magaminの雑記ブログ

2015年12月

凡庸な芸術家とは誰の事かというと、マキシム.デュ.カンです。マキシム.デュ.カンは19世紀半ばのフランス人で、いくつかの著書を残していて、フローベールの友人だったという人物です。まあ要するに普通の人なのです。「凡庸な芸術家の肖像」とはこのマキシム.デュ.カンがどのような物語世界に閉じ込められていたのかという話です。物語世界に閉じ込められて生きる事が「凡庸である」ということなわけです。

物語世界に閉じ込められる、なんてよく分からないだろうと思うので、分かりやすいようにわたしの個人的な経験を語ります。

私は今の会社で働いて20年ほどになります。15年ほど前、私の子供は保育園に行っていました。子供というのはよく病気をするのです。熱なんか出たりすると保育園にはいけなくなります。当時私たち夫婦は共働きで、子供が保育園に行けなくなると、まあどちらかが仕事を休まないといけないわけです。妻にも都合がありますから私が仕事を休むという事もありました。子供の都合で会社を休むとなると風当たりがきついのです。私より2歳ぐらい年下のやつが私のことを批判するわけです。男は仕事を一番大事にするべきで、子供の病気程度で仕事を休むべきではない、なんて感じです。
これが彼の物語世界。彼はこの物語を私に強制しようとするわけです。空気を読んでこの物語世界に参加しろというわけです。こんな物語に参加してしまうと私の子供が死んでしまうので、もちろんガン無視です。
あれから15年。私の子供は19歳になりました。私の年下の同僚は独身で仕事を頑張っています。休憩時間なんかには子供の話がでるのです。君の子供は大学とか行くの?みたいな。年下の同僚は結婚とか子供とかの話題が出ると、会話から即座にフェードアウトするのです。彼には、男というものは結婚して子供を持って一人前、みたいな考えがあるのでしょう。
これも彼の物語世界。彼は会話からフェードアウトする事でその物語世界を私に強制しようとする。正確に言うと、彼が強制しようとするのではなく、物語世界が彼をして強制せしめるということでしょう。

そう彼は奇妙な物語世界の中に閉じ込められている。

彼が彼らの物語世界で語る言葉は、私にはきわめて凡庸に聞こえます。しかしこの世界には物語世界が多重構造的に積み重なっています。私自身も何らかの物語世界の閉じ込められているのでしょう。私の言葉も凡庸に聞こえるということはもちろんありえるでしょう。

この「凡庸な芸術家の肖像」という本は、凡庸なマキシム.デュ.カンという芸術家について延々と語ります。文庫本で1000ページあります。実際読むのに2週間かかりました。そのうち凡庸なるものに愛さえ感じてきます。人間にはどうしようもないという事がありえるのです。もちろん誰にでも。


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坂口安吾が昭和12年に仲良くなった浮浪者がこういうのです。

「先生はとらわれているんだ。人間にはふるさとがあるんだ。父親とか母親とかそんなチンケなものじゃない。とらわれた人間にはそのふるさとは見えないんだ」

わたしも45になって、とらわれる事も少なくなったと思う。誰に何を思われてもどうでもいいとは思うのだけれど、子供だけは可愛くてしょうがない。これはどうなんだろう。とらわれているのだろうか。
6歳の娘が可愛いのです。
ほっぺの丸いふくらみ。同じシャンプーを使っているにもかかわらず、髪の毛からとてつもなくいいにおいがしたりします。時おり意味もなく「ニャンニャン」とか言ったりします。なんていうのだろう。目に入れても痛くないなんていうありふれた言葉ではないのです。みっしりとした重量感のある何ものかがありありとした存在感を持って私の胸を突き上げてくるのです。

私はとらわれているのか。そうではなくもしかして娘こそがふるさとなのではないか。

職場にも若いやつがいて、結婚はまだまだなんていっています。おまえは危ないぞ。33歳までは結婚は考えないって、それは自分だけで決められる事柄ではないからな。多くの男性にあのムスメというものの重量感みたいなものを体感して欲しい。彼女がいなければ話にならない。子供も出来ない。ムスメも出来ない。出会いがないから彼女が出来ないって、おまえ何様だ。ざっくばらんな感じで何でもやっていかないと。もう文化祭とかはないんだよ。

子供のあの存在感って、アレなんなんだ? 歳をとるにつれて物事の存在感って薄れていく。これは別に難しい事を言いたいわけでもなく、ほんとにそうなの。ただ子供のみがリアルに存在し続ける。若い時ハイデガーの存在と時間なんて読んだけど、実存なんてあるものはあるって当たり前だろって思った。なに言ってんだハイデガーっ思った。しかしこの世界で歳をとると、価値がないと思えるものはどんどんその存在が薄くなっていく。この世界で時と共に価値が減価しないものが結局「実存」だという事なのか。ムスメは実存か。



