magaminの雑記ブログ

丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」は昭和21年発表です。

「超国家主義の論理と心理」では、戦前日本の超国家主義を分析することで、なぜ日本は太平洋戦争であのような惨敗を喫したのか、を明らかにしようとしています。
しかしこの論文の面白いところは、過去の日本についてだけではなく、現在の日本がなぜ経済競争で惨敗を喫しつつあるのかにもつながってくるところです。

まず丸山は、日本人は「近代的人格の前提たる道徳の内面化」ができなかった、と書いています。道徳の内面化というのは簡単に言うと、自分の価値というのは自分の中にある、という考え方です。自分の価値は自分の中にあるという確信が、自分は自分であるという自己同一性を育んでいきます。

では日本人はどのようにして自分というものを維持しているのかというと、「抑圧の移譲による精神的均衡の保持」だという。

「抑圧の移譲による精神的均衡の保持の世界」とは何かというと、上のものにはペコペコして下のものには威張ることによって全体のバランスが維持されている世界ということになります。

徳川封建時代もこのような「抑圧の移譲による精神的均衡の保持の世界」だったのですが、江戸時代は職業によって人が分けられていた時代なので、職業を超えて抑圧が移譲するということは少なかったようです。武士も農民には威張っていたでしょうが、それは武士世界と農民世界との接点にいる人たちの話で、一般の武士と一般の農民が直接、抑圧の移譲を行うということはないです。
これは現代で例えるなら、大企業の協力会社担当社員と協力会社社長間に抑圧の移譲はあるかもしれませんが、大企業の一般社員と協力会社の一般社員とでは抑圧の移譲が行われるような場がないというのと同じです。

江戸時代には並列的にあった抑圧の移譲の場というのが、明治維新以降、国家という枠組みの中で序列化されるようになります。日本国民が一つの場で抑圧の移譲を行うようになります。

この結果、どのような現象が起こるかというと、

「法は抽象的一般者としての治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、権威のヒエラルキーにおける具体的支配の手段に過ぎない。だから尊法というのはもっぱら下のものへの要請である。煩雑な規則の適用は上級者へ行くほどルーズとなり、下級者ほどより厳格になる」

このようなことは誰でも知っている、と丸山眞男は言う。

現代の上級国民問題やNHK受信料問題とつながるところがあります。
ある政治家は、NHKのありかたは問題だけれどもNHK受信料は法律に従って払うのが当然だと言います。しかしこの考え方は、「法は権威のヒエラルキーにおける具体的支配の手段に過ぎない」という認識からの帰結でしょう。

また抑圧の移譲日本における別の現象について、丸山眞男は
「思えば明治以降今日までの対外交渉において対外硬論は必ず民間から出ていることも示唆的である」
と語ります。

現代のネット右翼の嫌韓というのは、彼らが抑圧されつつも、その抑圧を国内では移譲する先も移譲する勇気もないので、韓国に抑圧を移譲しているということになるでしょう。
丸山自身はこのように語ります。
「中国やフィリピンでの日本軍の暴虐な振る舞いについて、営内では二等兵で圧迫を移譲すべき場所を持たない者が、ひとたび優越的地位に立つとき、己にのしかかっていた全重圧から一挙に解放されんとする衝動に駆り立てられたのは怪しむに足りない」

明治憲法下で日本人は自分の中に価値を持つという近代的自我形成にトータルとして失敗したと丸山自身は語るのですが、戦後において、日本人は近代的自我形成、すなわち道徳の内面化は出来たのでしょうか。

丸山眞男はこう語ります。

「国体明徴(こくたいめいちょう)は自己批判ではなくして、ほとんど常に他を圧倒するための政治的手段の一つであった。これに対して純粋な内面的な倫理は絶えず無力を宣告され、さらに無力なるがゆえに無価値とされる。倫理がその内容的価値においてではなく、権力的背景を持つかどうかによって評価される傾向があるのは、倫理の究極の座が国家的なものにあるからに他ならない」

国体明徴を憲法9条に言い換えれば、これはそのまま現代左翼リベラル批判として読めるでしょう。丸山眞男は戦後リベラルの最高の知性でした。
戦後リベラル教育は全く失敗して、現在において日本は経済的惨敗を迎えつつあります。

