magaminの雑記ブログ

2014年07月

その少女A、友達を興味本位で殺して、バケモノだみたいにいわれているけど、私は違うと思う。殺人願望とはいえ人間にある種の興味があるわけだから、少女Aも理解可能な人間だろう。

自分にも意識があるから相手にも意識はあるだろう、というのがコミュニケーションの前提だと思うが、少女Aはここはクリアーしていたわけでしょう。世界にはここをクリアーできない人もいるのではないでしょうか。このコミュニケーションの前提を理解できない人の世界はなんなのだろう。
そういう人は事件も起こさず、病院の奥で静かに暮らしてはいるのだろう。しかし、ここにこそ本当のバケモノが住み、本当の地獄があると思う。

平成維新というのありますよね。あれって昭和維新のオマージュだと思うのですが、あの人たち、本当に昭和維新のことを知っているのでしょうか。

私は子供のころ寝る前にかさぶたをさすりながら寝ると気持ちよく寝れたのです。ある種の自己確認というか、自己愛撫というか。昭和初期の本を読むと、昔のかさぶたをさすって自己愛撫していたころを思い出します。

日清戦争前後に日本は帝国主義の道を歩み始めます。その頃から青年の精神に、

立身出世に対する欲望と
人生の真理とは何かというような哲学的な希求

この二つの相反する精神的欲求が見られるようになります。

これってすごくよく分かる。私なんて、人間とはなんなのか、ということが知りたくて名古屋大学の生物学科にまでいったのに、DNAなんかでは人間を理解することは出来ない、なんて悟っちゃって大学中退して、今はトラックドライバーですから。
この前高校の同窓会に行ったら、かなりの人間が医者と歯医者と弁護士と税理士になっているのです。あいつら、高校のときは何も考えていないように見えたけど、親の職業に忠実に血族としての欲望をそれぞれが実現しているのだな、と感心しました。

私は人生の真理というものに溺れてしまったのですね。
まったく後悔はしていませんが。

人生の真理というものに溺れてしまった人というのが昭和初期以前には多いのです。もう、一人ひとりが私にとって愛すべき人物です。

朝日平悟
渥美勝
安藤輝三
相沢三郎

今の日本というのは平和すぎ。それは悪い事ではない。でももっと濃密な日本がかつてはあったなんて考えると、自己確認をしながら眠りについた子供の頃を思い出します。


この本は内藤湖南の講演集です。
おもに江戸時代の儒学者、漢学者を紹介しています。 

私は漢学なんてほとんど知りませんから、漢学者を紹介されてもよく分からない、と言うのがこの本を読んでの正直な感想です。明治大正ではかなり漢学というものが盛んであったようですが、今はどうなんでしょうか。私は名古屋大学に行っていましたが、文学部漢学科なんて聞いたことないです。探せばあったかもしれませんが。

今の時代、保守というものでさえ儒学時代の人から見れば、情けなくなってあきれ果てる、という程度のものでしょう。戦前の教育を受けた人がもうほとんど生存していないわけで、時代というものは移り変わっていくんですね。

この浅野裕一という人、かなりアグレッシブな感じで、学会で浮いているのではないかと心配しています。この本は春秋戦国時代の11の学派を簡単に解説するというものなのですが、孔子のことはボロクソに書いてありました。斬新な孔子観だと思います。

私は、今のこの世界は中国の春秋戦国時代と同じだと思うのです。春秋戦国時代は七つの大きな国が400年にわたり自らの存亡をかけてお互いに争っていました。戦国時代に入ると、諸子百家とよばれるさまざまな論理体系をもつ人間集団が活躍します。その諸子百家には大きく分けて2系統あって、

ひとつは、中国を統一に導こうとするもの、
もうひとつは、中国の統一を拒否して、七国並立の現状維持を目指すもの、

に分けられます。

墨子や公孫龍は後者に属します。墨子は兼愛を説き、公孫龍はプラトン的論理学を説きます。
これを現代に当てはめて考えるなら、現代日本人になじみの深い人権や科学的思考というものは現状維持の論理ということになります。
私達はイラクやウクライナの現状をみて、
「彼らはもっと人権や科学的思考を大事にすればいいのに。そうすれば日本のように平和になるのに」
なんて考えがちです。しかしそれは現状維持の論理なのです。かれらはおそらく統一を望んでいるのでしょう。統一なくして平和なしです。しかし統一を望む論理というのはグロテスクになりやすいのです。

