magaminの雑記ブログ

2017年01月

孟子の時代、古代中国の紀元前300年、中国大陸は総力戦の戦国時代だった。春秋戦国の後期ということになるか。日本の戦国時代の名称も、中国の春秋戦国の戦国からとられている。

孟子の時代、紀元前300年の中国大陸は、七つの巨大な領域国家が覇を争うという状況だった。そもそも「国家」という言葉は、君主の治める国と君主の家臣が支配する家とがつながって出来た言葉だ。国家という言葉自体が総力戦を象徴している。

実際に、戦国時代の中国の人口は2000万で、長平の戦いで趙という国が失った兵力が40万という。趙というのは七つあった大国の一つだから、人口300万として、そのうちの40万を失ったということになる。消耗率13%ということになる。第二次大戦の日本の消耗率は4%程度、ソ連は14%だったから、中国戦国の総力戦の具合というのは推して知るべしだろう。

奴隷を戦場に繰り出しても、まともに戦うわけはない。国民を戦争に動員するためには何らかの強力な言説が必要だっただろう。おそらく様々な言説があっただろう。そのうちの一つが「孟子」だったと思う。

孟子は人の性善説を言い、君主は「国民の性善」を育てる責任を持つと説く。結論を言えば、君主が国民の善を育てることによって、国民は国のためにその命を自発的に捧げるようになるなるだろうということ。「孟子」は結局そのような言説にあふれている。

一つ例をあげてみよう。梁恵王章句下12を、私の現代語訳で以下に紹介する。

「穆公(ぼくこう)は孟子に尋ねる。今度の戦いで我が国の指揮官が33人死んだ。だが兵卒は誰も死んでいない。逃げた兵卒を誅殺しようにも、数が多すぎる。結局、軍の統制を保つにはどのようにすればいいのだろうか。孟子は答えて言う。あなたの国では、凶作のときは老人は川原に死体を捨てられ、若者は他国に食い扶持を求め四散している。それなのに、王の蔵には米が満ち溢れているという。これは人民を見殺しにしていると変わらない。曾子はかつてこのように言った、「戒めよ、戒めよ、汝から出たものは汝に帰るだろう」。王の民は王に仕返しをしただけだ。あなたは国民をとがめることはできない。もし王が国民に仁政を行うなら、王に親しみ、国家のために死ぬようになるだろう」

書き下し文
鄒と魯と鬨[たたか]う。穆公問うて曰く、吾が有司死する者三十三人、而して民之に死する莫し。之を誅するときは、則ち勝[あ]げて誅す可からず。誅せざるときは、則ち其の長上の死を疾[にく]み視て救わず。如之何してか則ち可ならん
孟子對えて曰く、凶年饑歳には、君の民老弱は溝壑に轉[まろ]び、壯者は散じて四方に之く者、幾千人。而して君の倉廩實[み]ち、府庫充てり。有司以て告[もう]すこと莫し。是れ上慢[おこた]りて下を殘[そこな]うなり。曾子曰く、戒めよ戒めよ。爾に出づる者は、爾に反る者なり、と。夫れ民今にして後に之を反すことを得たり。君尤むること無かれ
君仁政を行わば、斯ち民其の上に親しみ、其の長に死なん



仁政とは、国民の善を育てるような政策で、国民の性善を育てる努力をするなら、国家は一体となるということだ。これは君主が国民をコントロールしようというレベルではない。君主も国民も互いに捨て身だということだ。  身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。  孟子とは戦国というギリギリの世界のギリギリの言説だ。東アジアにこのような言説があることはすばらしいことだ。まったくのところ、歴史の重みというものを感じる。

