magaminの雑記ブログ

2015年08月



日韓併合期は1910-1945です。

日韓関係というのは現在あまりよくありません。冷戦崩壊後以降の韓国の反日政策と、日本の韓国に対する継続的な無関心の結果だろうと思います。

韓国の反日政策を転換させる能力は日本にはないですから、日韓併合の時代を知るということは、現状の日韓関係を変化させるために出来る一つのささやかな努力であると思います。

現在朝鮮は南北に分断されていて、これは民族としての悲劇です。その分断のそもそもの原因というのが、日本が太平洋戦争にぼろ負けして朝鮮を放り出してしまったという事にあります。朝鮮は35年間日本だったのですから、統一朝鮮の独立のために日本に何か出来る事があればよかったのですが、力及ばず、自らの生存に精一杯という全く日本の能力不足合理化不足を露呈しただけでした。

朝鮮の分断に日本は関係ないという意見はもちろんありえると思います。しかし弟を守りきれなかった兄の責任というものはあるでしょう。逆でもいいですよ、兄を守りきれなかった弟の責任でも。
株と一緒でね、ここまで崩れると日韓関係もすぐよくなるなんていうことはないでしょう。しかし日本と韓国との未来のためには、歴史を簡単に判断するということをせず、歴史の声に静かに耳を傾けるという誠実な態度が必要だと思います。



対華21カ条要求というのは、1914年第一次大戦中に当時の大隈内閣が、当時の中華民国大統領袁世凱にたいして出した侵略色の強い要求一覧みたいなものです。

前から私は、
「第一次世界大戦中のドサクサとはいえ、何でこんなものをいきなり出すのか」
なんて思っていました。しかし調べてみると、対華21カ条要求とは袁世凱との取引の結果、すなわち袁世凱が皇帝になることを日本が認める代わりに袁世凱は対華21カ条要求を受け入れろ、ということらしいです。
しかしこの対華21カ条要求は明らかに過大な要求で、袁世凱すら受け入れることが出来ませんでした。

袁世凱は、対華21カ条要求に対する国民の反発で「皇帝」になる事が出来ませんでした。その煩悶によって袁世凱は死去、その後を段祺瑞が継ぎます。
大隈内閣のあとの寺内内閣がこの段祺瑞に資金を流したのが「西原借款」です。西原借款の総額が1億7000万とあります。当時の1円は今の1万円ぐらいだと思います。それで計算すると、当時の1億7000万は今の1兆7000億ということになります。結局このお金、ほとんど返ってきませんでした。

当時の日本政府は、袁世凱、段祺瑞、張作霖という軍閥政権を継続的に後押ししたわけです。しかしこれがダメなんだ。結局こいつらはやくざの親玉みたいなもので、中国を一つにまとめるという能力が根本的に欠けているのです。今からこんなことを言ってもどうしようもないのですが、日本は孫文、蒋介石というルートこそ後押しするべきだったのです。

当時の日本政府が袁世凱や段祺瑞を後押ししたのは、加藤高明や寺内正毅という当時の日本の指導者もやくざの親玉的な人間であるということの裏返しで、彼らは孫文や蒋介石という確固とした道徳を心中に持つ人間より一段劣っていたという事だと思います。
このことは本当に残念です。
近代天皇制とはよく出来た制度だと思います。やくざの親玉でも、天皇というセーフティーネットおかげで威厳を持って国民に接する事が出来ますから。ただやくざの親玉はしょせん2流の人物だということです。


対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点
対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点

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私は現在45歳です。両親は20年ほど前に死んで、なんだかんだ徒手空拳。20歳半ばで、ふらりと川崎に出てきて、好きな女を見つけて結婚して、子供を作って、現在なんとかかんとか生活しています。

思い返してみると、私が子供だったころは家はけっこう裕福で、母親も仕事を持っていて忙しく、家に「お手伝いさん」、すなわち家政婦みたいな女性を雇っていました。
私が小学校低学年頃か、「月ちゃん」という名前の、ちょっと頭の足りない、若くて肉感的な女性を2年ほど雇っていたことがありました。月ちゃんは最後、好きな男性が出来て、その男性と結婚するという事で、家政婦の仕事はやめました。辞めるときに結婚するお金がないといって、わたしの母親になき付いたのです。月ちゃんは近くの居酒屋に行って、貰った給料、全部飲んでしまったのです。母親に問い詰められて、月ちゃん本人がそういっていました。
月ちゃんはめでたく結婚しました。何年かたって、また月ちゃん、わたしの母親のところに相談に来ました。旦那が今やっている仕事を辞めたいというのだそうです。旦那の職場は暑いのだそうです。熱くて熱くてたまらないのだそうです。
私は、暑い職場ということで、月ちゃんの旦那は解けたガラスを膨らます仕事をしているのではないかとイメージしました。よくありますよね、巨大なストローで解けたガラスを膨らませて、すばらしいガラスの花瓶を造る職人の映像が。
大人って大変だな、と思いました。お酒は飲まなきゃいけないし、お金は貯めなきゃいけない。熱くても頑張ってガラスの花瓶を造らなくてはいけない。

私は騙された。

月ちゃんの旦那は、ガラスの花瓶なんか造っていない。頭の弱い女性が、こらえ性のない男に引っかかって結婚早々困っているだけの話だ。月ちゃんは悪い人間ではなかった。ただ普通の人より生活を取り繕う能力が足りなかった。
この世界では、誰もが出来る事を誰もがやるという、ただそれだけ。大人だからとか、そんな確固としたものはない。お金をたくさん稼いで、いかにもできる大人ですみたいな言動をする人もいるでしょうが、そんなものにたいした意味はない。一生懸命頑張っていた月ちゃんと何も変わらない。