私達はよく考えなくてはいけない。ぬるま湯の現状維持化、グロテスクな統一か。
トータルで考えれば、ぬるま湯の方が幸せですよ。

「孟子」騰文公下第33章。

漢文の読み下し文というのは日本独特のものでしょうが、硬骨な感じがいいですよね。

斉人に一妻一妾にして、室に居る者あり。
斉の国に一人の妻と一人の妾をもった人がいた。

この現代文は私が勝手に訳しているのですが、これは誰が訳しても、村上春樹が訳したとしても、漢文の引き締まった感じにはかなわないと思います。

旦那はまずまずのお金を家に持って帰るのです。旦那は家で自慢するのですよ、
「俺って会社で頼りにされちゃって」
しかし妻は家に旦那の上司や部下が遊びに来た事がないのを不思議に思って、旦那が会社でどんな風に働いているのかこっそり見に行く事にしました。

而(しか)れども未だかつて顕者の来ることあらず。吾まさに良人のゆく所をうかがわんとす。

漢文で書くと、妻のげすい行動も許せちゃう気になってきます。

会社での旦那の様子を、妻はこっそり覗き見します。旦那は家ではえらそうな事を言っているのに、会社では誰にも相手にされてない風で全く情けない限り。これが真実の旦那の姿だったのです。妻は家に帰って妾に愚痴るのです。
「あの人があんなに情けない人だとは思わなかった」
と。妻と妾はお互い抱き合って、旦那の情けなさを嘆いていました。
そこに何も知らない旦那が返ってきていつものように言うのです。
「きょうも俺、会社のみんなに頼りにされちゃってさー・・・」

而るに良人は未だこれを知らざるなり。施施(しし)として外より来り、その妻妾に驕れり。

孟子を現代風に訳してみました。今でもありえる話です。
この話に孟子は寸評を加えるのです。

「君子から見れば、お金や出世を求めてあくせくする人間なんていうのは、この妻妾のように抱き合って泣かずにはいられないようなものだ」

すばらしい切れ味。
孟子、うまいこと言いますね。

「孟子」離婁(りろう)上第4章を考えてみます。

   反(かえ)りて諸(これ)を己に求む

この意味は、まあ何か自分に不都合な事が起こったときにまず自分に欠点があったのではないかと反省してみる、ということです。

当たり前であるけれど、難しい。
  反りて諸を己に求む
いい言葉です。吉田松陰も
「この言葉は全てが帰着する言葉である」
と言っています。反りて諸を己に求むを略して、
「反求」
とまで言っています。

私の勤めている会社の社長が、ある日携帯の充電を失敗したのです。
社長が言うには、
「携帯使えなくて困ったよ。充電したつもりだったんだけど、充電器がいかれてたんだな。充電器が悪いんだよ。なんなんだあの充電器」
充電器が悪いってなんなの? 自分が管理している充電器なんじゃないの? 社長は吉田松陰を読んだ方がいい。「反求」ですよ。でもまさか社長に松蔭読めとはいえないです。私もそれくらいの空気は読めるのです。反求を社長が自分で悟るように話を持っていていってみましょう。

私は、
「充電できなかったのが充電器の責任だと言うのなら、社長には悩みなんかないんじゃないですか? 悪いのは全部充電器なんですから」
社長
「そうなんだよ。ウチの家内に、あんたは責任感がないってよく言われるんだよ」
私、
「社長は悩みがなくて幸せですよ。まあ、悩みがあるとすれば、世界がなんで自分の思い通りにならないのか?ということ位ですね。そこまでいくと悩みと言うか病気ですけど」
社長
「magamin君うまいこと言うねえー。ハッハッハ」