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現天皇の退位する理由というのが、高齢で職務の遂行が疲れるなんていうのが理由だといわれているけど、そんなものではないと思う。明治以降の天皇制を考えても、天皇制とはそのような軽いものではない。疲れるからやめますとか、バイトじゃないから。明治天皇は正妻の子ではなかった。ところが家父長制が明治国家で喧伝されると、大正天皇は正妻との間に4人の男子をもうけた。当たり前なのだけれど、天皇と国家というのは一体だ。少なくとも、天皇側には国家と一体だという感覚があるはずだ。   現天皇が退位をしたいというところの真意はどこにあるかというと、日本人の過労死の多発が理由だと思う。会社を辞められないサラリーマンは天皇を辞められない天皇と同じだろう。過労で死ぬ日本人に天皇陛下は心を痛められたのだと思う。天皇すら天皇をやめることが出来るのなら、過労で死ぬ前に会社を辞めてもいいのだよという天皇の国民に対する思いがあるのではないのか。疲れたから天皇やめますとか、歴史的に考えてそのようなことはありえない。天皇退位とは、天皇の国民に対する何らかの思いであり、私は天皇の思いを上記のように判断した。

孟子の基本概念は性善説だ。孟子の思想は、性善説をもとに組み立てられている。儒教というと、君主と家臣、父と子などという秩序を重視するという保守的なイメージなのだけれど、孟子はちょっと違う。人の性善を最も重視するわけだから、必然的に君主の権威も低下する。突き詰めて考えれば、君主というものは人民の性善を育成する限りにおいて、君主という地位を維持できるということにならざるをえない。

「孟子」の梁恵王章句下8の有名な言説を私の現代語訳で紹介する。
桀(けつ)、紂(ちゅう)は古代中国の伝説の暴君。

「斉王は孟子に尋ねて言う。湯は桀を放ち、武王は紂を討ったという、これは本当にあったことか? 家臣がその君主を殺すというのが許されるのか? 孟子は言う、仁を損なうものを賊といい、義を損なうものを残という。残賊のもの、これを一夫という。一夫の紂が家臣に殺されたということは聞いたことはあるが、君主の紂が家臣に殺されたという話は聞いた事がない」

書き下し文
齊の宣王問うて曰く、湯桀を放[お]き、武王紂を伐つということ、有りや諸れ、と。孟子對えて曰く、傳に之れ有り、と。
曰く、臣其の君を弑すこと可なりや
曰く、仁を賊[そこな]う者之を賊と謂う。義を賊う者之を殘と謂う。殘賊の人之を一夫と謂う。一夫紂を誅することを聞く。未だ君を弑することを聞かず、と。

ここの孟子の言説は、昔から最も孟子の中で問題になるところだ。保守的な世界では、家臣が君主に反逆するということはありえないということなのだろう。しかし、人民の性善こそが最も大事であると考えるなら、王とは人民の性善を育成する責任があり、その責任を放棄する王は殺されてもしょうがないということになる。役に立たない王はチェンジだということだ。これは論理の必然であり、この必然を当たり前のように貫いた孟子は、全くすばらしいと思う。

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「孟子」における牛山を使った性善説の説明を、書き下し文と私の訳で解説します。


【性善説とは】


孟子の思想の中心は性善説だ。性善説とは、人間の本質は善だというもの。孟子の言説はこの性善説を元に組み立てられている。

でも人間の本質が善だなんて、全くおめでたいという考えもありえる。孟子さん、現実の社会には、いい人もいるし悪いひともいるでしょう? というのが普通の感覚だと思う。もちろん「孟子」の中でも、そのような質問を孟子自身にぶつけたものがいる。その質問に対して、孟子はどのように答えたか? 

