高校生の息子が焼き鳥屋でバイトしていて、焼き鳥についてのウンチクを語るんですよ。息子とは知的シゲキにあふれた会話をしたいと思っていたのに、実際にする話が「焼き鳥」だなんて私的にはイヤなのです。

「おまえなー、うれしそうに焼き鳥の話をしてるけど、そんなことくだらなくないか。君が焼き鳥学校にでも行っているのならいいよ。おまえは高専に行ってるんだから、焼き鳥とか君の人生に関係なくないか? 科学とか文学とかで何か語るべきことはないのか」

これを言ったら、それから息子は目を合わせてくれなくなりました。

私の父親は20年位前に死んでるんですが、仕事一筋で無口な人でした。私はそれが物足りなくて、いろいろ喋ってこの世界について教え導いてくれたらいいのに、なんて思っていました。
この世界について大人は何も教えてくれないのです。
中学生の時かな、私のおじさんに自称詩人という人がいて、そのおじさんに私は
「シュールレアリズムってなに?」
と聞いたことがありました。その自称詩人は
「シュールは越えるという意味。だからシュールレアリズムはレアリズムを超えるという意味だな」
とニヤニヤ笑いながら答えました。
これ、中学生に対する答えになっているでしょうか。彼はシュールレアリズムの何を知っていたのでしょうか。
私はそういうのがイヤなのです。何も語らない事や、何かをいい加減に語ることによって大人のふりをするのがイヤなのです。
だから息子とはリアルなことを議論したいのです。焼き鳥のことなんかじゃなくて。

大人気ないでしょうか。

でもよく考えてみてください。何も語らなかったり、いい加減に語って大人のふりをするほうが楽です。ノーリスクで大人なんですから。私はリスクを冒しています。議論の結果息子に論破される可能性があるわけですから。

息子もそのうち何かを語りかけてくれるようになるでしょうか。