宮本常一は山口県大島出身の民俗学者です。

第二次長州征伐のころの話もこの本にはのっています。第二次長州征伐を長州では四境戦争と呼ぶのですが、宮本常一のおじいさんの世代は武士以外の人間も四境戦争に多く参加し、この四境戦争はある意味祖国防衛戦争だったというのです。

そういわれればそうだよね。

第二次長州征伐のときの長州藩主は毛利敬親(もうりよしちか)です。毛利敬親という人物は、すべて家臣任せで家臣集団の中でヘゲモニーを握った集団を承認するという感じでした。
藩の主流を握ったところの代表者がしずしずと毛利敬親の前に進み出て、これからの長州藩の行動指針を毛利敬親に説明すると、毛利敬親は首をガクッと斜め前に折り、
「そうせい」
と一言いうそうです。ですから毛利敬親のあだなは「そうせい候」、言うなれば愛すべきバカ殿みたいなものです。
長州はこの毛利敬親の元で四境戦争を戦い抜き勝利するわけです。

これは明治国家の原型ではないでしょうか。山県有朋や伊藤博文は明治天皇を「そうせい候」として作り上げたのではないでしょうか。明治時代というのは、日本が西洋の圧力の中で独立というものを維持できるかどうかのギリギリの時です。明治の支配者層は四境戦争という祖国防衛戦争での成功体験を、明治国家に拡大して当てはめたのではないでしょうか。

明治国家における天皇は決断をしない。それは明治憲法における立憲君主制を忠実に実行した結果であるといわれたり、天皇制そのものの伝統であると言われたりしますが、案外毛利敬親に由来しているのではないのかな。

伝統といわれているものが、案外歴史が浅かったりすることは往々にしてあることです。