告子章句上8の孟子の牛山の言説を見てみる。以下に私の現代語訳を書く。そのあとに書き下し文を掲載。

『孟子は言う。あの牛山を見ろ。あの山はかつて木に覆われ美しかった。だが薪として、木は切られてしまった。だが山はまだ生きていて、雨や露の潤すところ、切られた切り株にも緑がたちこめた。ところが人々は牛や羊を放牧する。やわらかい緑もすべて食べられてしまった。長い月日がたち、何もなくなった山を見て、人々は、この山ははじめから何もなかったと思うようになる。しかしこの今の牛山は、本当にあるべき牛山の姿なのだろうか? 人間の心も、この牛山と同じなのではないだろうか? 人が良心を無くしてしまう理由も、日々において牛山の木が失われてしまったことと同じなのではないだろうか? 日ごとに木を切ったのでは、その美しさを保つことはできない。あの夜明けの緑の芽生えも、良心を失った人が多いことを思うなら、昼間にそれを牛や羊に食べられてしまったのだろう。このようなことを繰り返せば、緑の芽生えも失われる。緑の芽生えが失われれば、人は禽獣と変わらなくなるだろう。人が禽獣であるさまを見て、その人は善であったことはないとして、そのことで本当に人の性善を否定したことになるのだろうか。正しく育てれば成長しないものはないが、育てるのをやめればそれは消えてしまう。孔子が、「取ればあり、捨てれば失う、出入り時なく、あるところを知らない」と言ったのも、このような意味ではないのか?』

孟子曰(もうしいは)く、
牛山(ぎゅうざん)の木も嘗(かつ)ては美なりき。
其の大いなる國に郊(ちか)きところなるに以りて、
斧斤(おのまさかり)はこれを伐る、いかで美と爲(な)るべけんや。
是れ、其の日夜の息(やしな)うところ、雨露の潤(うるお)すところとなりて、
萠(めばえ)・蘗(ひこばえ)の生ずるもの無きにはあらざるも、
牛羊また從よりこれを牧す。
是の以に、彼の若く濯濯(たくたく)たるなり、
人は其の濯濯たるを見れば、
未だ嘗て材(ざいもく)あらじと以爲わんも、此れ豈(いか)で山の性ならんや。

人に存するものと雖(て)も、豈で仁義の心なからんや。
其のひとの、其の良心を放つ所以のものは、
亦(ま)た猶(な)お斧斤の、木に於るがごとし。
旦旦(ひごと)にしてこれを伐らば、いかで美と爲るべけんや。
其の日夜の息(やしな)うところとなり、平旦(おだやか)なる氣あるも、
其の好惡(こうお)が人と相い近きもの幾(ほとん)ど希(まれ)なるは、
その旦昼(ひるま)の爲なうところ、有たこれを梏(みだ)し亡わしむればなり。
これを梏(みだ)して反覆すれば、其の夜氣も(良心を)存せしむるに足らず。
夜氣も存せしむるに足らざれば、その人の禽獸を違ることも遠からず。
人はその禽獸のごときを見れば、
未だ嘗て才(もちまえ)あらじと以爲(おも)わんも、
これ豈(いか)で人の情(実)ならんや。



善意に悪意で答えるような人はいる。しかしそのような人を諦めるのではなく、それぞれが人間の性善を信じ、結局は社会全体で全てを救っていこうということ、それが孟子だと思う。


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プラトンが語るには、国家の歴史的遍歴とは、名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。その移行の具合、それぞれの国家のあり方は、日本やヨーロッパの近代の歩みとほとんど同じだ。これをどう考えればいいのか。  

まあ普通に考えれば、人間には集団としてある決まった歴史を作り上げるシステムが存在するということになる。もう少し丁寧に言えば、人間集団はその社会としてある一定の条件を満たせば、ある決まった歴史パターンシステムが作動するということになるか。 

このような考え方を基本に、例えば明治国家を考えてみる。明治国家は誰が作ったのかという議論がある。伊藤博文が最有力だ。明治憲法も作ったし。明治の歴史にちょっと詳しい人は井上毅(いのうえこわし)という名前を挙げる。明治憲法を実質的に作ったからだ。このような英雄探しといのは不毛ではないだろうか。

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【日本の歴史システム】


歴史のシステムが作動したと考えてみる。

幕末の志士は現状の秩序を破壊して、崖の向こうに飛び降りた。そうしたらそこには明治国家的なものがあったということだろう。そして誰かが明治国家的なものを明治国家と名づけたんだ。  

同じように太平洋戦争について考えてみよう。ここでは英雄探しとは逆の戦犯探しというものになる。衆目の一致する悪役は軍部だ。これは死人にくちなしで、全ての責任を押し付けられたという面がある。個人としては、東条英機とか近衛文麿あたりになるか。ひねる人だと西園寺だとかを挙げる人もいるだろう。しかし、英雄探しが不毛だったように、戦犯探しも不毛なのではないだろうか。