「ジャイロスコープ」は7つの短編から成る短編集です。

【目次】

1 浜田青年ホントスカ
2 ギア
3 二月下旬から三月上旬
4 if
5 一人では無理がある
6 彗星さんたち
7 後ろの声が聞こえる

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【1 浜田青年ホントスカ】

スーパーの無駄に広い駐車場の有効活用として、稲垣という人物が駐車場にプレハブを建てて、「相談屋」をしています。
稲垣に誘われて、放浪青年の浜田は「相談屋」でバイトを始めるのですが、稲垣が浜田青年を誘った理由とは? 浜田青年の正体とは? というオチにつながっていきます。
この短編はオチに期待というより、「相談屋」での稲垣と客との掛け合いが面白さのメインでしょう。

【2 ギア】

近未来荒廃世界を舞台に、謎の生物セミンゴについて語られていきます。セミンゴは、3mもある銀色のほとんど未知の生物で、一匹いると、その巣には必ず9匹がみっしりと詰まっているという奇怪ぶりです。

【3 二月下旬から三月上旬】

主人公とその幼馴染坂本ジョンとの腐れ縁話です。
小説の時系列があいまいになっていて、その結果、主人公にとって、父母や妻子もいるかいないか分からない存在として書かれています。主人公にとって多くの知り合いが曖昧模糊とする中、坂本ジョンだけは存在したという確信が残ります。

【4 if】

主人公のいつも乗る通勤バスでバスジャックが起こりました。主人公は犯人に対して何もできなかったことが残念で......
バタフライエフェクトのようなタイムリープ物かと思わせておいての逆転が見事です。
「ジャイロスコープ」の7つ中で最も出来のよい短編でしょう。

【5 一人では無理がある】

クリスマスの夜に不幸な子供の元へプレゼントを届ける業務を行っている会社がありまして、そこで働く松田さんは、ちょっとおっちょこちょいです。
松田さんのミスでクリスマスの夜に「ドライバー」をプレゼントされた子供が、本当に必要としていた物はやっぱりドライバーだった、みたいなことになります。

【6 彗星さんたち】

東北新幹線内を掃除する人たちの話でした。7分間の掃除時間に出会う一期一会のお客さんたちの人生をファンタジックに想像してみるという話です。

【7 後ろの声が聞こえる】

これまでの6つの短編のまとめ的な話です。
「ジャイロスコープ」はバラバラの短編集なのですが、この「後ろの声が聞こえる」の中で、これまでの短編に出てきた人が登場します。
役者が勢ぞろいしてお客さんにあいさつするカーテンコールのような短編です。


【「ジャイロスコープ」 意味の解説】

「ジャイロスコープ」の解説に、伊坂幸太郎の15年を振り返って、というインタビュー記事があります。その中で「オー!ファーザー」を書き終え、同じようなものを書き続けてもしょうがないと考え、「ゴールデンスランバー」以降は好き勝手やっていこうと決めたとあります。

伊坂幸太郎の初期作品は、伏線を強力に回収することで作品にまとまりをつけるというものでしたが、「オー!ファーザー」以降は、作品にまとまりをつけるという作業が嫌になったのだと思います。

まとまりをつけるのが嫌になるという作家の倦怠期的なものはありえます。

森鴎外も明治天皇崩御以降はまとまりのある小説を書くのが嫌になり、「安倍一族」以降は勧善懲悪を拒否するような時代小説に移行しています。

近代世界はまとまりや整合性が重要視されていて、強い気持ちで頑張って、と応援されるような世界です。こういう世界観が嫌になって、まとまりのない世界にあこがれる、というのは日本近代文学によくあるパターンではあります。
しかし多くの読者が望んでいる小説は、まとまりのある小説世界だと思います。

伊坂幸太郎は「ガソリン生活」では、読者が読んで楽しめる小説を目指した、とありますから、またまとまりのある長編小説を出してくるのではないかと予想します。


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ネタバレあります

【「火星に住むつもりかい?」 あらすじ】

舞台はいつものように仙台です。警察内部に「平和警察」という部署が新設されています。平和警察は、昔の特高や今の公安をもっとたちの悪くしたような部署です。
平和警察は市民を互いに密告させあい、密告を手掛かりに証拠も不十分なまま逮捕し、容疑者を拷問によって自白させます。犯罪者とされた者は、裁判も受けることもなく公開で処刑されることになります。

