magaminの雑記ブログ

2016年09月

基本的に北朝鮮は中国が何とかするべきだと思うが、中国自身も困っているのではないだろうか。現代というのは、古代中国の春秋時代と同じで、世界には何らかの共通認識が存在し、小国は大国を頼りにし大国は小国を保護するという微妙なバランス構造になっている。歴史的に考えると、北朝鮮は中国の影響下にあるわけだから、中国と北朝鮮はよろしくやってもらうしかないだろう。国家同士の依存関係を考えれば、中国が核をもっているのなら、北朝鮮は核を持つ必要はない。アメリカが核を持っているから日本が核を持つ必要がないのと同じだ。                                                                                                                
 簡単に考えてしまうと、アメリカ、中国、日本、北朝鮮は対等な独立国家なのだから、どの国が何をしようが核を持とうが自由なのではないのかということになってしまう。しかし現実というのはもう少し複雑だと思うんだよね。アメリカ、中国、ロシアという大国は世界に対する責任というものがあって、そのような大国が自分勝手なことをすると小国群に対するヘゲモニーを失うという危険がある。旧ソ連はあまりに無理なことをして結局崩壊した。        
 ソ連とは違って、中国が北朝鮮に対してそう無理をしたニュースも聞かないし、やっぱり北朝鮮の錯乱ぶりは北朝鮮自身に問題があるのではないか。だから中国が何とかするしかないだろう。                       
 まあでも日本もあまりえらそうなことはいえない。そもそも戦前までは朝鮮は日本だった。太平洋戦争のあの負けっぷりで、日本は朝鮮を投げ出してしまった。日本には朝鮮を一つの国として新しい世界に送り出す責任があった。力及ばず、その責任を果たすことが出来なかった。朝鮮半島の南はアメリカに、北はソ連に保護された。朝鮮戦争が始まって、北が崩壊しそうになると中国はその人民解放軍を投入して現在の南北国境線までアメリカ軍を押し戻した。結局ソ連と中国の思想の違いというのが、現状の北朝鮮の独立路線の基になっているのかな。もうソ連なんてないのだから、北朝鮮も奇妙な原理主義にこだわらないで、中国の話を聞くのが普通だと思うけれど。    

なぜならこの世界は春秋なのだから。

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中国には春秋時代というのがあって、紀元前700年ぐらいから紀元前400年ぐらいまで。その時代に魯(ろ)という国があって、「春秋」というのは、その魯という国の年代記。

「春秋左氏伝」とは紀元前500年ぐらいに左丘明なる人物が「春秋」に注釈を書いたものとされているが、実際には紀元前後に劉 歆(りゅう きん)が宮中の秘蔵書のなかから発見したというもので、「春秋左氏伝」自体の出処というのはかなり怪しい。だから「春秋左氏伝」が春秋時代の息吹をどこまで伝えているかというのは、正直確定はできない。

後世の戦国時代や前漢時代の何らかの理想や現実が紛れ込んでいる可能性は否定できないだろう。すなわち春秋時代とはこのようなものであろうと考えてみても、それは絶えず歴史の向こう側で揺れるものであって、誰も春秋を確定することができないという。またそれが春秋の魅力なんだよね。

春秋時代、中国には多数の国があった。周、超大国、大国、中位国、下位国、という序列で国際秩序的なものが存在していた。実際は晋という超大国が中位国、下位国を統率して、秦、斉、楚という大国の挑戦を退けるという歴史のパターンがある。現代で言うと、アメリカが日本やサウジや西ヨーロッパ諸国を統率して、ロシアや中国の挑戦を退けるみたいな感じだと思う。

では晋は何によって中、下位国を統率しているのかというと、軍事力が一番なのだけれど、徳とか礼というものも重要な要素になっている。現代においてアメリカのヘゲモニーも軍事力が大事ではあるのだけれど、人権とか民主主義とかが世界の一体感に重要な要素になっているのと同じようなことだと思う。

これはよく考えてみると不思議なことで、古代中国世界、そこに暮らす人々はこの世界こそ世界の全てだと考えていたのだろうが、この人間世界において何らかの社会的共通認識が存在していたということなんだよね。徳とか礼とか構成していた様々なカテゴリーの多くは、今では全く古びてしまったのかもしれない。しかしそのカテゴリー群の中核概念が2500年の時を貫いて現代に生き残っているとするなら、それこそが人類の哲学であるといえるのではないか。

何故この世界がこのようにあるのか不思議に思ったことはないだろうか? 古びた真理と古びなかった真理。「春秋左氏伝」は雑多な説話の混交であるけれど、その中に人類の真理があるのではないか思う。

この世界をこのように有らしめるもの。それは斉の桓公の死に際、晋の重耳の放浪、鄭の子産のレトリック、呉の闔閭の情念。同時代を貫いたものが、2500年の時代をも貫くのなら、それこそが哲学だと思う。