真実はだよ、日本人が太平洋戦争という崖の向こうに飛び降りたら、そこには戦後日本的なものが待っていたということなのではないだろうか。そして戦後日本的なものを戦後日本と名づけた。 

226事件で、その首謀者達には破壊衝動があるばかりで、国家建設のプランがなかったと批判する人がいる。しかしそんな批判は的外れだ。自分達が破壊すれば、その後をついで誰かが新しい国を創るだろう、という226事件のあいつらの直感は正しかった。  

そして現代。私たちが迫られている決断というのは、民主国家か僭主国家かのどちらを選ぶかということになる。正確に言うなら、今の民主国家を選ぶのか、もしくは現在の秩序を拒否して、おそらく僭主国家が待ち受けているであろう崖の向こうに飛び込むかということになる。 

個人的には現状維持を希望。

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現代世界の先進国は民主主義なのだけれど、プラトンは民主主義の後は独裁国家が出現するだろうと予告しているる

普通に考えれば、この世界は進歩する世界だし、民主主義はすばらしい制度だから、民主主義は永劫に続くだろうということになるのだが。

この世界に不満を持つ人は、根拠のない世界崩壊願望を持つこともありえるだろう。ところで本当のところはどうなのだろうか。もちろん私なんかに未来が見えるわけではない。ただし、プラトンの言説に従って未来を予測することは可能だ。

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【プラトンの予言】


プラトンが語るには、国家とは名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。

プラトンは「国家」という本の中で、国家は名誉国家、寡頭国家、民主国家へと移行すると2500年前に断言し、2500年後に実際そうなった。では民主国家はどうなるのかというと、プラトンが言うには僭主国家になるという。僭主国家とは正統ではない支配者による独裁国家のことだ。僭主国家における独裁者の形成とはどのようなものか、プラトンの言説を聞いてみよう。 

「民衆の指導者から独裁者への変貌は、いつどのようにして始まるのだろうか? それは同胞の血を流し、こうして一人の人間の生命を消し去り、その穢れた口と舌で同族の血を味わい、さらに人を追放したり死刑にしたりしながら、負債の切捨てや土地の再配分のことをほのめかすとするならば、このような人間は殺されるか人間から狼に変身するかの選択を迫られるのではないだろうか」  レーム。  

「敵対者達は彼を追放することができず、力づくで彼を暗殺しようとたくらむだろう。そこで独裁者の道をここまで進んできたものは全て例外なく、このような状況に対処するために、かの有名な「僭主の要求」というものを思いつくことになる。すなわち身体を護ってくれる護衛隊を民衆に要求するのだ」  親衛隊。  

「金をもちしかも金と共に民衆の敵という悪評をもつ者がこの事態を目にすると、そのときこそ、そのようなひとは、友よ、かのクロイソスに下された神託のとおりになるのだ」  ホロコースト  

「かの指導者その人は、他の数ある敵たちをなぎ倒して、国家という戦車の上にすっくと立つ。その時彼は、もはや民衆の指導者であることをやめて、完全に僭主となってしまっているのだ」  

これはヒットラーのことだろう。  

プラトンの言説は続く。 

「いったんそとなる敵たちとの関係において、その気遣いから解放されてしまうとまず第一に彼のすることは、絶えず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆にとって指導者を必要とする状態に置くためにね」  

ラインラント進駐、オーストリア併合、ズデーテン、ポーランド侵攻、結局は第二次世界大戦となった。ドイツのソビエト侵攻は奇妙だとは思わないだろうか。独ソ不可侵条約もあったんだし、常識的に巨大な同盟国を攻める必要もない。ここのところは様々な見解がある、ヒットラーはソ連を冬までに片付ける予定だった、ヒットラーは気が狂っていた、奇妙なところでは、ヒットラーは破滅を望んでいたというのもある。

