magaminの雑記ブログ

2014年12月


「自分探し」という言葉があります。まあただ自分の事ばかり考えていても、「自分」が理解できるわけもなく、「自分探し」とは結局自分と社会との関係ということに行き着くのです。次に「社会」とは何なのか? ということに思考は移るわけです。

ここまでは簡単な論理なのです。私も30年前、中学生の時に「自分探し」の結果、「社会」とは何なのかという場所に至りました。中学生だった私は、日本は資本主義国家だから資本主義を知れば、すなわち資本主義発祥のヨーロッパの近代を知れば、自分の周りの世界を理解する事が出来るであろう、と考えました。

1950年代の座談会で丸山真男は近代はデカルトに始まる、と言っています。それはなぜかというと、デカルトが神の世界と人間の世界に境界をつくった人物だからだというのです。
私は昔、もっと突き詰めて考えた事があって、ヨーロッパ近代の萌芽はイエスキリストにあるという仮説に至りました。
それはどうしてかというと、
聖書にはキリストの言動を直接記録した福音書というものが四つあります。その福音書の中でキリストは一見矛盾した言動をとることがあるのです。例えば、ある時は
 金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通ることより難しい
と言います。これはこの世の事ばかり考えてはいけない、という意味でしょう。
別の時には
 祈りすぎるな
と言います。これはあの世の事ばかり考えてはいけない、と言う意味でしょう。

キリストの個々の言動というのは矛盾しているように見えますが、総合して考えてみて、結局キリストが言いたかった事は、あの世とこの世を明確に区別しろ、ということではないでしょうか。そしてこれはデカルトの言った事と同じなわけです。

私はここまで自力で到達したのですが、木田元という哲学者が西洋哲学史の中でこの続きを書いているのです。木田元は
「西洋哲学というのは、精神と物質の二元論という、日本人から見ればある種奇妙な論理に立脚している」
とズバリと言います。この論理の歴史を遡っていくと、プラトンやアリストテレスのギリシャ哲学にまで遡ります。
目の前に椅子があったとしましょう、アリストテレスはこの椅子なるものを、椅子の概念と椅子の材料に分けて考えているのです。日本人からすれば全く奇妙な考え方です。この精神と物質という奇妙な概念を古代ギリシャに導入したのはプラトンです。そしてプラトンはどこからこの概念を引っ張ってきたのかというと、ユダヤ教からだそうです。古代ユダヤ人は困難と迫害の歴史の中で、自らが生き残るために特殊な概念を練り上げたのでしょう。

そして話は初めに戻るのです。

現代日本に暮らす私は、ヨーロッパの近代を知る事によって自分の周りの世界を知る事になったでしょうか? 確かにヨーロッパの歴史には詳しくなりました。論理の訓練にもなりました。世界にはいろんな人がいたのだなということを知ることもできました。しかし、日本を知る事にはならない。「自分探し」にはあまり役に立たない旅でした。

私は、丸山真男のメインテーマは結局のところあの戦争とはなんだったのか、ということだと思うのです。丸山真男はヨーロッパの事を多く語りますが、無駄な旅ではないのでしょうか。
丸山真男ぐらい頭が切れれば、無駄な旅でも楽しくはあるでしょうが。




遠野は岩手県の中部、北上川の東にある町らしいですよ。

遠野物語は遠野地方に伝わる伝承みたいなものをまとめたものです。その中からいくつかインパクトのあるものを紹介していきましょう。遠野物語の原文は文語体で書かれていますから、私が読みやすく口語に変換していきましょう。

川にはカッパが多く住んでいた。村の家でカッパの子を身ごもった女がいた。生まれた子供は切り刻んで樽に入れて土の中に埋めた。
それはとても難産で、その子の手には水掻きがあった。その娘の母親もカッパの子供を産んだことがあるという。二代や三代の因縁ではないという者もある。

別の話。

貧しい百姓がいた。妻はもういなくて美しい娘がいた。この家は一匹の馬を飼っていて、娘はこの馬を愛し、夜は馬と一緒に寝て、ついにその馬と夫婦になった。父はその事を知り驚愕し、馬を連れ出して桑の木に吊り下げて殺した。娘はそれを悲しんで、馬の首にすがり付いて泣いた。父はこれを憎んで、斧で馬の首を切り落としたら、娘は馬の首に乗って天に昇って去った。