今ふと思ったのですが、仕事や株で大事なことは結局「緊張感」だと思うのです。面白い映画を見たいとか、美味しいものを食べたいとかなんだか漠然としたものを受け入れて日々を快適に過ごそうという程度の考えだと、精神的な緊張感を維持できないと思うのです。日々の緊張感さえあれば、仕事や株で大負けすることもないわけで、トータルでは必ず勝てるようになると思うのです。
投資本とか読めばその内容はともかく、それなりに努力した事によって自分の緊張感が高まり、パフォーマンスにいい影響があると思います。プラシーボ効果みたいなものです。しかし同じプラシーボ効果なら、吉田松陰や福沢諭吉や坂口安吾などの日本が滅びるかどうかという時代に生きた人たちの究極の緊張感を感じた方が、よりなんとか効果が高まることがあるのではないかと思います。

とぼけた事を言うようですが、投資本を読むより吉田松陰を読んだほうがよっぽどお金が儲かるのではないかと思います。

緊張感が違いますから。

注意するべきことは、お金儲けをしようと吉田松陰を読んだとき、吉田松陰の磁力にとらわれてお金儲けを忘れてしまうという可能性についてです。しかしそれはより幸せなことではあるとは思うのですが。

坂口安吾「日本文化私観」、昭和17年発表。

この中で坂口安吾は美について書いている。日本的美、例えば金閣寺や法隆寺なんていうものは美しいといえば美しい。ただそれは歴史というものを念頭に入れて初めて納得する程度の美しさである。金閣寺などの美しさはこのはらわたに食い込んでくるようなものではない。では真に美しいものは存在するのか? 坂口安吾はあるという。そしてその真に美しいものとはなにか? ここで彼は驚くべき発言をする。

東京の聖路加病院の近くにあるドライアイス工場

このドライアイス工場は一切の美的考慮がなく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建築が成り立っている。そしてこの工場の緊密な質量感が僕の胸に食い入りはるか郷愁にまでつづく美しさを立ちあらわせるという。
これはよく分かる。
風景的なぼんやりとした美なんていうのはウンザリなのです。漫画の例えで申し訳ないのだけど、「ナウシカ」のドルクの浮砲台や「ぼくらの....」のジ・アースの方が僕らの胸に食い込んでくるのと同じでしょう。さらにいえば、この世界に生まれてお金を稼いでいい生活をして死んでいった人間と、この世界に生まれて自分なりの戦いをして死んでいった人間と、どちらの方が近代人の共感を呼ぶ人生かという事だと思う。

坂口安吾はいうのだよ。金閣寺とドライアイス工場とどちらが美しいかと。この問いを坂口安吾が発したのが昭和17年。今の時代は73年前にやっと追いつきつつあるという程度ではないのか。

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ここ10年ぐらいで日本は変わったと思う。何故変わったのか? それは中国が経済成長したから。それまでの日本は守られていた。他の国の事を考えなくてもよかった。アメリカやヨーロッパを自分の都合のいいように解釈しておけばそれですんだ。しかし中国の成長で突然に他者というものが現れた。様々な反応があるだろう。中国はまだまだだとか、中国は結構イイヤツだとか。

しかし大事なことは他者が存在するようになったという事。

他者が存在するようになって自分のことが分かるという事がある。今こそ自分とはなんなのかということを考えるべきだ。すなわち日本とは何かということを考えるべきだ。

沖縄が中央の指導に従わないからといって沖縄県知事を叩く人がいますが、それどうなんだろうって私は思います。
現在の日本の領土が古の昔から日本であったなんていうことはないと思うのです。明治維新以降、沖縄、台湾、朝鮮、と日本化されていきました。太平洋戦争の敗戦で台湾と朝鮮は日本から離脱しました。しかし沖縄は辛うじて日本に踏みとどまってくれました。これを当然だと考えるのか、ありがたいと考えるのか。
日本という概念にも中心とか周辺とかというサブ概念があると思うのです。例えば東北地方というのはもちろん日本ではあると思いますが、西日本や関東より遅れて日本に参加した地域であるだろうとは思います。本当に現代日本の全地域は一枚岩の完全無欠な日本なのでしょうか。遅れて参加した東北に欠陥原発を押し付けたなんていうことはなかったでしょうか。
日本というのは徐々に形成されてきて、互いが互いを思いやる事によって日本の外延の枠組みが維持されていると私は考えます。日本の神様がここからここまでが日本だといったからそれが日本だなんていう意見は支持できない。沖縄が日本にとどまるという選択をしてくれているのですから、善意には善意で答えるという話し方があっていいと思います。
何が最低って、善意に悪意で応える事ほど最低のことはない。これは右とか左とか言うのではなく、それ以前の話です。

