magaminの雑記ブログ

2016年11月

私の職場にいる45ぐらいのオジサン。妻と中学生の娘がいるという。よく話を聞くと、妻とは籍を入れていないという。内縁の、というわけだ。さらに話を聞くと、家庭内では、自分は妻なる女性の遠い親戚ということになっていて、家庭内では父親という立場ではなく、遠い親戚のおじさんということになっている。娘なる中学生も、自分のことをおじさんと呼んでいるという。彼いわく、娘が高校生になったら、物事をはっきりさせたいということらしい。  よく分からないから始めから話してもらった。  職場のオジサンは30歳の時、何かいやなことがあって実家を飛び出した。行く当てもないから付き合っていた彼女とホテルを泊まり歩いた。それで自分の子供と思われる、今中学生の女の子を彼女は身篭った。まあ、ここまではいい。自分、寝るところがないから、彼女の今から思うと旦那と思われる男性から、夜、車を借りて、そこで寝泊りしていた。自分をかわいそうだと思ってくれたのか、一緒に暮らしてくれるようになった。奇妙な?同居生活が8年ぐらい過ぎて、彼女の旦那と思われる人物は死んだんだよね、食道がんだったらしいよ。そして、そこから7年ぐらい今に至るまで、自分と彼女と中学生の娘と、さらに、彼女の旦那だったと思われる男性との間に生まれたと思われる双子の女性との五人の共同生活を続けているという。  何がなんだか分からないのだけれど、整理するとだね、自分は遠い親戚のオジサンとして今の家にいるのだけれど、本当は女性の実質夫であり、中学生の娘の父親であると主張しているわけだ。  嘘だと思うんだよね。わからないのは意味のない嘘をなぜつくのかということ。私だって嘘を信じたってかまわない。ただ整合性のある嘘を信じさせて欲しい。  胡蝶の夢ならそれでもかまわない。  彼女の旦那と思われる人がなぜ君と一緒に暮らしてくれたのか?  「あの人たちはいい人たちだったということかな」  中学生の娘はその彼女の旦那と思われる人の事をなんて呼んでいたのか?、オジサン?オトウサン? 「ちょっとよく覚えていないです」 中学生の娘は、君の娘とは限らないよね、君とやっていたと同時に、その旦那ともやっていた可能性があるわけだから? 「彼女は自分の子供だと言ってくれている」  彼の語る言葉が真実である可能性は厳然と存在する。その場合、その真実は極めて残酷でかすかに美しいというものだ。それはそれでいいと思う。私はそれを信じたい。  彼の語る真実なるものが虚偽だった場合はどうだろうか。他人に語りて、何の得もない嘘を語りて、それはなんなのか。狭い場所に体を押し込んで抜けなくなって死んでしまった、夢見る老女みたいなものだと思うよ。ぼんやりしすぎで狭いところに迷い込みすぎた。  この世界では真実を明らかにするべきなのか、それとも何も知る必要はないのか。世界に傾きをつけるべきなのか、それとも世界は胡蝶の夢なのか。  彼は父親なのか、遠い親戚なのか。

私の個人的な意見としては、世界の意味はあると思う。別にこのことは証明できるものではなく、世界に意味がないとなると、私がこの世界に生きるエネルギーが調達できないという、実利的な理由なんだと思う。  
2500前の荘子は、この世界には意味がないと考える。荘子に、このような言説がある。 

 昔、『荘周(そうしゅう)』、夢に胡蝶となる。くくぜんとして胡蝶なり。楽しみて心にかなうか。自らが荘周なることを知らざるなり。夢から覚めれば、きょきょぜんとして荘周のまま。誰も知らず、荘周の夢の胡蝶であるか、胡蝶の夢の荘周であるか。荘周と胡蝶とは必ず区別あらん。ただ主従なし。 