大人なる者のふりをするのではなく、骨身を削るような言葉をつづるべきだ。私の子供には、私が本当に思うことを語りたいと思う。これ、親としてかなり危険なやり方なのですが、私ならやり通せるでしょう。



今から30年ほど前、私が小学校三年ぐらいのとき、担任の先生が、
「総理大臣というのは飾り物で、それを後ろから操る人がいる」
と言ったのを聞いて、子供なりに衝撃を受けた事を覚えています。今から考えると、総理大臣を後ろから操る人物というのは田中角栄の事でしょう。私は、日本という世界は公平で合理的なものだと思っていたので、この小学校の先生の言葉に世界が崩れるような強烈な不安感を覚えました。

帝国憲法が民主的だったか専制的だったか、というのはよく議論になるところです。大正デモクラシーも帝国憲法下で成立したわけですから、簡単に考えると帝国憲法も運用によっては民主的なものになりうると考えるのが普通でしょうか。
しかし、松本健一は帝国憲法さらには明治国家を鵺(ぬえ)的体制であると言っています。すなわち、国家権力の中心に近ければ民主的になり、遠ければ専制的になるような類のダブルスタンダード体制なのです。これは国家権力の中枢に近ければそれだけ人間の価値が上昇するかのような時代の空気を醸成します。戦前の立身出世熱というのは、明治国家のダブルスタンダード体制から来ているのでしょう。このような前近代的空気は最近急速に薄くなってきましたが、25年位前までは、日本をかなり厚く覆っていました。

盧溝橋事件以前は、国家権力から遠くにある人たちには皇国史観が強制され、国家権力の中心に近いエスタブリッシュメントには天皇機関説が適用されるという具合です。戦後は皇国史観がアメリカ型民主主義に変わっただけで、権力の中枢に近づくにつれて民主主義がないがしろにされるという日本的構造は変わらなかったのです。
私が子供のころ「大人になる」ということは、権力の中枢に少しでも近づいて民主主義や法治国家を軽く見れるようになることを意味していました。一般市民なんていうのは、例えば交通違反を警察に頼んでもみ消してもらったり、市会議員なんかに頼みごとをして何かの受付の順番を早くしてもらったりということで大人になったことを実感するわけです。
今から見れば、このような国家システムは非合理的ではあると思いますが、明治の初期においては何らかの合理性があったのでしょう。しかしこのような非合理的システムを抱えては、日本は世界との軍事的経済的総力戦に勝つことは出来ません。第一次世界大戦以降、列強間の戦争は国家総力戦になる事が明らかになりました。明治国家の鵺的体制を合理化する運動が、満州事変であり226事件です。神風特攻隊もその系列上にあると思います。

私は小学三年のとき、自由の国だと思っていた日本が醜いダブルスタンダードの国だと知った時、世界が崩れるような衝撃を覚えましたから、例えば226事件で処刑された人の気持ちがよく分かります。安藤や磯部などは醜い日本のシステムがどうしても許せなかったのでしょう。彼らは「大人」なんていうものにはなれませんでしたが、自らの主義を貫いて立派に歴史に名前を刻んだと思います。

先日わたしの勤めている会社で、一人のおじいさんがクビになりました。そのクビになった理由というのが、家賃をを滞納して管理会社から会社に何度も電話がかかってきたから、というものらしいです。そのおじいさんは独り者で、わずかな年金と安い給与で生活しています。パチンコが好きでよくパチンコの話をしていました。事情通によると、年金を担保にお金を借りていて、さらに同僚からも何万か借りていて、そして家賃を滞納ということらしいです。

私なんかは、いくら借金をしていても個人の借金と勤めている会社とは関係がないのだから解雇する必要はないのではないか、と考えます。まあ、会社には別の論理があるのでしょうが。

日本人には歴史的に二つの種類の人間がいると思います。自分を管理できる人間と、管理できない人間と。上記のおじいさんなどは管理できない人間の部類です。自分を管理できる人間といっても、これには様々あって、一番いいのは、全く独立不羈、良心以外まったく頭上にいただかず、という者だと思います。しかしこのような人は極めて少ない。長いものには巻かれろ的な人が多いです。日本においては明治以降、権力の中心からの絶対的距離によってその人間の価値が決まるようなところがあって、いうなればこれは長いものには巻かれろということだと思います。政府も自分を全く管理できない人間が多くなっても困るので、歴史的に様々な施策をもって、いわゆる平民、今で言うブルーカラーを制御しようとしてきました。それがあるときは、義務教育の施行であったり、年金制度の実現であったりしたのだと思います。

社会制度の安定性との関係で、この自分を管理できない人間をどのレベルで切るかというのが、一つの問題になってきます。日本の保守の源流は戦中の総動員体制にあって、故に比較的多くの人間を管理体制の中に取り込もうとします。これに対して日本のリベラルというのは、自分を管理できるやつだけ救っていこうみたいなところがあります。この辺が日本リベラルの弱いところなんですよね。

クビになったおじいさんは、まあ要するに救いようがなかったということかな? 助けてあげたいと思うけれど、私なんかにはどうにもならない。一度このおじいさんに、パチンコというのはその台のボーダー以上を回さないと論理的に勝てない仕組みである、ということをやさしく教えてあげようとしたこともありましたが、結局そのおじいさんは最後怒り出しましたから。

救いようがないのです。

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