magaminの雑記ブログ

2015年03月



江戸幕府というのは庶民の生活の中にまでは手を突っ込んではきません。現代において課税というものは個人単位もしくは家族単位ですが、江戸時代においては村単位です。まあ17世紀においてはその程度の統治体系で十分だったのでしょう。

しかし18世紀になると日本庶民の精神レベルというのも上昇してきます。此岸の統治体系である幕藩体制の外側に民衆の生活実感みたいなものがリアルに成長してきます。

その一つの例として大杉大明神の大流行が上げられています。大杉大明神とは1727年常陸から始まり上総下総をへて江戸へ広がった流行神で、多数の華麗な神輿の行列が出て大群衆が集まったそうです。
徳川支配体制のその外側には民衆的情念なるものが存在していて、きっかけさえあれば、集団意識のような感じでその情念は此岸に噴出してくるのです。

18世紀末から19世紀初頭にかけて、日本において西洋からの圧力というのが徐々に強まってきます。そのような圧力の下では、徳川支配体制の外側にある民衆の情念にも「秩序性」みたいなものが現れてきます。
例として挙げられているのが大塩平八郎の乱。
大塩平八郎の乱において蜂起勢は、中央に「天照皇太神宮」、両脇に「湯武両聖王」「八幡大菩薩」と書いた旗を掲げていたそうです。ここには情念が歴史の蓄積とつながる事により、価値の秩序のようなものが見えてきます。

何かを知る事が自由への道なのでしょうか。それとも反対に何も知らない混沌こそが自由なのでしょうか。

18世紀末、日本の民衆は何も知らない混沌としての自由という枠組みから一歩踏み出したのだと思います。



世界はどのような仕組みになっているのでしょうか。日本人ですから、まず日本の事を考えていこうと思うのです。現代日本は結構自由な感じでみんなやっていると思うのですが、本当に自由なのでしょうか。本当に何も前提条件はないのでしょうか。

この本は日本近代を考える上で、一つの到達点だと思います。ですから詳細に考えていこうと思います。

紀元1600年前後、信長秀吉家康時代。封建制の時代だったのですが、「天下」という統一日本を表現する言葉が存在していました。北は津軽から南は薩摩まで、日本は一つにまとまるべきだとまではいえないのですが、まとまった方がいいという程度のコンセンサスは存在したのです。その日本を貫く3つの要素というのが、

1 武威をテコとした権力的支配秩序
2 天皇を頂点とする儀礼的秩序
3 伝統的宗教による宗教的宇宙論的秩序

となります。

徳川幕府というのは、儀礼的秩序や宗教的宇宙論的秩序にも気は配ってはいるのですが、基本的に「武威をテコとした権力的支配秩序」がメインの政体です。鎖国体制を敷いていますから、国民の心の中まで手を突っ込む必要はなかったのです。

荻生徂徠(1666-1728)という儒者がいたのですが、彼は「政論」という著作の中で、
徳川幕府の支配体制というのは甘いところがある。権力的支配秩序のみでは、今は太平かもしれないが近い将来、この放置されている民衆の情念のようなもので徳川支配体制がひっくり返る可能性がある。徳川幕府は支配の枠組みを物理的なものからもっと精神的なものにまで広げるべきだ、
と言っています。

これは驚くべき慧眼だったと思います。現実に明治政府は徂徠的なものを実行しましたから。

明治国家自体は滅びましたが、その明治国家精神の延長上に私達は生存しています。

日本には祭りというものが存在します。都市部や臨海部においては夏祭りが主流です。江戸時代においては、この祭りというものは民衆の精神を開放する場でした。この精神の開放度合いというのが現代の比ではないのです。江戸時代、祭りの絶頂においてはフリーセックスになったり、祭りが終わらないということになったりしていました。フリーセックスなんて嘘だろう、と思うかもしれませんが本当です。祭りが終わらないというのはどういうことかというと、「ええじゃないか運動」のように一つの村で始まった祭りが、他の村々に伝播していくのです。

