日中戦争と太平洋戦争を会わせて便宜的に大東亜戦争という言葉をつかわせてもらいます。

ここ何年かいつも考えるのです。大東亜戦争というのはなんだったのかと。
現時点での私の仮説は、
明治維新によって下級武士層や農民階級の上層部すなわち豪農層は封建体制から開放されましたが、自作農以下の日本人は明治以降も日本的村社会にからめとられたままであった。しかし明治以降の出版や交通の発達で自作農以下の日本人にも自意識みたいなものが高まってきたのではないでしょうか。自分達を日本的農村共同体のなかに押し込めるところの明治国家体制に自覚のない不満があふれるなんていうことがあったのではないでしょうか。そんなエネルギーが、反財閥、反重臣、反不在地主となって軍部をあそこまで押し上げたのではないでしょうか。そして財閥や重臣や不在地主が敗戦で押し流されてしまえば民衆は言いますよ、
「あの戦争は軍部の暴走だった」
ってね。

この「持たざる国への道」は思ったよりいい本でした。松本崇という人は1952年生まれ、大蔵省の官僚だった人です。この本の前半は、財政面を多めに取り入れた戦前の歴史のおさらいみたいな感じで、後半は江戸時代から現在に至るまでの金融の歴史を語るという、「持たざる国への道」はそんな構成になっています。大東亜戦争の原因というのは日本人の情念みたいなものだったと私は思いますが、多くの日本人が直接に接するところのものというのは結局お金ですから、戦前を理解するためには経済も重要なファクターだと思います。松本崇という人はその辺を丁寧に立場の許す限り誠実にこの本の中に表現していると思います。

しかしこの本はまだ古典ではないと思うので、あえて批判を書かせてもらうならば、松本崇が立派だったと持ち上げるところの戦前の日銀総裁達も、結局は貴族主義だったのではないでしょうか。金本位制を維持するために経済を引き締めたり、金本位制を離脱して日本経済を持ち上げたり、彼らは与えられた擬似貴族制の中で頑張ったのだろうとは思います。しかしそれは枠組みの中での話であって、当時の日本人はその枠組み自体を問題にしていたのではないでしょうか。だから枠組みを変える力をもつ軍部に支持が集まる。戦前の日銀総裁達も英雄ではなかったという事になります。

しかし現在の日本は、明治維新と大東亜戦争の敗戦という二度の革命によってかなり精神的に開放された状態にあると思います。ですから現在の黒田日銀総裁は、戦前の総裁達より条件はいいわけですから、戦争を心配することなくしっかり頑張って欲しいと思います。



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