岸信介は戦前は東条内閣での商工大臣、戦後は60年安保の時の総理大臣であり、「昭和の妖怪」の異名を持つ人物です。

「岸信介の回想」という本は、岸信介が84歳の時のインタビュー集ですから少しは本当のことを言うかと思って読んでみたのですが、内容としては極めてあっさりしたものでした。戦後については言えないこともあるでしょう。しかし戦前については、あっさりながらも岸信介が話したことが真実であるとして、論理を組み立てても問題はないと思います。

岸信介は東大卒の商工官僚としてスタートします。戦前昭和において岸信介は、革新官僚すなわち統制経済を指導する官僚群の中心的存在にまでなります。まず何故岸信介が統制経済にかかわる事になったかというと、

大正15年たまたま立ち寄ったドイツで国家統制化の運動が盛んだった。その事を当時の商工大臣に詳細に報告したところ、その時は相手にされなかったのだが、昭和五年になってその報告が注目されるようになって、もっと研究しろ、ということになった。

だそうです。あっさりしたものです。何らかの信念があったあったわけでもないらしいです。さらに満州事変後、岸信介は満州国において統制経済の主導的役割を果たします。昭和十二年に満州において「満州産業開発5カ年計画」なるものが実施されますが、岸信介によるとこれはソ連五カ年計画のマルパクリだそうです。そう本人が言っています。満州産業開発5カ年計画というものは、理念とか理想とかそういうものから導き出されたものではなく、必要に迫られてソ連から計画だけパクってきた、とそういうことになります。
さらに、岸信介は太平洋戦争開戦時の商工大臣だってのですが、太平洋戦争開戦について聞かれて、

われわれ文官はあれこれ言う立場にない。結論は外交と軍部に任すしかないという気持ちだった
今から考えてみても、一部の軍人に主導されたという訳でもなく、やはり石が坂道を転げ落ちるという情勢でしたね

と答えています。あっさりしたものです。あの戦争で日本人が300万人死んだのですよ。原爆が2発も落ちたのですよ。私の母方のおじいさんはラバウルで死にかけたそうです。

だから岸信介が悪いというわけではないです。岸信介は官僚として時代の要請に全力で応えたということなのでしょう。
岸信介は語っています。東条英機さんはこんな人だったとか、木戸幸一さんはこんな人だったとか、近衛文麿さんはこんな人だったとか。想い出を語るかのようです。
結局太平洋戦争なんていうものは、誰かがどうであれば防げたなんていうレベルのものではないのです。岸信介でさえ当時戦争を意識的に理解するなんてことは出来ていないのですから。