現代において私達は自由に生きているようですが、精神面においては江戸時代の民衆に比べてさえ、本当に自由であると断言は出来ないのです。



1805年、アウステルリッツでロシアとオーストリア同盟軍はあっさりナポレオンのフランスに負けてしまいました。アンドレイもニコライもロシア貴族としてアウステルリッツに参加してそれなりにがんばりはします。ただ19世紀初頭という民族国家黎明期と理由なのでしょうか、国家との一体感が足りないです。ロシアという国がなくなるかもしれないという悲壮感ないのです。

ナポレオンがギリギリのロシアというものを教えてくれるのでしょう。
全6巻ですから、あと文庫本で2000ページ楽しめます。



最近は明治の評論、もしくはそれに関するものばかり読んでいましたから、今週からは軽めの小説ということで、トルストイの戦争と平和を読み始めました。

岩波文庫の戦争と平和は全6巻。三日かけて1巻目を読み終わりました。

時代は1805年のロシア。ナポレオン戦争の序盤戦です。全6巻だけあって、1巻目は登場人物紹介とアウステルリッツ戦までの前哨戦を書いて終わりです。このゆっくりした感じがいいですよね。

近世ロシアの上流階級ではフランス語が共通語だったそうです。一つの国において上層と下層を分けるために、支配者層は様々な仕掛けを作ります。例えば日本の江戸時代では、それは服装だったり、住む場所だったりしたわけです。ところがロシアでは言葉まで変えてしまうという堕落振り。ナポレオンによってこのロシア上流階級にどのような亀裂が入るのか、というのが2巻以降の見所です。





コクヨの優待が今日、到着しました。

写真とか撮って丁寧にアップしたいところなんですが、夕方帰宅してみると、コクヨの優待は子供達に荒らされたあとで、優待の残骸みたいのしか残っていませんでした。

残っていたものは、
 
  善太郎伝

なるコクヨ創業者黒田善太郎という人物の伝記マンガ本だけでした。
コクヨは創業110年なんですね。日本の知性を底辺で支える企業として、日本という国が続く限り存在し続けて欲しい企業です。
コクヨの優待の内容は、その残骸から判断する限り、ノート、リップのり、セロテープ、はさみ、蛍光ペン、そんな感じだと思います。断言は出来ないのですが。




出口なお(1837-1918)は大本教の教祖です。

出口なおが「神がかり」をしたのは56歳です。彼女はものごころついたころから社会の最底辺で必死に働きます。古きよき日本人女性によくある献身的な働き、現代から見ればほとんど捨て身の働きです。彼女の場合、その捨て身の働きは生活向上の結果には結びつきませんでした。理由として、父や夫や長男のだらしなさ、明治という時代の厳しさ、などがあげられるでしょう。

ここで問題なのは、まず何故日本人は捨て身の労働をするのか、ということです。現代日本にも過労死やブラック企業問題などに明らかなように、この捨て身の精神は継続して生き続けています。

江戸時代中期に「通俗道徳」と呼ばれる民衆の倫理観が確立されます。通俗道徳の徳目の内容は、勤勉、倹約、正直、憐れみ、などから形成されていています。通俗道徳は、これを村全員家族全員で守ることによって、村や家を次世代につないでいくという、当時においてほとんど唯一の倫理思想なのです。最低でも江戸中期にまで遡れる倫理思想ですから、近代天皇制よりも古い、すなわち近代天皇制の下部構造を構成したような倫理思想です。日本人の心の深くに食い込んで、「通俗道徳」は現代日本人にも引き継がれているのでしょう。

この通俗道徳が効果を発揮するためには、二つの条件が必要です。まず一つめは、これを全員で守るということです。二つめは、社会的上昇のチャンスが開かれてあるということです。出口なおのようなぐうたらな夫をもったり、初等教育を受けていなかったりすると、この二つの条件から外れる事になります。出口なおは56年間頑張りぬいて尚且つ家族の生活が破綻しているのをみて、社会が正しく自分の努力が足りないという考えを転換し、自分が正しく社会が悪いというトータルな自覚に至ったのです。

これは一見傲慢な考えのようですが、56年という時間をただひたすら自分以外の人間に捧げ尽した者のみに許されるある種の預言者状態だと思います。

私は近代において日本というのは頑張ったと思います。その結果として今の日本があると理解しています。しかし、誰が頑張ったんでしょうか。明治天皇や伊藤博文だけが頑張ったのでしょうか。根源的には出口なおのような人たちのまさに無数の捨て身の献身こそが日本を結局は支えたのだと思います。


