吉田松陰の講孟箚記から、松蔭は気合の人だと思っていましたが、幽囚録を読んで考えが変わりました。かなりのリアリストです。
そもそも激情の尊王派である松蔭が海外に密航を企てるなんて一貫していないなとは思っていたのです。

私のざっくり翻訳を使います。幽囚録のなかで松蔭は、
「日本が統一的力を発揮した後で、まず北海道を開拓し、沖縄を完全に日本領にし、ロシアの隙に乗じて樺太を奪い、朝鮮を植民地にし、北は満州の地を割き、南は台湾および南方の諸島を領し、じりじりと日本の勢いなるものを世界に示すべきだ。その後に人民を愛し道徳を盛んにし、慎んで国の辺境を守れば、偉大な日本を世界に示す事ができる」
といいます。
この部分どうでしょうか?  松蔭は侵略戦争を推奨していたのかなんていうつまらない事を言わないでください。これはある種の預言ですよ。明治国家のその後の歩みそのままです。大日本帝国は満州までで慎む事ができなかったということになります。

松蔭の幽囚録の後半は、日本古代の天皇がどれだけすばらしかったかみたいな日本書紀の抜粋になります。ここにいたって、松蔭は日中戦争以降の日本の皇国史観そしてその崩壊までイメージできていたかのような幽囚録の構成になっています。

松蔭の時代において、世界は弱肉強食です。インドやインカの歴史を見ればそれは明らかです。松蔭も言っていますが、手をこまねいて座してそのままでいれば国を維持するのは不可能であるというのは歴史の現実であったでしょう。尊皇攘夷の狂人だとか、単なるテロリストだとか松蔭を批判するのは簡単です。しかし、守られた現代から松蔭を批判する事はガキの論理です。この透徹した松蔭の歴史感覚には驚かざるを得ない。