現代がなんなのかというと、世界を覆っていた巨大な物語が崩れていく時代と言う事でしょうね。

19世紀の後半においては、列強の国々から同列の強国と認められないと、国際社会において何らかの意見を主張することは出来ないという時代でした。実際、大使というものを交換するのは列強同士のことで、列強以外の国とは公使という一段下がった使節を交換していました。日本は明治維新後、必死の努力で列強の一角に食い込みました。

世界をヨーロッパ発の巨大な物語が支配していたのです。その物語は民主主義や科学や理性などで構成されています。日本には日本の物語があっていいと思いますが、しかし当時このヨーロッパ発の巨大な物語を受け入れなければ、日本を世界に主張することは出来なかったのです。

西園寺公望は戦前日本が日中戦争の泥沼にはまり込もうとしていた時こういいました
「日本は英米の後をどこまでも付いて行かなくてはいけない。付いていっているからこそ、日本は世界を決定する仕組みの柄の一つを握ることができる」

西園寺公望の考えの中に、世界を覆う巨大な物語が前提としてあるわけです。

しかしその巨大な物語も、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦の崩壊、によって現代においてはかなり崩れてきています。そのような流れからすれば、日本の太平洋戦争は、日本が巨大な物語から離脱しようとした結果とも考えられますし、戦後の平和憲法というのは巨大な物語への復帰とも考えられます。とするなら、今の朝日叩きというのは、巨大な物語からの離脱の傾向を表しているのではないでしょうか。

今日本に必要なのは日本の物語を作ることだと思います。ただ戦前の皇国史観みたいなものはお断りです。ある程度リアルな物語ではないと。
永井荷風はその日記の中で
「元来日本人は理想なく強きものに従いその日その日を気楽に送ることを第一となすなり」
と言っていますが、まあこのあたりから日本人の物語というを始めればいいのではないかと思います。