平和警察を告発するために、3人の男たちが清掃員に化けて、平和警察内部に隠しカメラをつけようとするのですがバレて捕まってしまいます。

捕まった男たちが拷問されようとしているところに、一人の「正義の味方」が現れます。強力な磁石の玉を使って相手の気をそらせている間に木刀でやっつけるという戦い方で、平和警察の職員を10人ほど叩きのめし、捕まった男たちを救出します。

平和警察は「正義の味方」をおびき出すために、公開処刑大会を開催します。

処刑大会当日、平和警察は「正義の味方」が名乗り出ないのならば、その場にいた罪のない人々を何十人か処刑すると宣言します。

名乗り出た「正義の味方」が処刑されそうになった時、平和警察内部の反平和警察派が「正義の味方」を助けることによって、平和警察内のたちの悪い高級官僚を陥れるという結末になります。


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【「火星に住むつもりかい?」 意味の解説】

この作品は伊坂幸太郎の失敗作だと思います。

小さい瑕疵から説明します。

「正義の味方」の武器が磁石というのはどうかな、と思います。敵が身に着けている物の鉄の部分や拳銃などが磁石に引き寄せられて、敵がバランスを崩したり拳銃が無効化したりするのですが、磁石程度のものが、戦闘で簡単に有効活用できるものでしょうか。

「正義の味方」の正体は一般人の床屋です。格闘技経験は、昔、剣道を習っていた程度です。しかしこの床屋が、平和警察内部に単身乗り込んで、10人の警官を叩きのめして3人を救出します。普通に考えたら無理ではないかと思われます。いくら磁石の助けがあると言っても、所詮は磁石ですから。

「火星に住むつもりかい?」は文庫本で500ページあるのですが、これは無駄に長いように思われます。単純にページ稼ぎではないかと思われるところもありますし、さらに、「正義の味方」は平和警察に対抗するための予行演習として、いじめられていた中学生と強姦されそうになっていた女子高生の二人を助けます。

二人も助ける必要はないでしょう。

「正義の味方」が何人助けてもかまわないのですが、小説内では1例をあげれば十分なのではないかと思います。

大きい方の瑕疵を説明します。

「火星に住むつもりかい?」は平和警察支配のデストピアを表現していますが、本文の中で官僚支配の恐ろしさを小林多喜二の拷問死を例にして説明しています。
小林多喜二は拷問死した昭和8年時点では、作家というよりすでに共産党の中核構成員として特高にマークされていました。「火星に住むつもりかい?」で処刑されていく一般市民と小林多喜二とでは、覚悟という点で全く異なります。

「火星に住むつもりかい?」では疑わしいというだけで公開処刑されていく人々を、民衆はただ面白そうに眺めるだけとありますが、現実にはあり得ないでしょう。日本人はそんなにおとなしくはないです。

ネットでは、失敗した人を多くの匿名の人たちが叩くという場面が多くありますが、それは弱い者たちがさらに弱い者たちを叩くという現象であって、弱い者たちの背後には無言で控える強い者たちが存在しています。罪のない人たちが公開処刑をされそうになったのなら間違いなく暴動が起こるでしょう。

太平洋戦争の原因を、反戦という正しいことを正しいと言えなかったからだと考えてしまうと、悪の権化である軍部官僚制が日本を泥沼の戦争に引きずり込んだということになってしまうのですが、実際はそのようなものではないです。
戦争という悪の目的のために、軍部高級官僚が国民を悪の方向に先導したというのではやはり無理があります。
もう一つ。

「火星に住むつもりかい?」で、偽善とは特定の人だけ助けて全員を救わないこと、みたいな定義になっています。
誰かを助けたなら、困っている人すべてを救わないと、最初に救った人に対する善は偽善であるという論理なのでしょう。

「火星に住むつもりかい?」の主人公は、一人を救ったなら他の全ての困っている人を救わなくては、のようなプレッシャーがあるようですが、弱いくせにとてつもないヒーローになろうとする気持ちの持ちように無理があります。

できる範囲で人を助けたのなら、自分の力及ばない所は人に任せるというような考え方で十分に善は実行できるでしょう。自分がすべての善を実行できないからと言って、自分のなした善が偽善であるなんて、