全くダメ。玉砕。救いようがない。孟子読んでも無駄。

孟子は騰文公章句第9章で、楊子、墨子をを批判します。楊子は個人主義を、墨子は博愛主義を主張していたようです。
個人主義と博愛主義の組み合わせ。これを現代的に言えば「民主主義」ということになるのではないでしょうか。
では、孟子はこの民主主義のなにを批判したのでしょうか。

「楊子は我が為にす、これ君を無(なみ)するなり」
楊子は個人主義だから、君臣関係を無視するものである。

「墨子は兼愛す、これ父を無(なみ)するなり」
墨子は博愛主義だから、親子関係の道徳を破壊するものである。

民主主義の精神は道徳のヒエラルキーを破壊します。これは現代において極めて分かりやすい話です。昔の父親というものは今よりも権威があったなんていうことは、多くの父親が感じる事です。楊子、墨子は民主主義の精神を推奨します。孟子は道徳のヒエラルキーを推奨します。2300年前、中国春秋戦国時代、百家争鳴。ワクワクします。

この議論に対する吉田松陰の箚記はどうなっているでしょうか。


松蔭は「初一念」つまり、物事を始める時の最初の志が重要だ、と言います。初一念にもいろいろあって、道義を得ようとするものは上、名誉利益を得ようとするものは下だそうです。
孟子と松蔭との話のつながりが、いまいち明確ではないのですが、おそらく松蔭は、初一念からそれを意志の力でコントロールして、心を民主主義ではなく道徳主義の道へ進ませるべきだ、と言っているのでしょう。

松蔭に言わせれば、現代の日本は下の下です。まず名誉利益を得ようとする、その初一念が下。その初一念のもと努力して立身出世したその結果が下。すなわち下の下です。



孟子における資本主義と道徳主義の優劣比較の話の後で、松蔭はなぜ「初一念」の箚記を記したのでしょうか。
私が考えるに、個々の人間がその社会で何故政治的に中道や左右に分かれるのかという、松蔭の教育者としての疑問の結果ではないでしょうか。

ここに松蔭の凄みを感じます。
私は今まで、リベラルや保守については考えたことはありますが、人間の根源の中にある何がその人間をリベラルや保守に導いているのか、そんなこと考えたことはないです。

金持ちに生まれたら保守で、ドキュンの家に生まれたらドキュン。ああ、そんな答えはダメ。思考力ゼロ。もっと考えるときは、人間の魂に寄り添わないと。その点で、松蔭の「初一念」理論は斬新でかなりいいところまでいっているのではないでしょうか。

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孟子は騰文公章句上3章で井田(せいでん)制というものを発表します。井田制といのは、人民に田んぼを等しく割り当てるという、現代的に言えばある種の社会主義政策のようなものです。今まで精神論ばかりであった「孟子」において、この井田制論というものは、孟子の政治スタンスを知るのに非常に重要です。

人間を判断するのに一番簡単な方法というのは、その人の政治スタンスを知る事です。真ん中の自由主義なのか、少し左のリベラルか、少し右の保守か、左の社会主義者か、右の国家主義者か。

孟子の井田制を総合的に判断すれば、孟子は社会主義者ということになるとおもいます。

で、講孟箚記で吉田松陰はこの井田制をどう判断したかと言うと、まあ、ほとんどスルーです。

問題は次の「孟子」騰文公章句上4章です。
この中で孟子は、農本主義者の「許行」なる人物を批判します。この許行が言うのは、
「国の基本は農業である。人民は農業共同体のようなものを形成するべきである。君主や貴族も農業に携わるべきである」
ということです。この考えはかなり左になります。一言で言えば毛沢東主義です。孟子は許行の極左ぶりがきにいりません。孟子は井田制を唱えながらも極左の厳しい締め付けはいやなのです。この第3章、第4章を総合的に考えて、さらに現代的な言葉を当てはめれば、孟子は国家社会主義者ということになります。

この「孟子」騰文公章句上4章に対する吉田松陰の箚記は、3章の箚記よりもかなり長くなっています。松蔭は孟子の国家社会主義者ぶりが気に入ったようです。以下に、この章の松蔭の箚記を見てみましょう。