この生々しさ。心を空っぽにして、遠野物語だけを感じて欲しい。そうすれば何かが分かる気がするのです。
日本人はかつて自然と一体となって生活していたのでしょう。日本人の魂に歴史は伝承となって食い込んでいたのです。

遠野は北上川の東にあるらしいですよ。


日中戦争と太平洋戦争を会わせて便宜的に大東亜戦争という言葉をつかわせてもらいます。

ここ何年かいつも考えるのです。大東亜戦争というのはなんだったのかと。
現時点での私の仮説は、
明治維新によって下級武士層や農民階級の上層部すなわち豪農層は封建体制から開放されましたが、自作農以下の日本人は明治以降も日本的村社会にからめとられたままであった。しかし明治以降の出版や交通の発達で自作農以下の日本人にも自意識みたいなものが高まってきたのではないでしょうか。自分達を日本的農村共同体のなかに押し込めるところの明治国家体制に自覚のない不満があふれるなんていうことがあったのではないでしょうか。そんなエネルギーが、反財閥、反重臣、反不在地主となって軍部をあそこまで押し上げたのではないでしょうか。そして財閥や重臣や不在地主が敗戦で押し流されてしまえば民衆は言いますよ、
「あの戦争は軍部の暴走だった」
ってね。

この「持たざる国への道」は思ったよりいい本でした。松本崇という人は1952年生まれ、大蔵省の官僚だった人です。この本の前半は、財政面を多めに取り入れた戦前の歴史のおさらいみたいな感じで、後半は江戸時代から現在に至るまでの金融の歴史を語るという、「持たざる国への道」はそんな構成になっています。大東亜戦争の原因というのは日本人の情念みたいなものだったと私は思いますが、多くの日本人が直接に接するところのものというのは結局お金ですから、戦前を理解するためには経済も重要なファクターだと思います。松本崇という人はその辺を丁寧に立場の許す限り誠実にこの本の中に表現していると思います。

しかしこの本はまだ古典ではないと思うので、あえて批判を書かせてもらうならば、松本崇が立派だったと持ち上げるところの戦前の日銀総裁達も、結局は貴族主義だったのではないでしょうか。金本位制を維持するために経済を引き締めたり、金本位制を離脱して日本経済を持ち上げたり、彼らは与えられた擬似貴族制の中で頑張ったのだろうとは思います。しかしそれは枠組みの中での話であって、当時の日本人はその枠組み自体を問題にしていたのではないでしょうか。だから枠組みを変える力をもつ軍部に支持が集まる。戦前の日銀総裁達も英雄ではなかったという事になります。

しかし現在の日本は、明治維新と大東亜戦争の敗戦という二度の革命によってかなり精神的に開放された状態にあると思います。ですから現在の黒田日銀総裁は、戦前の総裁達より条件はいいわけですから、戦争を心配することなくしっかり頑張って欲しいと思います。



いつも左上のアイコンをクリックしてくれるかたがいます。ありがとうございます。


内藤湖南の支那論は明治の末、新支那論は大正末に書かれたものです。

日本の近代は明治維新から始まりますが、中国の近代は唐末、宋から始まると内藤湖南は言うのです。近代とは何かというと、結局人民が力を持って国を動かす事ができる文明レベル、ということになると思います。中国においては唐末から貴族政治が衰退して、宋代に入って絶対君主の時代が現出したのです。科挙という試験で選ばれた官僚が皇帝をサポートするという体制になるわけです。

現代において中国のイメージは残念ながら発展途上国です。民度は日本の方が高いとか、中国人の年収はまだまだ日本に及ばないとか、ネットではそのような事がよく言われています。しかしそれは中国という国を改革解放以降についてのみ考えた場合であって、長い歴史の上に今の中国があると考えれば、中国という国を簡単に考えてしまうということはやってはいけないことです。

趙匡胤が宋を建てたのは紀元960年です。日本の明治維新は1867年です。ヨーロッパでさえ絶対君主が現れるのは17世紀以降でしょう。内藤湖南によれば、中国は近代に入って1000年以上経っています。中国近代1000年の精神史なるものを研究する事ができれば、今の世界がこの後どうなるかを予見することも出来るでしょう。