プラトンの言説を利用するなら、ヒットラーは戦争状態を必要としていた、ということになるだろう。

プラトンはヒットラーを推論しようとしたのではなく、民主主義の次の世界を推論しようとしたということだ。第一次大戦後のワイマールドイツという加圧された世界でヒットラーは現れたけれど、普通の民主主義世界でも必然的に僭主国家に移行するという。

プラトンは、世界の仕組みを説明したいから説明したというのではない。「正義」というものを説明したいから、つい世界の仕組みを説明してしまったというスタンスだ。  

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プラトンの語る民主制批判について、その言説を追ってみる。

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【プラトンの民主制批判】

プラトンは民主制を語り始める。

「ここの人々は自由であり、またこの国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由がいきわたっている」  

そうその通り、今もそう。 

「これは様々な国制のなかでもいちばん美しいものかもしれないね。あらゆる習俗によって多彩にいろどられているのでこの上なく美しく見えるだろう」 
 
民主主義とは現代において最高の価値であると思われている。人類進歩の行き着いた理想と考えられているといっても言い過ぎではないだろう。果たしてプラトンもこの現代の言説に同意してくれるだろうか?  プラトンはこう語る。 

「民主国家に暮らす彼は、もろもろの快楽を平等の権利のもとに置いたうえで暮らしていくことになるだろう。ただし真実の言論だけは決して受け入れず、仮に誰かが彼に向かって、ある快楽は立派で、ある快楽は悪い欲望からもたらされるといっても、そういう全ての場合において彼は、首を横に振って、あらゆる快楽は同じような資格のものであり、どれもみな平等に尊重しなければならないと、こう主張するのだ」  

この世界でも、生きる意味を失うという人は多いだろうと思う。その根源というのはどこにあるのだろうか?  

「こうして彼は、その時々に訪れる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送っていくだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音にききほれるかと思えば、つぎには水しか飲まずに身体を痩せさせ、あるときは哲学に没頭し時を忘れるような様子をみせる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇に駆け上がって、たまたま思いついたことを言ったり行ったりする。こうして彼の生活には秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を快く自由で幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるのだ」   

まさに現代だ。ここまで言われてみると、果たしてこれが人類史上最高の人間のあり方なのだろうかという疑問はわいてくるだろう。ではその疑問はどこからわいてくるのか? プラトンはこう語る。 

「さまざまな欲望は青年の魂のアクロポリスを占領するにいたるだろう。そこには学問や美しい仕事や真実の言論がなくて、欲望がアクロポリスの空虚さを察知するからだ。これらのものこそは、神に愛される人々の心の内を守る、もっともすぐれた監視者であり守護者であるのに」   

民主国家とは、本当に人類進歩の到達点なのだろうか。プラトンの答えは、国家とは名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。


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昭和6年12月、第二次若槻内閣は総辞職した。その理由というのが、内務大臣安達謙蔵が辞表も出さず家に引きこもった結果の内閣不一致というものだ。若槻の手記を読んでもこの辺はあいまいだし、戦前の歴史書を読んでみても、若槻、幣原、井上、そして西園寺の自由主義ラインに対する安達の陰謀のような書かれ方をしている。 ところが「安達謙蔵自叙伝」にこのような部分がある。  「昭和6年9月21日、朝日新聞は大活字をもって英国が禁輸出再禁止を断行せる旨特報した。予はこの報道に少なからず驚倒し、英国がかかる政策を執る以上は、我が国独り金解禁政策を維持することは不可能なりとの信念浮動して、これを若槻総理に勧告せんと決意した」  日本は昭和4年12月、列強の後を追って、金輸出禁止を解除し、金本位制の国際秩序に復帰したばかりだった。金本位制とは巨大資本に有利な制度であるということを考えに入れなくてはいけない。イギリスという自由主義の支柱が失われたなら、日本において自由主義的な政策を維持することは不可能であるという安達謙蔵の直感は正しい。さらに安達はこう語る。  「翌22日、総理官邸に若槻と面会して曰く、財政政策の大家に対し全くの素人考えかも知れぬが、予は深憂に堪えず。そは他にあらず金問題についてなり。昨日ロンドンの電報は英国が再禁止を断行する旨報じたり。英国再びこの挙に出ずる以上、我が国独り解禁を継続するの力なきは明瞭」 これに対して若槻は「右手を振り声を低くして曰く、これは秘中の秘だが君の意見の通りと思う」 と発言したという。  安達の回想は話の筋は通っている。自分の醜い真理は語っていないだろうが、美しい真理のほうは語っているだろう。若槻がこれを井上準之助や幣原喜重郎に相談したところ反対されたんだろうということは容易に想像がつく。結局この後間もなく若槻内閣は崩壊する。  しかしこれは若槻の政治力不足というものを越えた問題だと思う。世界の近代自由主義を支えた諸言説の体系が崩れようとするとき、個人がそれを支えようとすることは不可能だ。   