 恐ろしくも美しい。  


私の職場に奇妙なヤツ(男性A)がいる。そいつには内縁の妻(女性B)と子供がいると自ら主張している。よく聞くと、男性Aは女性Bの遠い親戚という設定で女性Bのマンションに暮らしている。中学生の子供は男性Aのことを「オジサン」と呼んでいる。男性Aは私に、その子供は私の子供であると主張しているが、子供自身は男性Aのことはオジサンだと思っているらしい。男性Aは女性Bに給料を全て渡して、小遣いを毎日1000円貰っている。  
男性Aと女性Bは夫婦なのだろうか、遠い親戚なのだろうか。男性Aは「夫婦」であると主張するが、そんなものは長い時間の中で女性Bしか証明できる人間がいなくなっているとしたら、二人が夫婦であるか親戚であるかなんていうことは、もう胡蝶の夢みたいなことになっているのではないか。
私は男性Aってすごいと思うんだよね。この世界の意味ということに全く無頓着だったからこそ、あやふやな状況を10何年も引っ張って、真実そのものがあやふやになってしまったということだと思う。男性Aは100キロ近くの愛嬌あるデブなんだけど、まあなんというか、恐ろしくも美しいということになるだろうね。

紀元前209年、始皇帝は死に二世皇帝『胡亥(こがい)』即位。この胡亥が暗君で、秦は滅亡したとも言われるが、これはどうだろう。何百年も続いた春秋戦国時代をついに統一したその秦が15年で滅亡って、ちょっと不思議だよね。その不思議さを解明するヒントみたいなものが、陳勝の言葉の中にかすかに響いているような感じがする。  

二世皇帝、名は『胡亥(こがい)』。東の方、郡県を巡る。『趙高』に言っていわく、
「我、好むところをつくし、楽しみを極めて、吾が人生を終えんと欲す」と。
趙高は言う。「陛下、法律を厳格にして、刑罰を過酷にして、旧臣を除けば、すなわち枕を高くして、志をほしいままにするだろう」と。胡亥、これを然りとし、努めてますます法を厳酷にす。公子、大臣多く死せらる。陽城という町の陳勝という男、若くして人の田を耕す。手を休めちょうぜんとして言う、
「我、富貴となれど、ここの太陽、ここの土、ここの匂い、ここの人々を忘れない」と。
みな笑って言う、
「なんじ、ただ雇われて田を耕すのみ。どうして富貴となろうか」と。
陳勝、ため息をついて言う、

「ああ、燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」(小さい鳥には大きい鳥の気持ちはわからない) 

ここに至り、『呉広』と兵を起こす。陳勝・呉広は秦の辺境の守備に赴く小隊長となる。おおいに雨が降り、道を失う。陳勝は言う。「おまえらは時間を失った。これ秦の法において斬首にあたる。死ぬのなら、ただ名を上げるのみ」と。さらに言う。

「王候将相、いずくんぞ種あらんや(人間の価値に血統などというものがあるだろうか)」

 皆これに従う。 陳勝・呉広、、胡亥の兄『扶蘇(ふそ)』、楚の将軍『項燕(こうえん)』と詐称し、国を大楚と称す。諸郡県の衆、秦の法に苦しむものは争いて秦の長吏を殺し、以って陳勝に応ず。

 

ヒットラーは、何故ソ連に攻め込んだのかと考えてみる。  ヒットラードイツは第二次大戦の緒戦で、フランス軍をイギリス軍ごとダンケルクの向こうに叩き落したのだから、ここで満足してもそれはありえる選択肢だったと思う。英米と枢軸とソ連の鼎立というのは、世界構想としてはありえる。ここからソ連を攻めるというのはちょっと異常だ。そもそも独ソ不可侵条約というものがあった。  普通の論理としては、ヒットラーはソ連なんていうのはすぐ押し倒せると思っていた、というのがある。常識的にはこの程度の論理しか思いつかない。しかしこの論理、ちょっと薄いのではないかと思う。このヒットラーはソ連を3ヶ月程度で攻略できると考えたから独ソ戦をはじめたなんていうことのほかに、ヒットラーはドイツの生存圏を東に広げるなんていう思想を持っていたという説がある。しかしここまで言うと、ヒットラーは誇大妄想の癖があるということになる。実際にそうだったかもしれないし、ヒットラーの特定の言説だけ抜き出せば、ヒットラーは狂人だったという論理を構築できるかもしれない。  しかしそんなヒットラー観というのはちょっと足りない気持ちがする。薄い論理を薄い論理で補強することになっているのではないか。  そこで私が思いつく合理的な論理というのは、ヒットラーは結局、安定を拒否したということ。ヒットラーの力の源泉はドイツの不安定さなんだよね。そもそもヒットラーナチスはワイマール体制の中で、ワイマールの不安定さに比例して議席を獲得してきた。こうなるとナチス自体がワイマール時代に社会不安を煽るなんていうこともあっただろう。さらに考えると、不安を煽るのが自らの利益になるようなやからが政権をとったならどうなるか、いやこれやりたい放題だよ。フランスを降伏させてヨーロッパはドイツのヘゲモニーのもとに安定しました、というのではヒットラーは困るだろう。ドイツの不安定さこそがヒットラーの力の源泉なのだから。それは常識では理解しにくいほどの裏返った世界なんだと思う。ただ第一次大戦のドイツに対する賠償の過酷さも、ドイツを「裏返った世界」に追い込んだということはある。  

ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
トブネズミみたいに誰よりもやさしい
ドブネズミみたいに何よりもあたたかく
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ

登場人物は、僕 君 ドブネズミ。僕とは甲本ヒロトのことでしょう。最後はリンダの連呼。いったいリンダとは何なのか。詳細は以下で分析します。

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい

僕は君と会ったことも話したこともないらしい。にもかかわらず僕は君が愛の意味を知らないということを知っている。おそらく君という人物はメディアに露出の多い有名人であり、僕と君とは、僕は君の事を知っていて君は僕のことを知らないという、一方的な関係だろう。

ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから
トブネズミみたいに誰よりもやさしい ドブネズミみたいに何よりもあたたかく

ドブネズミは美しくはないし、やさしくもないし、あたたかくもない。おそらくドブネズミとは何かの隠喩でしょう。では何の隠喩か。この歌詞には僕と君とドブネズミしかでてこない。ドブネズミは君にたいする隠喩でしょう。すなわち、ドブネズミ イコール君ということになる。

愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない

前述したように、僕は君のファンなんでしょう。愛でも恋でもないけど離れられないファン心理をそのまま表現していると考えられます。

決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ

甲本ヒロト独特の言い回し。この言葉の使い方にブルーハーツファンはしびれるんですよね。敢えて解釈をつけるとするなら、強い力とは精神的な内向きの力。個人個人が持つその力は確かに誰にも負けない。

リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ

リンダとはいったい何なのか。私は敢えて、リンダ イコール 山本リンダ と仮定してみる。昭和50年代、山本リンダは、テレビでフラメンコをイメージしたような、外は黒内側は赤というスカートをはいて、踊りながらそのスカートの内側をちらちら見せていた。基調は黒、そしてアクセントとしての赤。ドブネズミが口をあけたところを想像してもらいたい。体は黒、口の中は赤。 退廃的なものが売りだった山本リンダに、当時まだ学生であったであろう甲本ヒロトが、愛の意味を教えたいと考えることは、ありえることだ。 リンダを山本リンダだと仮定すれば、リンダ イコール山本リンダ、山本リンダ イコールドブネズミ、ドブネズミ イコール君、ということになり、すべてがつながる。 リンダリンダのリンダとは、山本リンダのことではないのか。

始皇帝と荊軻(けいか)との対決というのは、十八史略の中でも屈指の場面だろう。これを書き下し文と完全現代語の中間的な感じで書いていきたい。  
登場人物の説明として、秦王『政』とは未来の秦の始皇帝のこと、樊於期(はんおき)とは、秦から燕(えん)に逃げてきた秦の将軍。丹(たん)とは燕の皇太子、そして荊軻(けいか)とは伝説の刺客。
 

燕王『喜』の太子『丹』、秦に人質たり。

秦王『政』、丹に礼節なく、丹、怒りて燕に逃げ帰り、秦を恨んで報復せんと欲す。秦の将軍『樊於期(はんおき)』罪を得て、燕に逃ぐ。丹、受けて樊於期に保護す。丹、衛人『荊軻(けいか)』の賢なるを聞き、礼を厚くしてこれを請う。
 
丹、秦に荊軻を送り込むことを欲す。荊軻、丹に樊於期の首と燕の地図を秦王に献上することを請う。

丹、樊於期を殺すに忍びず。荊軻、直接『樊於期』に諭して曰く、「願わくは将軍の首を得て、秦王に献上せん。必ず喜びて荊軻を謁見せん。荊軻、左手に秦王の袖をとり、右手でその胸を付かば、すなわち将軍の仇は成就し、燕の恥はすすがれる」

  
樊於期、ガイゼンとしてついに自らの首を切る。太子丹、走りてゆきて首に涙する。荊軻、その首を箱に盛る。またそして天下の短刀を求め、毒薬をもってこれに塗りこむ。この短刀を人に試みるに、血少にしてたちどころに死す。

