なぜ鳥に心を驚かすに至ったのかを延々と論述したりするだろう。そんなのを読みたい人は読めばいいのだけれど、個人的には正直うんざりなんだよね。杜甫の場合は、鳥に心を驚かす ことの前ふりというのが、国破れて山河あり 城春にして草木深し これだけだという。

漢文とか漢詩とか、興味ある人なんて極めて少数だと思う。 私は、子供のころから文学好きだった。ただどうしても西洋文学、西洋哲学みたいなことになった。この世界を知るには西洋の文学を知る必要があるだろう、みたいな強力なバイアスがあったのだろう。30年以上、西洋文学みたいなものを読んでみて、こんなことを言うと傲慢みたいなのだけれど、西洋の論理構成みたいなものはだいたい分かった。私程度の人間が理解できるのだから、西洋合理性なんていうのも、そうたいしたものでもない。この世界で、それぞれがそれぞれの合理性をより切磋琢磨していけばいい。それによって、お金を儲けたり人から尊敬されたら、よりよい人生なるものを享受できたりするだろう。 そんなことはどうでもいいと思う。大事なのは結局、言葉の迫力、言葉の厚みだろう。意味のための言葉、そんなのじゃない。意味としての意味、言葉としての言葉、積み重ねようとする意志。      そういう意味で、王 之渙のこの詩はたまらないものがある。   「千里の目を極めんと欲して、さらに登る一層の楼」   これだけなんだけれど。しかし、あらゆるものが凝縮されていてすばらしいよ。  千里の目を極めよう、この世界を理解しようとして、合理性の歴史の階段を登っていくという。しかしそもそも、この楼閣、この合理の世界というのはいったい誰が作ったんだ。一人の天才程度のものが作った楼閣に登ったからといって、千里の目は極められるのだろうか。積み重ねに寄りかかるような、諦めるような、王 之渙の世界観がたまらない。    次元が違う。    今の世界意識とは次元が違う。

此の地 燕丹に別る (このち、えんたんにわかる) 壮士 髪 冠を衝く (そうし、かみ、かんをつく) 昔時 人 すでに没し (せきじ、ひと、すでにぼっし) 今日 水 なお寒し (こんにち、みず、なおさむし)    この漢詩をじっくり読む。そうすると思い出すべき歴史がある。そおそお、あれあれ、伝説のテロリスト荊軻(けいか)。 毒の塗られた短刀で秦の始皇帝を殺そうとした、何度もいうけど、伝説のテロリスト。 荊軻が秦の始皇帝を殺そうと咸陽に行こうとして易水という川を渡ろうとしたときに読んだ歌がこれ。    「風しょうしょうとして易水寒し、壮士ひとたび去りてまた還らず」   起源というものがあるとするなら、このように厳然としてあるだろうと思う。駱賓王は、則天武后に対するクーデターに参加するにあたって、荊軻の詩にかぶせる詩を詠んだという。  始皇帝と則天武后、荊軻と駱賓王。 歴史を積み上げるというのは、このようなことを言うのだと思う。   此の地 燕丹に別る(中国の戦国時代、燕という国の太子の丹というやつに荊軻は口説かれた。始皇帝、何とかならないかって) 壮士 髪 冠を衝く(荊軻は太子の丹の思い入れに、髪が逆毛だって冠を衝くほどになったという) 昔時 人 すでに没し(何百年も前の話だ。始皇帝も荊軻も燕の皇太子も、歴史の彼方に没してしまった) 今日 水 なお寒し(ただ、則天武后と刺し違えようとしている私の前に流れている易水が、昔と同じような冷たい水をたたえているだけだ)   たまらんよね。この積み上げる感じが、本当にたまらんよね。

このページのトップヘ