帝国とナショナリズム 岩波現代文庫 / 山内昌之 【文庫】【中古】 帝国とナショナリズム 岩波現代文庫 学術262/山内昌之【著】 【中古】afb



「帝国とナショナリズム」という本は、近代以降の世界の歴史をトータルに考える事により現代以降を知的に考えていこうという、かなりアグレッシブな感じです。



現在日本語を喋って日本の領土に住んでいるほとんどの人は、自分は日本人だと思っているでしょう。「日本」という言葉も奈良時代からあるそうですよ。だからといって日本人が奈良時代から日本人意識を持っていたかというと、かなり疑問ですよね。

板垣退助は戊辰戦争で東北で戦っていた時に、東北の武士が自分の藩を守ろうと必死で戦っているのに地元の農民は藩と自分は関係ありませんという態度で日常生活を営んでいたという現実を見て将来の日本について心配をするのです。政府と民衆が隔絶していれば、国というものは維持できないのではないか。東北諸藩のように日本も滅びてしまうのではないか。板垣退助はそのように考えて、自由民権運動を始めたそうです。

明治初期において、西洋の圧迫に対して日本という国の独立を維持していかなければならないと自覚的に考えたのは旧武士階級までだったでしょう。すなわち明治初期において日本国民とは旧武士階級のみなわけです。板垣退助や福沢諭吉の言動というは日本国民の枠組みを拡大しようと必死の戦略的努力です。明治20年、徳富蘇峰が「国民の友」を創刊した時には日本国民の範囲が豪農層まで広がっていたと思われます。そして今の言葉でいう庶民が日本国民という枠組みに参加した契機というのが日露戦争という事になるのでしょう。

こう考えると、日本人が日本人の枠組みを獲得したのは結構最近なんですよね。現代から見れば、日露戦争以前にも日本的一体感みたいなものがあったかのように思ってしまうのですが、それは共同幻想の部分が大きいという事でしょう。

現代は世界的な時間が相対的にゆっくり流れていますが、20世紀初期の日本というのは、時間の流れが激流です。さすがの日本も、少しの判断ミスで太平洋戦争みたいな罠にはまるという事もありえるだろうなと思います。明治国家が失敗であったというのは厳しい考えではないでしょうか。確かに最後はあのような結末にはなりました。しかしあの短い時間で、日本をここまで引き上げたのは明治人の苦闘の結果であったと思います。









徳富蘇峰というのは現代において人気がなくて、岩波文庫でもほとんどが絶版です。

福沢諭吉や中江兆民などは、国民精神の自由を強調し、明治維新後の日本独立維持への道筋を示してくれました。明治の日本人一人ひとりが精神の独立を達成するなら、必然的にトータルとしての日本も独立を維持できるであろうという、ある種理想主義的な主張です。
徳富蘇峰はその流れを継承して、「平民主義」というものを唱えます。精神の独立なんていっていても、結局は旧士族だけに語りかけているのではないか、大日本帝国臣民全てが精神の独立を達成すべきである、徳富蘇峰はそう考えたんだと思います。

この蘇峰の考え方に私は共感します。
ただ全ての人間が精神の独立を達成するということは現実可能なことなのでしょうか。

精神障害の夫婦が子供をつくることをどのように評価すればいいのでしょうか。
一人目の子供に障害があった場合、二人目をつくるべきなのでしょうか。

突き詰めて考えてしまうと、全ての日本人が開放されるなんていうのは夢物語なのです。

ところが戦争になると話は別です。近代の戦争は総力戦でした。日本の全てを傾けなければ戦争に勝てないとなると、結果全ての日本人に役割が与えられるのです。大日本帝国の名の下に全ての帝国臣民が精神の独立なるものを体感します。

究極の国家主義は平民主義なのです。

平民主義とは簡単に実現できてしまうものだった、しかし大事なのは簡単な道を選ばずに、平民主義と現実との相克に身をさらし続ける事だったという。
だけど日本はいいところまでは行ったとは思います。結局太平洋戦争で明治国家は崩壊しましたが、明治人の頑張りのおかげで、現代において日本はまずまずのポジションにいると思います。


丸山真男は1960年代以降政治学関連の著述からは撤退したそうです。

岩波文庫の丸山真男「政治の世界、他十篇」には、1947年から1960年までの丸山真男の政治論が集められています。
私がこの本を読むにあたって注意したことは、丸山真男の太平洋戦争観です。丸山真男の「日本の思想」を読んでみても、太平洋戦争の原因についてのピントがずれているのではないか、とは思いました。そしてそのずれている所を色川大吉や吉本隆明に指摘されてしまうのです。

本当に丸山真男は太平洋戦争の原因について思い至る事が出来なかったのでしょうか?

