「学問のすすめ」は文明や理性を語るだけではなく、人間の心理構造すなわち実存的なことも語っています。

この本の中で、人間の最悪の不徳は「怨望」であるといっています。怨望とは人を恨むということですね。その怨望は、社会が個人の、上に向かって自由に発言する働きを抑圧した時に民衆の中に蔓延するものであるといいます。
民衆の中に怨望が蔓延すれば、心の中に嫉妬、恐怖、卑怯なるものがあらわれ、それが内計として密話、内談、秘計としてあらわれ、それが外形に破裂するところは、徒党、暗殺、内乱、ということになります。

いまこの福沢諭吉の実存理論に従って、日本の戦前を考えてみましょう。515や226の内乱や血盟団の暗殺の前には何らかの社会的な「怨望」状態があったことが推測されます。その「怨望」状態の原因というのは、政府が個人の、上に向かって自由に発言する働きを抑圧したことにあるわけです。それで具体的な事件をさかのぼって考えると、幸徳秋水事件が最初の大きいものではないでしょうか。当時の明治政府(具体的には山県有朋でしょう)は、一人のアナーキストをなぜそんなに怖がったのか。磐石の態勢を望んでいたのでしょうが、死刑をもって無理に言論を弾圧するから、最後はあんな戦争になってしまう。
福沢諭吉の論理を応用すると、太平洋戦争の原因は以上のようにも考えられるわけです。

このように福沢諭吉の語る人間心理というものは注目に値します。人間精神の上部構造(l理性)と下部構造(社会的心理構造)を両方語るなんていう人は、歴史上を探してもそうはいないものです。こういう人物は社会の変動時にのみ現れる精神の巨人なのです。福沢諭吉が読めるということは、日本人にとってとても幸せな事だと思います。

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