人間はせいぜい生きても100年です。人間は生まれてそして死んで終わりなのでしょうか。
私は人間には積み重ねる事ができる何かがあると思うのです。私達はまずまずいい世界に暮らしています。それは過去に死んでいった人間が今生きている私達をここまで押し上げてくれたからなのではないでしょうか。
その押し上げてくれた人類の運動のある部分が歴史といわれているものではないでしょうか。そのものすごい分厚い歴史を体現するものが中国だとするなら、これはものすごい事ではないでしょうか。

私の乏しい能力では、日本の近代を考える事が精一杯です。
誰か中国近代1000年の精神史を考えてくれないでしょうか。そこには絶対何かあると思います。


私は誠実に考える人を信用することにしています。

色川大吉は太平洋戦争終戦の時、20歳。学徒動員で軍隊生活もしています。思想家なら考えたと思うのですよ、何故あんな戦争になったのかということを。
普通の人は、東条が何をしたとか近衛が何をしたとか考えるわけです。しかし、色川大吉は明治の、それも歴史の闇に埋もれかけた自由民権運動から考えるのです。実際に三多摩地域で民衆の中にいた自由民権運動家の足跡を発掘したりしています。

この態度が誠実でなくてなんなのでしょうか。

この色川大吉が昭和史を書いています。一般民衆に視点を据えながら書いているので、現代から見ると内容は左翼的にはなります。どうしていもそうなります。戦争中は庶民はあんなに苦しかった、こんな風に死んだ、沖縄が、広島が、東京が、となるわけです。この「ある昭和史」もほとんどがこの描写です。しかし、さすが色川大吉、ギリギリのところで大衆にも戦争の責任のようなものがあるといいます。
「民衆の負の情念を理解できない歴史は空しい」
といいます。

民衆の負の情念とは何なのか、ということをもっと突き詰めて書いてくれれば、この本ももっと刺激的だったのですが、なかなかそういうわけには行かないのです。

あとは若い者達で考えろということでしょう。
ワクワクしますね。


天皇制度というのは、もう千何百年も続いています。これは間違いなく日本の伝統です。「天皇」という言葉が現れたのが7世紀ですから、厳密な天皇制度は1400年続いているという事になります。これが天皇的制度となるともう何百年か遡ることになるでしょう。

しかし、この日本古来の天皇制度というものが存在し続けているとしても、明治維新以降、明治政府によって天皇制度には何らかの付加価値みたいなものが追加されてきたと思うのです。時代の要請としてしょうがない面もあるでしょう。19世紀末は日本が強固な独立国にならないと、西洋に侵略されてしまいかねない状況でした。当時のヨーロッパの戦略は「弱いところを削る」みたいなことでしたから。

明治政府が崩壊して70年です。1400年以上も続いている天皇制度を日本の伝統として大事にするというのは私も賛成です。しかし、明治政府が付加した偽天皇制度というのは、もう必要ないのではないでしょうか。現在のところどこかの文明に日本が侵略されるという心配もないですし、偽天皇制度なるものまで使って、日本の中に一体感を醸し出す必要はないでしょう。

ここで問題なのは、何が本来の天皇制で何が後で付け加えられた天皇制なのか分からなくなっているということなのです。

その事を知るためには、明治以前の日本の国の形とはどのようなものだったかというのを知る必要があります。根本を知る事によって、伝統的天皇制を知る事が出来るわけです。

ここにおいて網野善彦は驚くべき主張をします。

ざっくり言ってしまえば、日本というのは歴史的に東日本と西日本の連合国家だというのです。ここで言う東日本と西日本の境目はフォッサマグナの少し西、例えば尾張は西、三河は東です。
東日本というのは家父長的で父親の権威が強いです。西日本は母系社会で女性が強いのです。
東日本は被差別部落が少なく、西日本は多いのです。
いろいろな差異あるらしいですよ。
そして、西日本における権威は天皇で、東日本の権威は幕府なのです。

これは参りましたね。ある種の人々に網野善彦の評判がよくないわけです。
いいですか、この網野理論を突き詰めていけば、天皇というのは西日本のマッタリとした世界に浮かぶ権威であって、東日本は遠慮してもらえるかな? 東日本の家父長制度、父親が偉いなんていう制度は天皇制度とは何の関係もないから、東日本の人が家父長制度を維持したいと思うのなら、それは個人の能力でやっちゃってください、みたいなことになります。