丸山真男は「政治の世界」で、
近代において政治指導者は人民のエネルギーを国に吸い上げるために、社会的価値をある程度被治者に分配した方が得策なのです。
と言っています。さらに、
被治者の政治的自覚の向上により、それだけ下からの権力への参与を求める声は熾烈になる。権力への参与を求める声に従って、指導者層が適度に権力を被治者に配分できれば、革命のリスクというものは小さくなる。指導者層が革命のリスクが大きいと判断すれば、指導者層は革命か対外戦争かの究極の選択をすることになるだろう。
とまで言っています。

普遍的な理論を語っているようで、明らかに戦前日本の政治状況のことを語っています。
丸山真男は、15年戦争の原因を知ってたんだよね。何故そこを突き詰めて語らなかったのか?

丸山真男は福沢諭吉に興味があるみたいで、福沢研究の評論を多く書いています。
私は、福沢諭吉は日本史上における屈指の天才だと思います。福沢の論法というのは、理想を感得し現実を認識し、現実を理想に近づけるためにはマキャベリズムをも辞さないというものです。福沢諭吉の言葉というのは、その時の政治状況によって変化していくのですが、それは矛盾というものではなく福沢にとっては何らかの合理的な一貫性があるのです。
同じ事が丸山真男にもいえるのではないか。丸山が戦後に書いた評論の数々は、その評論自体が真実を語っているというものではなく、時代を牽引するような役目が与えられてあるものなのではないでしょうか。

自由でありたいと思わないですか? 
ただボンヤリしていれば天才の手のひらで踊り、そして人生を終わるという事もありえます。




イギリスは19世紀にその巨大な姿を日本の前に現しました。

19世紀大英帝国は世界システムの中心、金本位制をコントロールするもの。
イギリス人は17世紀18世紀と国王を中心としてよっぽど頑張ったのかと、日本に暮らす私なんかは思うわけです。

でも全然違うんですよね。

17世紀18世紀のイギリスの下層階級(下層といっても8割の人間は下層ですから)では、子供が14.5歳になるとサーヴァントといって余所の家庭に住み込みで働きに出かけていました。日本で言うところの丁稚奉公です。ただ日本と違うのは、子供はみんなサーヴァントとしてそとに出てしまい再び戻ってきたりはしません。親が年老いて生活が維持できなくなると、よそから別のサーヴァントを雇うというシステムだったらしいです。

今とはよほど違う家族観の元で暮らしていました。

17世紀以前のどこかで、家族制度というものは崩壊したのです。セーフティーネットとしての家族制度もない、村落共同体もない、国家は自由主義全盛となると、落ちこぼれてしまったイギリス人というのは何処に行ってしまうのでしょうか。

そういう国家にとって役に立たないであろう人間はすべて植民地に掃きだしてしまいます。イギリスから結局掃きだされた人間は、17世紀18世紀の150年間で30万人から40万人だそうです。当時のイギリスは、イングランド、スコットランド、アイルランド合わせて人口が1100万ですから(日本は当時人口3000万)、30万人から40万人というとかなりの人口です。
そのような国内で食べていかれなくなって、植民地に移住した全ての人を含めての「大英帝国」だったのです。

そのような人間のはけ口があったから、イギリスには革命が起こらなかったとも考えられます。また、ゆっくり進歩出来たからか? 

ただイギリスの殺伐とした17世紀18世紀の下層民の状況と比べれば、江戸時代の農民の方が、よほどましな精神生活をしていたのではないでしょうか。

イギリスは産業革命が起こったから帝国になったのではなく、帝国になったから産業革命が起こったのです。ですから初期の大英帝国における民衆の絶望と希望の相克はとても大きかったのではないでしょうか。その辺のところを考えていけば、かなり面白いことになりそうです。



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