大岡昇平の「レイテ戦記」を中学生のころ読んだ覚えがあります。

大岡昇平の語ることというのは、今の世相から見ればかなり左よりです。靖国神社には否定的ですし、反核というのも明確です。日本の防衛費はGDP比1%死守(なつかしい)とも言っています。

今では空虚な事になりつつある事でも、太平洋戦争においてフィリピンで実際に戦ったという経験のある大岡昇平が語ると、リベラルな空虚話もぐっと真実味が増してきます。

「人類は二つの世界大戦を経験してのだから、もうそんなことをする必要がないというのが私の立場だ。先日自衛隊員が演習するところを見た。その演習ぶりはなっちゃいなかった。備えの必要があるのなら、もっとちゃんとやらなくてはダメだ。兵士自身に危険が残るだけである」

このような戦争を体験した人が、戦後日本の重石となっていたのでしょう。あの戦争から70年。そういう重石も外れて、リベラルは空っぽになってしまった。

戦争世代には実体があった。私が子供のころ、おじいさんの言葉というのは重みがありました。私は団塊ジュニアの世代ですが、戦争世代ー団塊世代ー団塊ジュニア、という序列の中に大人の世界を見ていました。この序列の中を大きくなって僕は大人というものになるのか、と私は思っていました。
でも現実は違う。戦争世代には戦争によって何らかの力が付与されていたのです。団塊世代の言葉はいつまでたっても、かつての親のように重くはならないし、団塊ジュニアはいつまでたっても序列の階段を上れず、大人になった気がしない。

大岡昇平を30年ぶりに読んで、本当に感動した。