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ノバレーゼがポラリスというファンドにTOBされた。株価は800円ぐらいだったのだけれど、ポラリスは1944円の公開買付け価格を提示した。私はノバレーゼを200株持っていたので、                          「公開買付けに関する意見表明のお知らせ」                                    というのが送られてきた。今回はこれを熟読してみた。                                   ノバレーゼTOBにいたる経緯というのは簡単だ。ノバレーゼの創業者で大株主で社長の浅田というのが会社を売りたいとおもったら、ポラリスというファンドが現れて、早期に1944円という買付け価格を提示したのでそれに同意したというもの。ただ株式会社ノバレーゼによると、浅田氏の伝達によってノバレーゼはフィナンシャルアドバイザーのレフコなる会社に依頼して公平な選定プロセスを実施し、その場において候補者のうちの一つであるポラリスが再び1944円という公開買付け価格を提示したので、当社はこれに同意したというものだ。レフコはノバレーゼの適正価格まで計算しているがご苦労さんだね。正直レフコとかいらないのでは思うのだけれど、大人の世界には手続きというのがあるのだろう。                                         このポラリスというファンドは、SFPダイニングを再生している。サムカワフードを買収して結局クリエイトレストランツに売却している。実績もあるし優秀ではあるのだろう。今回ポラリスはノバレーゼを高値で買収して、どうするつもりなのか。                                                          手元の文書にはこのようにある。                                               ア 不採算店舗の改善                                                     イ 新規出店の加速                                                       ウ 周辺領域への事業拡大                                                  エ 海外展開                                                           これだけだと漠然としていてよく分からない。不採算店舗の改善といっても、現状赤字続きの高級レストラン部門で儲けをだすというのは簡単ではないと思う。海外展開といっても、これは中国を想定していると思うけれども、そもそもが中国と日本との結婚式事情って違うのではないか。日本での結婚式ノウハウが中国で生かせるかどうかは全く未知数だと思う。                                                 この文書の後半にノバレーゼの見解として、以下のようなことが書いてある。                     イ 同業他社の買収等の活用による店舗網の拡大                                    エ 海外展開の実現可能性の調査.検討                                          海外展開に関してはトーンダウンしている。だが同業他社の買収というのはちょっと突っ込んだ発言だと思う。買収の価値のある同業他社とはどこだろうかというのは、ちょっと考えてみる価値があると思う。

この映画は結構面白いと思った。Yahoo映画の評点は4.2ぐらいはあるだろうと思ったら、なんと3.29。ちょっとこれはないのではないか。                                                     「僕だけがいない街」では、主人公は時間をさかのぼって過去の自分にリバイバルすることができる。時間遡行リバイバル映画はいくつか私も見ている。例えば、「バタフライエフェクト」とか。しかし時間遡行というのは自分のためにやるわけで、結局あの時ああすればよかった的なものなんだよね、ところが「僕だけがいない街」の主人公は時間遡行を自ら選択できない、さらに時間遡行は自分のためではなく他人のためだという。                この設定は斬新だ。斬新さの中に人生の真理が存在している。主人公はリバイバルさせられて他人を救わされるのだけれど、その行為自体が義務というより責任というようなものに主人公の中で昇華されている。この前向きさ、ポジティブさがいいんだよね。                                                  私は思うのだけれど、引きこもりやキモオタクのダメなところは自らが自らを救おうとしているところだ。これでは話にならない。まず他人を救わなければ。逆説的なんだけれど、他人を救うことによって結果的に自分が救われるだろうというのが、結局この世界の真理だね。                                          こういう観点で「僕だけがいない街」ほど近年の邦画のなかでポジィティブな映画はないと思う。「脳男」とか「寄生獣」とか、世界は二つのグループに分かれていてその二つは決して分かり合えないなんていうモチーフで、創った人はこれをクールだと思っているのだろうが、私は堕落だと思う。                                「僕だけがいない街」での幼女殺害の犯人は、                                         「あの女の子達は不幸だったから殺してあげて、その結果私が快楽を得て別に悪いところはない」          と語っていたのだが、これこそが堕落の典型だ。自らを助けようとしかしていない。この言説に対して主人公は、  「おまえにそのようなことをする権利はない」                                          と切れて犯人につかみかかる。主人公は犯人の持っていたナイフで刺されて死んでしまう。そのまま死んでしまうんだよ。いや他人のためにはリバイバルして自分のためにはリバイバルしないというこのポジィティブ、たまらないと思うのだけれど。