今までの日本の枠組みが当たり前ということはない。私は人のことをあまり馬鹿とか言いたくはないのだけれど、沖縄が日本であって当然だなんて考えるのはちょっとスローすぎるのではないか。沖縄県知事に対してひどい言葉を考えつく脳細胞があるのなら、その能力を真に日本のために使うべきなのではないか。





始めにぶっちゃけて言ってしまうと、おもてなし特典はワイン750ml入り一瓶です。

2404鉄人化計画は首都圏を中心にカラオケ店を展開しています。
株価 508円
配当 10円
PER 10.52倍
PBR 1.55倍

株主優待は
100株以上で株主会員カード1枚、株主関連者会員カード10枚
さらに
100株以上  飲食優待券500円券5枚 
500株以上  10枚
1000株以上  50枚
5000株以上  100枚

8月優待です。

家の近くにカラオケの鉄人があります。高校生の息子も友達なんかとカラオケでも行くのではないかと思って、今年の8月に鉄人化計画の権利を取りました。それで最近、鉄人化計画の優待が送られてきて、私、もう20年以上もカラオケとか行っていなかったのですが、
「まず自分で行ってみるか」
ということで、6歳の娘と2人でカラオケの鉄人に行ってきました。
まず優待券はルーム代には使えず飲食代のみです。さらにルーム代には必ずフリードリンクがついているのです。20年行っていない間に進歩ってあるんだね。結局優待券は食事とアルコールにしか使えないわけで、娘との昼ごはん代わりに、焼そばとラーメンとデザートのアイスを頼みました。実際頼んでみて、値段的にかなり割高な印象です。となりのビルにあるコロワイド系の格安居酒屋なら値段はあの半分でしょう。1時間歌って、帰り際に株主用おもてなし特典を貰いました。まず
「赤ワインと白ワインとノンアルコールのスパークリングとどれがいいですか?」
と聞かれるのです。おまけ特典みたいなものだから、まあ小瓶程度だろうとおもったので、適当に
「赤で」
といったら、奥の部屋からズウンとあの750mlの普通のワイン瓶を持ってくるのです。原産国を見るとイタリアだし、ラベルもちょっと上品です。店員さんに聞くと、株主会員カードをつかって来店するたびにこれらのワインがもらえるというのです。
具体的なワインの銘柄なのですが、


商品画像1ネグラーレ ヴァルポリチェッラ・クラシコ

でした。調べると楽天で1400円ぐらいです。おそらくカラオケで歌う間に、株主とその友達の皆さんで飲んでくださいという事だと思います。私が6歳の娘と二人で行ったので、帰り際に渡されたのでしょう。

優待込み総合利回りを再計算すると
100株で
配当 1000円、会員年会費相当 330円、飲食優待券 2500円 年二回ワインを貰うとして 2800円
全部で12.7%ということです。
カラオケ産業がそう衰退するとも思えない。友達さえいればカラオケに行くということもありえるわけですから、総合利回り12.7%というのは、その利回りの中身に問題があるとしても、トータルとして悪くないなと思います。



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オモシロかったら楽天で何か買って
!
かに!カニ!蟹!<美味いカニの専門店> カニの浜海道







トンネルを抜けるとそこは雪国だった、というアレ。よく考えると、門をくぐるとそこはカリオストロ公国だったとか、朝起きたら毒虫になっていたとかと同じことですよね。
結界をこえるとそこにはある種の理想世界があるという、まあファンタジーということです。

「雪国」の場合、向こうの世界に行くと、ひなびたしかし心休まる温泉宿があって、日本美人の芸者があなたを待ってくれているわけです。ネタバレ的なことまで言ってしまうと、芝居小屋見たいなものが火事になって、それを見物していると流れ星まで見えてしまったという、日本風なアトラクションも用意されています。まさに美しい日本。哀れで悲しげではかなげで。
うん、これはこれですごくいいと思います。

問題はこの「美しい日本」なるものが本当にあるかどうかです。ぶっちゃけ正直に言うとそんなものはないよね。坂口安吾は昭和22年、堕落論の中でこういっています。
「戦争中は農村文化へ帰れということが絶叫されつづけていた。しかし一口に農村文化というけれど、そもそも農村に文化があるか。文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない」
全くその通り。坂口安吾はさらに続けてこういう。
「日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬賛美が過去へ向けられる。その結果が今日の無残きわまる(太平洋戦争の)大敗北となっている」
いやこれ全くその通り。

「雪国」は本当によく出来ている。あたかも美しい日本が実際にあるかのように思わせる力があったし、今もあるかもしれない。当たり前のことなのですが、それはファンタジーであって、トンネルを抜けるとそこに日本美人が私を待ってくれているなんてありえないです。

「雪国」はファンタジー

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