自分の能力を買いかぶるなよ

という話になるでしょう。
そもそも偽善とは、行動と気持ちの差を意味する言葉であって、いいことをしようと思っていいことをするならば、それは直ちに善でしょう。

作家が善について難しく考える必要はなくて、ただそれぞれの人ができる範囲で他人に優しくすればいいだけの話です。

【結論】

伊坂幸太郎は、社会の秩序の崩壊を心配するあまり、無理に正義のヒーローを作らなくてはならないという強迫観念にとらわれてしまっているのではないでしょうか。

そのような無理なことを考えないで、殺し屋が主人公のような読者を喜ばす方向に転換してほしいです。



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「首折り男のための協奏曲」は、題名に協奏曲とあるし、文庫本の裏の解説に、

「二人の男を軸に物語は絡み、繋がり、やがて驚きへと至る」

と書いてあるので、伊坂幸太郎らしい連作短編集なのかと思っていたのですが、実際に読んでみると、短編を寄せ集めた「短編集」でした。





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【「首折り男のための協奏曲」 あらすじと流れ】

「首折り男のための協奏曲」は以下の7つの短編から成っています。

1 首折り男の周辺
2 濡れ衣の話
3 僕の舟
4 人間らしく
5 月曜日から逃げろ
6 相談役の話
7 合コンの話

短編集ですから、「首折り男のための協奏曲」には、7つの短編を合わせた全体としての意味とかはないです。

首折り男というのは、首を折って人を殺すという技を持った殺し屋のことです。この首折り男がメインで出てくるのは、1 首折り男の周辺 2 濡れ衣の話 の二つの短編だけです。

3 僕の舟 は、首折り男のアパートの隣に住んでいた初老夫婦のかつての恋愛話でした。夫婦の奥さんの方が、探偵黒澤に自分の昔の初恋の人を探してもらうという内容です。
「僕の船」は、首折り男のスピンオフみたいな話なのですが、重要なキャラクターのスピンオフなら分かるのですが、首折り男の隣に住んでいたオバサンのスピンオフですから、話全体がどうしても地味になってしまっています。

4 人間らしく は、クワガタ好きの作家が、探偵黒澤にクワガタの生態についていろいろ語るという内容です。
クワガタはひっくり返ってしまうとなかなか元に戻れないらしいです。クワガタを飼っている作家は、クワガタゲージをたまに見て回って、ひっくり返ったクワガタを元に戻します。

作家は思うのです。

自分は、クワガタにとってどこからともなく現れて助けてくれる神のような存在だろう。だから、人間にも勧善懲悪の神のようなものがいるのではないか?

簡単に考えすぎでしょう。人間とクワガタは違うでしょう。

5 月曜日から逃げろ は、7つの短編の中で唯一なぞ解きミステリー形式になっていて、読む価値があります。

6 相談役の話 は、ちょっと感じの悪い金持ちの二代目を怨霊がとっちめる、という話でした。ただ、金持ちの二代目が感じが悪いと言っても、金持ちだから周りからチヤホヤされて育ったとか、イケメンだから女の子にもてるだとかで、しょぼい主人公にとって感じが悪いというだけです。

しょぼい主人公は、金持ちの二代目が羨ましくて、探偵黒澤を使って彼の不倫の現場を押さえようとするのですが、感じが悪いというだけでお金を使って人を陥れるというのはどうなのでしょうか。

伊坂幸太郎は、女性の不倫には寛大ですが、男性の不倫には厳しい傾向があります。

7 合コンの話 は、3対3のマジ物の合コンの話です。合コン現場に首折り男がニアミスするのですが、あとから書き加えたのではないのかというレベルのニアミスで、首折り男は「合コンの話」と関係はないです。

合コンで、人間の価値は見た目か中身か、という話になります。見た目というところで話が落ち着きます。しかし3人の男の中で一番さえない男が、実はプロのピアニストで、ピアノを弾いたら滅茶苦茶うまくてみんなを感動させます。やっぱり人間の価値は中身だよね、という所に話が落ち着くわけです。

おかしくないですか?

