近代化とは何かというと、福沢諭吉的に考えると、国の中に多くの価値観が並立していると国民に自主独立の精神が現れてくる、多くの価値観のさらなる相克が国民の自主独立の精神をさらに前進させる。国民精神の自主独立的気風の増進が文明化であり近代化であるということです。

日本が早くから近代化した理由というのは、いろいろ言われています。武士の精神が近代化の困難を乗り越えるのに役に立ったとか、江戸時代にはもうかなり日本の生活レベルは高かったとか、そもそも日本民族が優秀だとか。このような意見は事実かどうかというのも判然としないうえに、たとえ事実だとしてもただそれだけの話であって、今の日本とあまり係わり合いのないような行き止まりの論理なのです。

福沢諭吉は近代化の根源を、多くの価値観の相克による自由の増進、と定義します。そして日本には幕府と朝廷という二つの価値観の並立があり、その二つの価値観の相克によりある一定の精神的自由が存在した、というのです。中国や朝鮮の神政府一本槍の国より日本は恵まれていたというわけです。
幕府と朝廷とに精神的権力が分裂していたのが日本近代化の理由であり、歴史的権力の分裂は近代日本にとって幸運であったわけです。この福沢諭吉の日本近代化理論はまだまだ掘れそうな感じてす。行き止まりの論理ではない。網野善彦の日本史観というはここに連なるものではないでしょうか。

福沢諭吉の信念のような確信のような、多くの価値観の相克が自由を増進させるという考え方は、現代においても全く色あせていないと思います。

ただ、19世紀末にはすでに西洋国家システムなるものが存在していて、日本はそのバスの最後の乗客としてギリギリ乗車する事ができました。理論的にはいろんな近代化のスタイルがあるでしょうが、事実上は西洋国家システムに参加する以外に国家が近代化する方法というものは存在しなかったということは考慮に入れておかなくてはならないでしょう。

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