私は西日本に生まれましたから、この感じ、分かるような気がします。ただ西日本にもマッチョなやつはいますから、統計的に断言できるわけではないですが。家族国家観みたいなものを天皇制度がフォローしてくれると思ったら間違いで、伝統的天皇制と明治国家的天皇制は区別していかなくてはいけないと思います。


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フコクというのはワイパーなんかを作っているらしい地味な自動車部品メーカーです。売上げはアジア中心、アメリカ少々という地味ぶりです。

株価 1343円
配当 20円
配当利回り 1.49%
PER 8.89倍
PBR 0.78倍

自動車部品メーカーにはよくあるのですが、株価はものすごく割安です。さらにこのフコク、割安株が多い自動車部品メーカーの中でも、特に株価の変動が緩慢です。ヤフーファイナンスでフコクのチャートをエフテックやニチリンと重ね合わせてみてください。

ここからが本題なのですが、このフコク、100株以上3月末権利確定で2キロの米がもらえます。その米の銘柄は、

新潟県長岡市小国町産棚田米(銘柄:コシヒカリ)

これが抜群に美味しいのです。
米がもらえる株主優待というのは結構あります。私も前澤給装工業、マックスバリュ東海、ダイヤモンドダイニングと持っています。ただ送られてくるのは新潟産コシヒカリという程度なのです。

しかしフコクは、

小国産棚田米。

棚田米というのがいいですよね。
新潟県の山沿いの棚田には、冬、雪がしんしんと積もるのだろう。
トンネルを抜けると、そこは雪国だった。
「駅長さーん、駅長さーん」

川端康成の読みすぎですね。
雪国の棚田米なんて故郷への郷愁を誘います(まあ、私の故郷は岡山の瀬戸内海沿いで雪国とは関係ないのですが)。

フコクを100株持って、一年に一回、心がほっこりするのもいいでしょう。




母親は仕事の忙しい人で、私と妹は子守のおばあちゃんみたいな人に、週末の土日預けられる生活をしていました。私と妹はそれぞれ預けられる先が異なっていて、妹は「バーバン」なる60代であろう女性の所に連れて行かれていました。

当時私の母親は、土曜日に小学校が昼で終わると、私と妹を車に乗せてそれぞれの子守のおばあちゃんの所に連れて行くのです。妹は週末にバーバンと一緒にいられることをすごく喜んでいるようでした。私にもよくバーバンのことを話してくれていました、うれしそうに。

すべては子供のころの思い出です。

今から20年前に父親が、15年前に母親が死にました。母親が死んだ時、妹は25歳くらいだったでしょう。実家に私一人で母親の死骸の傍にいたときに、妹が横浜から駆けつけてきて、死んだ母親を前にして涙をポロポロと流すのです。

ちょっと意外な感じがして。けっしてひどい母親だったわけではないですよ。ただ仕事が忙しい人で、家事はお手伝いさんを雇う、週末に子供は子守のおばあちゃんにマル投げという母親でしたから。母と娘の間の愛情が薄いということもあり得るかと思いまして。

葬式が終わった後、兄と妹二人きりになったときに、妹が私にこういうのです、

「お兄ちゃん、私が子供のころに預けられてたバーバンってさー、おじいちゃんのお妾さんだって知ってた? お母さんが私をバーバンに預ける時は、親戚中反対だったらしいよ。死んだおじいちゃんのお妾さんなんて、かかわりになりたいものじゃなんいじゃん。
お母さんは自分では十分な愛情を子供に与える事ができないと思って、私をバーバンの所に預けたのでしょう。娘に愛情を与えてくれそうな人が目の前にいた。結局そういうことだと思うの。

でも私はバーバンが大好きだった。

私はお母さんにありがとうって言いたいよ。バーバンの所に連れてきてくれてありがとうって言いたいよ」

いろんな愛があるのだなと思って。

おじいちゃんの愛、バーバンの愛、母親の愛、妹の愛。全ての愛がつながるという事があり得るという。


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日本は何であんな戦争をしてしまったのか。大東亜戦争とは何だったのか。天皇制とはなんなのか。戦後左翼のあの言葉の空虚さはなんなのか。現代ねとうよのルサンチマン的言動はなんなのか。