まず孟子に批判された許行に松蔭は同情的です。
「一概に許行を非とせば、大いに非なり」
とあります。松蔭は許行を幕末日本に引きつけて考えていて、武士という非生産階級が農民に対して威張ったり、優雅な生活を見せびらかせたりするなら、農民が許行のような極端な説に流れてしまう事はありえる、だから武士というものは文武に習熟することにより、威張ったり見栄を張ったりという精神的な弱さを克服しつづけなくてはいけない、と言います。
武士道があれば、農本主義も井田制も必要ないということでしょう。

私は、この松蔭の考え方は素朴ではあるが論理的一貫性のある一つの見識だと思います。

支配者層に武士道精神がなくなった昭和初期、農本主義や井田制的農地解放論が出てくるのは歴史の必然なんですね。

今回は「孟子」の公孫丑下第二章について考えます。

孟子は斉の王様に呼ばれます。
「私(王様)はちょっと今体調が悪いので、孟子さん、あなたの方から私のところに来てもらえませんか」
斉の王様、かなり謙虚です。

孟子は呼びつけにされたのが気に入らないのです。
「私も病気ですから行けません」
と仮病を使います。斉の王様は孟子の所に医者を送ったりします。孟子は自分の家にいてはまずい、ということで友達の家に隠れてしまいます。
その友達は孟子に言うのです。
「王様がせっかく呼んでくれてるんだから、素直に行けばいいんじゃないのか。そもそも臣下が君主のところに行くというは、当たり前の礼儀ではないのか」

それは言われるよ。

それに対して孟子は、
「君臣の秩序とか言うけど、世の中にはいろんな秩序があるのだよ。年齢による秩序だってある、師匠と弟子との秩序関係だってある。君臣の秩序だけが秩序ではない」
と言います。
こんなことを言ってしまったら、秩序重視とか言いながらその本質は「自由」になってしまうのではないでしょうか。秩序の枠組みを自分で選べる、ということになるわけですから。


この話に対する吉田松陰の箚記をみてみましょう。
松蔭はまず年齢の秩序についてこだわります。水戸や熊本の人は歯(し)を尊ぶのに、わが長州はダメ。そんなことを長々と言った後に、

召さざるところの臣あり (呼びつけに出来ない臣下というものがいる)

という孟子の言葉に賛意を示します。劉備が三顧の礼で諸葛孔明を迎えたことや斉の管仲などを引き合いに出しています。
普通に考えれば、孟子のわがまま振りを指摘してもおかしくない場面だとは思うのですが、我らが松蔭は今回もかなり孟子の肩を持っています。

吉田松陰の精神も「自由」であると言う事なのでしょう。


孟子の弟子の公孫丑が、孟子にたずねました。
「先生の得意なものは何ですか?」
孟子はそれに答えて、
「人の議論の欠点が分かる事と、浩然の気というものを大切にしている事の二つである」
と言います。
「浩然の気」とは何かと言うと、自分の信念を実行するところの気魄、まあザックリ言ってしまえば、強い正義感みたいなものです。

この孟子の答えは現代的に見ればおかしくないでしょうか?
孔子から孟子にいたる儒家というものは、戦国時代には失われつつある古代の礼儀作法を復活させようというのが、その中心思想であるわけです。ならば、普通に考えれば、王様の葬式の時にはこんなしきたりがあるよとか、王様に子供が生まれたときはこんな祝い方があるよとか、儒家というものは、そういうこと細かい知識の集積をするものではないのでしょうか。

しかし孟子は、正義とはなんなのかということにはあまり興味がないようです。それよりも、正義感、というものを大事にします。
「孟子」を読むと、孟子の正義というものにはぶれがありますが、孟子の正義感というものにはぶれがありません。

我らの吉田松陰は、この孟子の浩然の気を読んでどのように反応したでしょうか?

うん、まさに全肯定。

「頭は刎ねられても、腰は斬られても、操はついに変えず」
松蔭の名文です。
大事なのは気持ちなわけです。誠実さ、「誠」こそ価値あるものなのです。ですから、明治維新前は尊皇攘夷が旗頭だったのですが、その旗頭が明治維新後に尊王開国に変わったとしても、それは孟子的に言えば許容範囲なのです。

大事なのは、気持ですから。

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