25年ほど前に存在した一発台の名機、バレリーナ。                                      一発台とは、こんなところにとても玉入んないだろうなんていう所にもし入れば一撃8000円という、まあそんな台だね。このバレリーナは一発台風なのだけれど、玉が入って5分の1くらいの入賞確率のVゾーンに入って、さらに5分の1の確率の抽選があるという、似非一発台だった。今までの一発台は横のゲージに入れるだけでも大変だった。ところがバレリーナはどんどん入る。当たり前だ。最初の関門をクリアーしても、その先に25分の1の裁きの門が用意されているわけだから。そしてバレリーナの台自体には必勝法はない。                      25年前、名古屋今池にパチンコフジというパチンコ屋があった。いまあるかどか分からない。当時としてはかなり大きなパチンコ屋だったと思う。隣に「1100」というパチンコ屋があって、これは文字通り1100台のパチンコ台があるのが売りのパチンコ屋で、「1100」と「パチンコフジ」とはかなり熾烈な競争をしていた。               この「パチンコフジ」にバレリーナが20台ほど存在していた。そしてこの20台のしまに明らかに2台だけバレリーナ最後の抽選確率が2分の1の台が存在していた。おまけにこの高確率台がどれかというのが予測できたという。なんせバレリーナ20台のいくつかの台で定期的な持ち回り状態だったから。ここまで分かれば、負けようがない。半年で200万近く抜いたと思う。                                                  普通に考えると、店側が裏ロムを使って2台ほど客寄せに使っていたということだと想像する。大きい店だったからその行為がルーティン化してしまったということだろう。今は辛いのだけれど、昔はこんなゆるい時代があったということだ。                                                                昭和臭の残る時代だった。今の日本は先進国モードになって、ずるして儲けるというのは難しい。これがいいのか悪いのか。私は正直悪くないと思う。                                                              

ライドオン・エクスプレスは宅配寿司メインの会社です。                                    株価928円                                                             PER 12.94 倍 PBR 2.49 倍                                                    配当10円                                                              100株で5000円相当の「銀の皿」などで使える優待券です。                                                                                                   優待を使って一度「銀の皿」を利用しました。お寿司自体は美味しかったですよ。美味しいだけだと別にどうということもないのですが、一ヶ月ほどたって、ライドオン・エクスプレス本社からはがきが送られてきました。初めて当社を利用されたお客様が次に利用されたならお皿をプレゼントしますよみたいなダイレクトメール的なものです。企業努力として、こういうのって結構大事だと思うのです。昔サイバーエージェントの株主だったことがあるのですが、あの会社、株主に手書きの暑中見舞いはがきを送ってきました。2006年の新興バブル崩壊以前の話です。当時のマザーズで現在まともに生き残っている企業というのもあまりないと思うけれど、サイバーエージェントは頑張りました。現状のサイバーエーの利益の質はあまりよくないとは思うのですが、手書きの暑中見舞いの精神というのは結局何らかの企業の精神的地力みたいなものを表現するものではないかと思ったりします。3395サンマルクもそんな感じがありました。                                                         二回目利用した場合はお皿をプレゼントなんて結構手間がかかると思うのです。お皿をセレクトしなくてはいけないし、各店舗に消費予定数を配分しなくてはいけない。利用者にははがきを送らなくてはいけないし、各店舗にお皿について周知しなくてはいけない。このような細やかな仕事が業績の底割れを防止すると思います。底割れしにくい、株価はチャート的に底値圏となれば、ここから買っても悪くないとは思うのですが。

25年前、21歳の時、尾瀬に友達と一緒に行った。尾瀬は片品川沿いにある、鉄道の駅からバスで行くんだよね、片品川は河岸段丘で有名。片品川と河岸段丘という、なんだか幸せの薄そうな名前同士が結びつくこの運命的な感じがいいと思う。                                                          友達と尾瀬に行くためのバスを待っている間、鉄道駅の待合室にいた。大きいポスターが1枚貼ってあって、高校生が歩いている下にこのようなコピーが書いてあった。                                                                                                         「僕らはいつかここから歩き出さなくてはいけない」                                                                                                          私たちは大学3年生の春で、このコピーを見ながら、結構キツイことが書いてあるね、と互いに言い合った。    あれから25年たった。結局、「ここから歩き出す」とはどういうことなのかと考える。歩き出すということは重要で、確かに私もあの片品川の名前も忘れた駅から歩き出しはした。好きな女もできて、両親は死んで、子供は生まれて、上の男の子は19歳、一番下の女の子は6歳だ。                                                                                                          親が医者だから医者になるとか、弁護士だから弁護士になるとか、私から見ればかわいそうでしょうがない。歩き出したあと見えた景色のリアルさというのはあるよ。親が八百屋でね、21世紀になって八百屋をやるわけにいかないから別のことをやるというリアルな新鮮さはある。歩き出さなくてはいけない人の重量感のある幸せというのはあると思う。                                                                片品川、河岸段丘、あのコピー、あのリアル。

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