  
ついに荊軻を秦に送り込む。荊軻、行きて易水という川に至り、歌っていう 

「風しょうしょうとして易水寒し、壮士ひとたび去りてまた還らず」 

その時、白虹、日を貫く。  

 荊軻、秦の都「咸陽」に至る。秦王政、おおいに喜んでこれを見る。

荊軻、燕の地図を奉って進む。

図、広げきわまり短刀が現れる。秦王の袖を取り、これを突く。いまだ身に及ばず。王、驚き立ち上がり、つかまれた袖を引きちぎり、そして荊軻、これを追う。柱をめぐりて走る。 
 

秦の法、殿上に持するものは寸鉄も帯びず。左右の臣、なすすべなく、そして言う。 

   「王、剣を背負え」 

秦王、ついに剣を抜き、刺客の左足を切り下げる。荊軻、短刀を王に投げ打つ。当らず。荊軻、殺される。  秦王、大いに怒り、兵を発して燕を撃つ。遂に燕を滅ぼして郡となす。




テロリスト荊軻、かっこよすぎでしょ


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この前の日曜日に子供4人を連れて「くら寿司」にいった。午後の1時にから、1時間待ちだった。くら寿司はさすがだ。個人的には新発売の牛丼を食べにいったのだけれど、これ、実際に食べてみると普通の牛丼だね。私は牛丼を一杯食べておなか一杯になったのだれれど、子供達は4人で牛丼二杯の寿司41皿だから、まったく「くら寿司」の底力というものを感じた。                                                      くら寿司の待っている時に、私の隣に父親と娘のコンビがいた。娘は中学生くらいか、父親は中産階級のサラリーマンなのだろう。二人は仲がいいような感じだった。娘を持つと分かるのだけれど、父親が年頃の娘と仲良くするというのはかなり難しい。彼女達は微妙な年頃だし、親父のほうはおっさんだし。中学生の娘とくら寿司にくることの出来る父親というのは、かなりレベルが高いよ。見た目は普通のオジサンなんだけれど。                そして彼らの会話。                                                         娘が何かを言ったんだろうな、そして父親、
                                         
 「理系といっても、人間関係は大事なんだよ。大学の時のお父さんの友達で全然勉強してなかったやつがいるけれど、そいつは今大手の製薬会社で研究員をやっているから。人間関係がダメだと、研究をさせてもらえなくなるから」                                                                    

女の子は全く納得した感じだった。    
                                                いやちょっとマテ。これが中産階級のできるオヤジの言説なのかと思って、私は驚いた。日本とはこの程度のものかと思った。娘と二人の濃密な時間に、原理を語らずハウツーを語るなんていうのは、いったいどのようなことになっているのか。人間関係とかどうでもよくないか。まず何を研究するかということが大事なのではないのか。    
まあ、自分に多少のコミュニケーション能力と理系能力があって、そこそこの年収があってそれを子供にも伝えていこうという親心なんだろう。悪くはないとは思うよ。現代的ないいお父さんだと思う。ただこの世界にとってはどうだろうか。本当に、今の中学生の世代にとってだよ、人間関係が世の中でよろしくやっていくための一番大事な資質だなんていう時期が続いていくなんていう確証はありえるのだろうか。                                                                                             

滅びるよ
この世界は

十八史略がどれくらいインパクトがあるかっていうのを書いていきたい。書き下し文だと、ちょっと難しい感じがするし、完全翻訳だと味がなくなるしで、書き下し文と翻訳文の中間の感じで、十八史略の名場面を表現していきたいと思う。分かりやすいように、人名は『』で、地名は「」で書いていく。 

「魏」、「韓」を討つ。韓、救いを「斉」に請う。斉、『田忌』をして将となし、韓を救わせる。

魏の将軍『龐涓ほうけん』、かつて『孫臏そんひん』と共に兵法を学ぶ。

龐涓、魏の将軍となり、自ら孫臏に及ばないと悟り、策略を用いてその孫臏の両足を断つ。

斉の士、魏に至り、密かに孫臏を担いで帰る。

ここにいたりて孫臏、斉の軍師となり、直ちに魏におもむく。

孫臏、斉軍を率いて魏に入る。

まず10万のかまどを造り煙をあげる。翌日に5万のかまどを作り、その翌日に2万のかまどを作らせる。

龐涓(ほうけん)は喜び言う。

「私は最初から斉軍の怯懦なことを知っていた。斉軍の魏の地に入るこ3日にして、士卒の逃ぐること半ばを過ぎた」 

龐涓、魏軍を率いて斉軍を追撃し、暮れにまさに「馬陵ばりょう」に至る。馬陵、道狭く木々多し。孫臏、伏兵をおく。さらに大木を削り、白くして書いて言う     

「龐涓、この木の下に死す」
                                                斉軍の強弓をよく射る者を多数この木の傍らに伏させ、暮れにこの木のそばに明かりが灯るのを待ち伏せさせる。

