昭和二年、森恪 は東方会議を開く傍ら、鈴木貞一、石原莞爾、河本大作らと談合し、満州の今後について語り合ったという。

その後河本大作は張作霖爆殺事件、石原莞爾は満州事変、を起こすわけです。満州での動乱が結局日本を太平洋戦争に導く導火線になったことを考えれば、この四人組の果たした役割は大きかったという事ができます。彼らが悪いという事を言いたいのではありません。この当時、大日本帝国のあちこちで政治的基盤のない自分の能力だけが頼りの人たちが、大日本帝国の枠組みを破ろうと蠢動していたのだろうと思います。

大日本帝国なるものの最も弱い環はなんだったのでしょうか。それは満州利権だったのではなかったでしょうか。当時、台湾や朝鮮はほぼ日本に組み込まれていましたが、満州において日本の利権はきわめて脆弱です。日露戦争の犠牲を払いながら日本が獲得した満州における利権というものは、長春 - 大連間の鉄道とその付属地なるもののみ。これでは中国に統一政権が出来てしまえば、簡単に回収されかねないものです。石原莞爾、河本大作などは、この大日本帝国の最も弱い環を破る事で、運よく最も早く自分を表現した日本人である、といえるでしょう。

自分の可能性みたいなものを諦めて田舎で静かに暮らすのが自分の人生であると考える人は、徳川幕府の枠組みでも明治政府の枠組みでも、何でも受け入れていけばいいでしょう。しかし時代が進んでいけば、不完全な枠組みに満足できないという日本人が増加するのは当然ではないでしょうか。自分には可能性があると魂が語りかけてくるのです。枠組みを破らずに何の生きる価値があるでしょうか。

太平洋戦争に至る道というのは、大日本帝国の枠組みを破ろうとする時勢の結果だと思います。
今の日本というのは、かなり自由な世界だと思わないですか。それは当たり前のことではなく、太平洋戦争という非常手段によって日本人が自ら勝ち取ったものだと私は思います。この考えには異論が多いであろうとは思いますが、しかし全ての事を説明するのに一番ぴったりとした歴史観だと思います.