226事件の後、近衛文麿に大命が降下したのに、近衛は体調不良を理由にこれを拒否します。本人が体調が悪いというのだから、そういうこともあるのかなと思っていたのですが、勝田主計の息子である勝田龍夫によると、近衛は226事件で高橋是清などが殺された事にびびっていたということらしいです。

それはそうだろう。誰だって怖いよ。

しかし近衛文麿は戦後自殺するわけで、自殺する勇気があるのなら、なんだってできたのに。

いつも考えるのです。何であんな太平洋戦争みたいなことになったのだろうかと。戦前の日本人はみんな馬鹿だったのか。いや違うな。アメリカに守られた戦後の日本人より、はるかに日本というものを考えていた。
いろんな切り口がありえますよ。軍部の暴走、重臣のだらしなさ、新聞の戦争を煽る報道、農村の疲弊。

人生や歴史の中にはどうにもならない事というのがあると思うのです。結局世界と日本との哲学の違い、朱子学的にいえば理の違いみたいなものがあって、その違いが人々を支配していたのでしょう。
今イラクの北部に「イスラム国」というのがあります。彼らには彼らの論理があるとは思います。しかしその論理とは、おそらく欧米の定めた現状維持の論理とは食い違うものであるのでしょう。彼らもわれらも何かにかりたてられているのです。

デカルトの理性、ハイデガーの実存、朱子学の理、日本の自然、イスラム国の何らかの論理、全てを巻き込む哲学が必要なのではないでしょうか。
そんなのはムリだな。ヘーゲルじゃあるまいし。

だから歴史にはどうにもならない事がある、と思うのです。