龐涓、はたして夜、この木の下に至り、白書を見て、明かりをつけ何が書いてあるかと、この木を照らさせた。

万の矢が放たれた。魏の軍、大いに乱れ散り散りになり、龐涓、「我、孫臏の名をなさしめたのみ」といい、自ら首を切りて死す。斉、大いに魏の軍を破り、太子『申』を虜にす。 



孫臏とは全くの天才というわけでもない。そこがいい。人々が孫臏なる人物を高みに押し上げようという、歴史の息遣いをまざまざと感じる。 


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歴史って、結局は時間の流れに強弱をつけることだと思う。                                  はっきりとした強弱をつけて世界を認識するというのは、当たり前のように思うかもしれないが、じつはこれ当たり前ではない。何らかの知的訓練が必要だ。しまりのない話をだらだらするなんていう人は現代日本にもかなりの割合で存在する。実際に私の職場のおじさんの一人は、昨日食べた夕食のハンバーグの付け合せのレタスの枚数まで報告してくれるから。                                                        この世界の認識に強弱をつけて、世界を体系として認識するというのは中国戦国に始まったと思う。戦国時代が秦の始皇帝によって統一されると、世界認識に強弱をつける必要もなくなってきただろう。世界は全て秦なのだから。しかしここからが中国の驚くべきところなのだが、世界に強弱をつける必要がなくなったら、時間に強弱をつけようとするんだよね。その一つの完成形態が十八史略だと思う。                               中国戦国時代のあの7国が200年以上にわたって、まったくギリギリの総力戦を戦ったことの厚みが、中国の歴史の存在というものにつながっているのではないか。                                      このような意味で歴史の重みというのはあると思う。ローマ帝国は崩壊したらもうそれで復活しなかった。しかし同時代の前漢後漢の帝国は、400年の時を越えて唐の帝国として継続性がある。やはりこの違いというのは、世界の認識を時間の認識に転換することのできた、なんらかの偉大さの結果ではないのかな。               私、英雄史観というものはあまり好きではない。特別の天才が徒手空拳で世界を変えるなんてありえない。底の浅い歴史主義というのは英雄史観に落ち込む。しかし本当の歴史主義というものは、人々の想いが一人の人間をはるか高みに押し上げるという形態をとる。                                                                                                               十八史略には本当の歴史主義ある。

「戦国策」とは前漢末、劉向が天子の書庫の書籍の整理をした結果出来上がったものだという。            実際、「戦国策」を読んでみると、まあこれは中国戦国時代の言説の残骸みたいなものだね。言説の残骸だからといって、「戦国策」はつまらないというものではない。そこにあるのは落ちもボケもツッコミもない平和な言説世界なんだよね。寝る前に読むと気持ちよく寝られるし、おまけに漢字と歴史の勉強にもなるというすぐれものだ。      例えば「戦国策」を「孟子」と比べてみる。                                            孟子は儒家なので君臣の序列を大事にする。しかし君主があまりに暴君だと革命もありだという。この辺の整合性はどうするのかと読み進めていくと、孟子は性善説というを持ち出してくる。この性善説というのはすばらしい原理だ。それは人間の本質性は善である信じることからはじまる。ではなぜ善ではない人間が存在するのかというと、その人は自らの善を発現させる事柄から遠ざかってしまった結果だという。だから社会において大事なことは、個々の善を最大限に引き出すことだという。君臣の序列とか君主の賢愚などというものは、国民の善を最大限に引き出すための条件に過ぎないというわけだ。そして、国民の善を最大限に引き出せたなら、その国家は活力にあふれた強国となるだろうという論理だと思う。このように「孟子」には論理の立体的な積み上げというものがある。これが本来の戦国の言説だ。これに反して、「戦国策」には論理の積み上げなどという思想はない。だから私はこれを残骸だという。                                                             世界って破れるんだなって思う。

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