1931年9月、イギリスが金本位制から離脱して、近代を支えた「金本位制」は、ここで崩壊したのだろうが、そもそも「金本位制」とはなんだったのだろうか。ウィキ的に言えば、金の価値にそれぞれの国の通貨の価値を連動させるという、固定相場制みたいなものになるのだろう。近代先進国は金本位制をたまたま選択したというのなら話は終わってしまうのだけれど、現実はそうではないだろう。さまざまな通貨体制が存在するであろうなかで、「近代の精精神」は金本位制を選択した、という歴史があると思う。その選択する過程で、金本位制がいかに合理的な制度であるかという知の体系のようなものが形成されたであろう。 では、金本位制を支えたところの近代の精神とはなんなのか、その辺のところを意識しながら、「昭和恐慌と経済政策」を読めば、それは極めて興味深い。「昭和恐慌と経済政策」という本は、そんな知的圧力に十分耐える内容をもっている。   第一次大戦以降、ヨーロッパ主要国は国力が疲弊して、金本位を離脱して日本もそれに合わせて離脱した。しかし、アメリカは1919年、ドイツは1924年、イギリスは1925年、フランスは平価を切り下げて1928年に、それぞれ金本位制に復帰した。日本も、大正末から金本位制に復帰という議論は高まってくる。それを主導したのは憲政会だ。当時の日本は、憲政会と政友会との二大政党制時代で、憲政会は金本位復帰賛成、政友会は金本位復帰慎重という立場だった。金本位復帰というのは、今で言う円高政策のようなもので、円高でゾンビ企業を淘汰して日本経済の再生を主張するみたいなものだった。これで得をするのは当時の大財閥で、中小を吸収することによって寡占化を進められるわけだ。その大財閥の支援を受けて成立していたのが憲政会という政党であるという側面はあったろう。 このようなものを自由主義という。自由主義というと、いかにも自由で現代から見るとよさげな感じがするのだけれど、じつはそうではない。現代の自由とは精神の自由であるが、近代の自由とはお金に関する自由だ。精神の自由とお金の自由とは、同じ自由とはいえ対立する概念だ。現代は、精神の自由が優先される世界だから、お金の自由というのはある程度制限されている。税金が高い代わりに、社会保障が整備されている.近代の自由というのは、お金を儲ける能力、条件のある人がお金を儲けるという意味での自由だ。  最後の元老、西園寺公望はこのような自由主義者だった。大正末~金本位制離脱まで、西園寺は憲政会を中心に首相を奏上している。例外は政友会の田中義一のみ。  憲政会、自由主義、西園寺、皇室、英米、金本位、財閥、などの意味は、近代という金持ち優先日本資本主義世界を支える概念体系であって、当時の金本位制を支えた経済理論などはこの概念体系を支える似非科学のようなものだろう。こう考えてみると、昭和初期の自由主義勢力というものは、線が細いと判断するしかない。英米のイデオロギー的援助がなければ、長期にわたっては成立しえないものだろう。   憲政会なんていうのは、財閥に利用されただけだと考えることもできる。当時の大蔵大臣井上準之助が強力に金本位復帰を推し進めたのも、当時の経済理論を信じていたのもあるだろうが、財閥の側面援助というのは大きい。そもそも当時の経済理論だって、英米の金持ちの都合のいい論理体系ナわけで、井上準之助は大きい意味で財閥の手先だったともいえるだろう。残念なことではあるのだが。  実際、井上準之助は、昭和7年4月、血盟団の一人によって暗殺される。それに対し三井の池田 成彬は北一輝などに金をばら撒くなどして暗殺を回避する。まあ財閥といえども、戦争に引きずり込まれ、戦後に解体というのだから、全くおめでたい結末ではなかったけれど。