ピアノがうまいということが、人間の見た目の価値なのか中身の価値なのかの検証が必要でしょう。見た目はショボいけれど、ピアノを弾かせたらすごいかもしれないから、人は見かけで判断してはいけません、というのでは、世界を簡単に判断しすぎでしょう。


7つの短編を順に説明しましたが、分かるように、7つの短編はほとんど独立していて、互いの関連性はかなり希薄です。

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夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ

とは、

「先生の道はまごころのみ」

という意味。


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しかしこれは孔子の言葉ではなく、孔子の弟子の曾子の言葉である。
里仁第四の十五の全文をあげてみる。


子曰わく、参(しん)よ、吾(わ)が道は一(いち)以(もっ)てこれを貫く。  
曽子(そうし)曰わく、唯(い)。  
子出(い)ず。  
門人問いて曰わく、何の謂(いい)ぞや。  
曾子曰わく、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。  


孔子が

「一(いち)以(もっ)てこれを貫く」

と言っているのを門人が理解できなかったので、孔子の言葉を曾子が分かりやすく言い換えて

「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」

と言っているわけだ。



これ正直、孔子の言葉と曾子の言葉が全く同じであると考えてしまうと、論語を読んでも全く面白くない。二つの言論のどこがどう異なっているのか、を考えてみるのが楽しい。

では、
 
「一(いち)以(もっ)てこれを貫く」 

の解釈なんだけれど、簡単に考えると、孔子は一つの信念を持ってこれを押していく、みたいなことになると思う。 しかし、このように考えると、後のつながりがおかしくなる。まず門人は、なぜこのような簡単なことがわからないのか?  

さらに、 曾子が、

「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」

 すなわち、

「先生の道は、まごころとおもいやりだ」 

と言ったときに、孔子の発言と曾子の発言との整合性が取れていない。曾子の方が、いいこと言っちゃってるみたいなことになっている。 

曾子というのは孔子の弟子の中でもかなり優秀な部類だ。論語の中での曾子の発言を見れば明らかだ。

 孔子の発言の上をかぶせて、曾子の、「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」という言説は歴史に残った?  本当にそうなのだろうか? そもそも、孔子の「吾(わ)が道は一(いち)以(もっ)てこれを貫く」という言葉を、簡単に考えすぎていないか? 

一以てこれを貫く、一以てこれを貫く、一以てこれを貫く。  

一って本当に一つの信念という意味なのか? 一って、ただ一という意味ではないのか? そもそも私たちは、なぜ一を一だと思うのか?   それは、私たち個人がそれぞれ一体性を持って、一がどこにあっても一だと認識できるからだろう。 

子供に聞いてみよ。
 
彼ら彼女らは、1+1=2ということは分かっている。しかし1万+1万=2万と言えるかは怪しい。 それは、彼ら彼女らに1がどこまで行っても1だという確信がないからだ。なぜ、その確信がないかというと、彼ら彼女らには、いまだ自分が自分であるという自己同一性が与えられていないからだ。これは笑えない話で、大人になっても、1が1であると確信できず苦しんでいる人が多いと思う。1が1であると確信出来れば、すなわち、自分が自分であると確信できれば、ブランドの時計を腕に飾ったり、美人の彼女を連れて歩いたり、仕事の出来る振りをしたり、自分よりトロいやつを求めたり、そんな必要はないのだから。   

一以てこれを貫く、というのは、現代的な言葉で言うなら、自分の自己同一性をてこに、世界の自己同一性を確立する、自分と世界との間の道を貫く、という意味ではないか。 はっきり言って壮大な話なのだけれど、論語には巨大な何かを受け止める力があるよ。  
一以てこれを貫く、と言った孔子の巨大な思想を、夫子の道は忠恕のみ、と曾子が分かりやすく説明した。 このように考えてこそ、論語の正統な読み方だろう? 



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PKは、「PK」「超人」「密使」の3つの短編から成る連作短編集です。「PK」と「密使」では同じ時期の同じ人物が書かれています。しかし2つの世界は微妙に異なっています。その異なっている理由が、「密使」で語られる、という構成になっています。

【「PK」あらすじ】

1 
サッカーワールドカップアジア予選で、小津は何らかの組織によってPKを外すように圧力をかけられます。しかし小津は、子供のころに見たヒーローを思い出し、自分もあのヒーローにたいして恥ずかしくない行動をとらなくてはならないと考えPKを決めました。
2
小津が見たヒーローとは、マンションの4階から落ちた子供を受け止めた、ある国会議員でした。子供を助けた出来事から27年がたって、当の国会議員は大臣にまでなっています。国会議員は何らかの組織によって、一人の男を陥れるように圧力がかけられています。
3
国会議員が子供のころ、父親の浮気相手が家に電話してくるという事件がありました。母親は、台所にゴキブリが出たということで二階に避難していたので、浮気相手の電話を父親がとることができました。
4
ある小説家は、書いた原稿を意味不明に訂正するようにと、何らかの組織によって圧力がかけられています。