いろいろなことは、戦前の昭和史だけを考えても分からないのです。明治にまで遡らないと。
この「明治の文化」という本は、近代天皇制の本質を明治にまで遡って考えよう、さらに丸山真男や司馬遼太郎を敵に回しての論理を展開しようという非常に刺激的な内容になっています。

話は明治の自由民権運動の研究から始まります。明治15年から18年くらいまでの事になるでしょうか。自由民権運動というと、失敗した民主化運動というただそれだけのイメージだったのですが、色川大吉が掘り出してきた三多摩地区での現実を見ると、それは農村における中下層民を中心とした人間解放運動です。明治維新が結局は下級武士が主導した人間解放運動だった事を考えると、その延長線上にあったのではないでしょうか。

明治15年というと、松方財政といって現代においてはちょっと考えられないデフレ政策が採られた時期です。ものすごい不況で農民は危急存亡のときにたたされます。その中で、三多摩の農民達はある種の一揆を起こすのです。明治政府と勇敢に戦いはしたのですが、結局鎮圧されてそのまま歴史の闇の中に埋もれてしまうのです。

「明治の文化」の前半には、三多摩の農民達がどのような思想で明治政府との戦いを遂行したかが書かれています。
私はこれを読んで「橘孝三郎」を思い出しました。
橘孝三郎をごぞんじでしょうか?
橘孝三郎とは、515事件に参加した民間人です。昭和初期というのは日本の金融危機とアメリカの株価暴落が重なってものすごいデフレ不況だったのです。日本を変革して茨城の農民を救うために、515事件に飛び込んだと自身で言っていました。
226事件に参加した安藤輝三は東北の新兵の窮状を見過ごす事ができず、ぎりぎりになって226に参加する決断をしました。
自由民権運動は歴史の闇に消えましたが、その精神は日本民族の伏流となって昭和維新運動に流れ込んだのではないでしょうか。

515事件や226事件は<日本を太平洋戦争に引きずり込んだきっかけとして否定的な扱いを受けていますが、私はそれは正しい評価ではない、と思います。自由民権運動の日本下層民の自由に対するエネルギーが515や226に流れ込んで、そして太平洋戦争に至ったのだとすれば、太平洋戦争とは日本人が日本人自らを解放するための戦争だったのではないでしょうか。

その証拠に戦後の日本は自由な世界になったでしょう? 過去の日本人の苦闘の上に現在の自由な日本があるのではないでしょうか。

日本人が自らの自由を獲得する過程で、中国や東南アジアに迷惑をかけたとするなら、本当に申し訳なかったと思います。
今の日本が満足すべき自由の枠組みがあるからといって、過去の自由を求めて死んでいった日本人の苦闘を忘れるならば、大東亜戦争において中国や東南アジア諸国にたいして迷惑をかけたという外形的事実しか残らないのは当たり前の事です。戦後左翼の言葉の空虚さというのは、この辺に理由があるのではないでしょうか。



クリエイト・レストランツHDは多様な飲食業態を展開している会社です。私の家の近くには「はーべすと」しかないので、そこしか行ったことはないのですが。

株価 1622円 PER21.26倍 PBR5.18倍 配当22.67円
株主優待は
年二回
100株以上3,000円分
300株以上6,000円分
1,500株以上30,000円分

株価自体は割高の高値圏だと思いますが、配当優待込みの利回りが、
100株で5%
300株で4%
と、ピカピカの成長株なのにまずまずの利回りなのです。

私、100株買った記憶があったので、もう200追加してもいいかな、と思ってネット証券を開いて現物欄を見てみたら、

なんと、いつの間にかクリエイト・レストランツHD300株になっているではないですか。

知らない間にこの会社3分割しているのです。株価3倍ー3分割ー優待ランクアップ という流れになっていたのです。信用枠で苦闘している間に、小さな幸せみたいな事が起こっていたのです。

「はーべすと」というのは自然食品食べ放題という店なのです。食べ放題なんていうのは、デブが大量に押し寄せたら元が取れないのではないかと心配してしまうのですが、ウチの近くの「はーべすと」はうまくやっています。百貨店の同じフロアーに安いしゃぶしゃぶ食べ放題という店があるのです。食い意地のはったデブは普通そちらに行くでしょう。結果、値段設定の高い「はーべすと」は自然食品をゆっくり食べたいという人があつまるという、好循環になっています。

株のヒントというのはいろんなところに転がっているものなのですね。

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