プラトンが語るには「国家」についての考察とは、国家は名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するというものだ。

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【プラトンの言説から近代日本を考える】


国家が寡頭制国家(金持ち支配国家)から民主国家にどのように移行するのかということについてのプラトンの言説を書き出してみる。

「思うに寡頭制国家の支配者達がその任にあるのは、多くの富を所有しているおかげなのであるから、彼らは、若者達のうちに放埓な人間が出てきても、法によって取り締まって、自分の財産を浪費して失うことができないように禁止することを欲しない。というのは、この支配者達には、そういうものたちの財産を買い取ったりしてもっと富を増やし、もっと尊重されようという気があるからだ」  

日露戦争後、日本は輸入超過になってしまう。外貨が海外に流出して、外貨準備が底をつくことも危惧されていた。このような時は輸入制限なんていうこともありえると思うのだけれど、そんな話は聞いた事がない。結局、第一次世界大戦の好景気で、めでたしということになった。プラトンの言説は続く。   

「寡頭制国家においてその支配者達は、まさにそのような怠慢な態度で、放埓な消費を許しておくことによって、しばしば凡庸ならざる生まれの人々を貧困へと追い込むのだ」 
「こうして貧乏になった人々は、針で身を武装して、この国の中でなすことなく坐していることになるだろう。彼らは憎しみを抱き、陰謀をたくらみ、革命に思いを寄せているのだ」  

まず思い浮かぶのは、幸徳秋水だろう。次に、一人一殺、血盟団だ。515も226もこの流れの中にあるのは明らかだろう。  

プラトンの言説はさらに続く。 

「そして自分たち自身を、金儲け以外のことはいっさい心を向けないような人間となし、徳への配慮においても、貧しい人々に比べて、なんらまさることのない人間にしてしまうのではないかね」
  
「そしてそのような状態になる支配者達と被支配者達とがおたがいのそばに居合わせることがあったとしよう。危険のさなかにあって、お互いを観察しあうような機会があったとしたなら、貧乏人が金持ちたちから軽蔑されることは決してないだろう。むしろ逆に、しばしば痩せて日焼けした貧乏人が、戦闘に際して、日陰で育ち贅肉を沢山つけた金持ちのそばに配置されたとき、貧乏人は金持ちがすっかり息切れして、なすすべもなく困り果てているのを目にするだろう」
 
「このような場合、彼は、そんな連中が金持ちでいるのは自分たち貧乏人が臆病だからだ、というように考えるとは思わないかね?」  

満州事変以降、軍部には下克上なるものが蔓延し、シビリアンコントロールというものは崩壊した。軍部の暴走といわれるものだけれども、これはよく統帥権の独立という明治憲法の欠陥なるものの責任される。 

はたしてそうだろうか。 

伊藤博文がもう少し気を利かせて明治憲法を作っていたら、太平洋戦争はなかっただろうなんていう、そんなふざけきった言論で歴史を判断していいものだろうか?  

参謀なるものが贅肉タプタプだったから、下級将校に足元を見られ、鼻ずらを引きずりまわされたという、寡頭制国家における歴史の必然と考えた方が普通だろう。  

2500年前のプラトンの言説が、近代日本をも説明してしまうという。どんな近代日本研究家の言説よりも、プラトンの言説の方がはるかに突き抜けているという。 これってどういうことなのだろうか。不思議というのは、このような話の事をいうのだと思う。

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