解説
国会議員と小説家は兄弟であると推測します。国会議員の父親は小説家であった、とあるので、圧力をかけられている小説家は国会議員の父親であると考えたくなりますが、時代の設定が合わないです。

国会議員の父親には子供が二人いたこと。
国会議員が弟の家に行こうとする場面があること。
国会議員の弟は田園都市線の沿線の一軒家に住んでいること。
「超人」に出てくる小説家が二子多摩川の一軒家に住んでいること。
国会議員の父親が語っていた「次郎君」に関する話を、小説家も自分の子供に語っていること。

以上の理由から、国会議員と小説家は兄弟であると推測しました。

【「超人」あらすじ】

1
国会議員に助けられた子供である本田は、事件から27年たって、警備会社のセールスの仕事をしています。本田は、三島という小説家の家を訪ねて、

「自分には未来の事件を予言するメールが送られてきて、自分は事件を未然に防ぐために、未来の犯人を殺して回っている」

と告白します。
2
本田青年の携帯に、かつて自分を救ってくれた国会議員のせいで1万人が死ぬというメールが送られてきます。
3
国会議員は、かつて助けた子供に27年ぶりに会うことにします。かつて助けた子供とは、未来の事件を予告するメールを受け取る本田青年です。
4
国会議員の父親は、昔、浮気相手からの電話を妻に出られて浮気がばれたことがあります。
5
本田青年は国会議員との会食中に、国会議員を殺そうとします。しかしギリギリのところで、国会議員のせいで1万人が死ぬというのは誤報であるというメールが届きます。

【「密使」のあらすじ】

過去に「特殊なゴキブリ」を送って現在をコントロールしようというSF的国家プロジェクトが存在します。そのゴキブリを送ることによって、国家の破滅が救えるという計算らしいです。

しかしどうやらこのSF的国家プロジェクトを超える別のSF的国家プロジェクトがあるらしいです。この超SF的国家プロジェクトチームは、特殊なゴキブリを奪うことによってゴキブリの過去転送を阻止することに成功します。

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【「PK」 意味の解説】

「PK」の3つの連作短編では、
「PK」で、SF的国家プロジェクトの実現しようとした世界が、
「超人」で、SF的国家プロジェクトの
実現した世界が、
「密使」で、二つの世界の差の種明かしが語られています。

しかし、この話の全体の意味とは何なのでしょうか? この話の何を面白いととらえればいいのでしょうか? 伊坂幸太郎は、どのようなつもりでこのような小説を書いたのでしょうか?

「PK」の中で、作家がこのようにあります。

「彼が心配しているのは、ミサイルが落ちて物理的な被害が出ること以上に、社会の秩序が失われることが、守ってきた法律や道徳が、実は張りぼてに過ぎない、と露わになることが、怖かった」

この社会の秩序は何によって与えられているのか、という問題になります。

宗教によって社会の秩序が与えられると考えられれば話は簡単です。一神教の巨大な神が道徳の根拠であるなら話は終わりです。

ヨーロッパ社会では近代に入り、神の存在が徐々に失われて、社会秩序の根拠が問題化してきました。フーコーは、パノプティコンという相互監視社会をグロテスクながらも理想社会であると提示しました。

伊坂幸太郎も、社会秩序の根拠が分からない以上、今ある社会秩序は張りぼてではないかと疑うわけです。

しかし、社会秩序が張りぼてだというのでは不安なので、
「いやいや、社会秩序はSF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」
「いやいやいや、社会秩序は超SF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」

ということを語る必要が出てきます。

このようなおとぎ話を聞いて、読者は社会秩序に幻想的安心感を持つわけです。

伊坂幸太郎の小説の主題というのは、社会秩序は何によって与えられているのか、というところに集約できます。

「オーデュボンの祈り」では、カカシによって社会はコントロールされていました。
「ラッシュライフ」では、高橋さんという宗教家が秩序の鍵を握っているらしいことがほのめかされます。
「モダンタイムス」では、無人格の国家が社会秩序を保証する根拠でした。

そして本作「PK」では、SF的国家プロジェクトが秩序の根拠であるとSF的回答がなされています。

伊坂幸太郎の小説はエンターテイメント性の中に哲学を秘めているのが面白いところです。

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